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改めて地蔵について整理を

図書館で、「世田谷一家殺人事件の真実」 著 山元泰生 という本を借りて読んでみた。事件から6年余り経ってから書かれた本らしいのだが、微妙に私の認識と違うことや、知らないことが書かれていたので、今回はそれらについて考えてみたい。特に私の興味を誘ったのは、事件から100日目に置かれた あの地蔵 についての記述である。

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この本によると、事件からちょうど100日目にあたる 2001年4月9日(月) 午前8時ごろに 宮沢さん方から仙川挟んだ南西方向に、直線で30メートルほど。 川沿いの遊歩道にあったベンチ脇の土手に、灰色の小さなお地蔵さんが、現場を見つめるように置かれていたのを散歩中の住人が発見。不審に思って、警察に通報したと書かれている。しかし現場を訪れてみると、この付近にはベンチは存在しないし、コンクリートに覆われ土手など存在しないことに気づく。少なくても今現場にいっても、当時の状況を伺うことは難しい。

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(若干認識の違いが)

私が以前読んだものには、ベンチの上に地蔵が置かれてあったとされていた。しかしこの本によると、ベンチ脇の土手に置かれていたという。まぁいくらなんでもベンチの上に置いてゆくのはどうかとは以前から思っていた。いずれにしても宮沢家を見つめるようにと書かれていることからも、やはりベンチがあったのは遊歩道でも仙川側だったのではないかと。もし川沿いではなく斜面側(この反対側は高さのある壁になっている)にベンチがあり、そこの脇に置いてあったとしたら、それは道路側に向けて置いていたことになり、通行人にも拝める形となっていて違和感がない。特にこれでは、宮沢家の方角を向けて置かれたかどうかはわからないはずなのだ(斜めに置かれていたということだろうか?)。いずれにしても地蔵がベンチの上に置かれていようと地面に置かれていようと、仙川沿いに置かれていたとしたら通行人に背を向けるという不自然な形で置かれていたことになる。しかし仮に斜面側にベンチがありその横に置いてあったのならば、供養の意味合いが強かったのではないかと私は思うのだ。

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またこの地蔵を発見したのは、地蔵を拝んでいる人がいるとの連絡を警察が受けたからで、散歩していた近所の人は地蔵の横で拝んでいた人がどんな人だったのか目撃していたのだろうということ。しかしこのことに関しては、一切警察からは口外されていない。しかしその後の事件集会において女性捜査員が犯人の家族に呼びかるように訴えたことからも、犯人自身が置いたというよりは事情を察した家族によって置かれたものではないかと警察は捉えていたフシがある。

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(それにしてはあまりに計画的)

実は事件から100日目ぐらいには、まだ現場周辺では日中警官が警戒し巡回していた時期だったということで、マスコミなどもウロウロしていた時期だったはずなのだ。しかし彼らに一切目撃されることなく地蔵を置くというのは、かなり用意周到に準備が進められたと考えるべきだろう。ようは、日が暮れれば警察も現場周辺の巡回をしなくなることやマスコミ関係者がいなくなることまで、事前によくわかった上で置かれたのではないかということ。

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特に地蔵が置かれていたのは、バス通り側の入り口から車止めを越えて南に150メートル進んだ遊歩道の途中、さらに南に250メートル先には現場を見下ろすように立っていた住宅地と合流する反対側の入り口がある。その二箇所のいずれかから入ってきたのだろうが、少なくてもこの距離を20キロにも及ぶ地蔵を抱え、暗い時間に誰にも目撃されずに運んできたことになるのだ。ここならば両方向から来る人を見通すことができ、あるいは斜め正面にある現場の警官の動きも一定の距離を保ちながら確認できる。その隙きをみて置くことができるという、考えに考え抜かれた場所なのだ。それでいて地蔵が、宮沢家のために置かれたものという、明確に自己主張できる絶妙な場所に置かれていたのだ。単に供養のために近所の人が置いたにしては、考えに考え非常に手間暇をかけて置かれたものであったことがわかる。少なくてもこれを置いた人物は、絶対に置いたことを周りに知れてはいけないという思いがあったはずなのだ。これは用意周到に、置ける場所・置きにゆく時間を事前に検証したものでないとあそこには置けなかったはず。ちなみに2004年に、この地蔵を発見されたとおぼしき場所で警察が1時間だけ地蔵公開した時の記事が出てくる。そのときの画像だと思しきものを見る限り、宮沢家に南に30メートルではなく南西の30メートル付近だとされ、この写真が置かれていた場所の前だったと考えると、かなり現場建物の正面付近であったことが、背景の景色から伺われるのだ。それも、やはり置かれていたのは仙川側だったのではないかと想像させるものがある。(写真の後ろに脚立が見えるのは、報道陣が置いたものなのか?あのへんに地蔵をあったことを示すためのものなのか?)。

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(この地蔵は)

東南アジア産出の御影石で作られ、比較的最近に韓国か中国で機械彫りされたものだと判明したのだという。しかし著者によると、このような地蔵は都内でも1万円ぐらいで販売されているものであり、けして高価なものではないのだという。それをわざわざ海外の業者に作らせ持ってきたのには、発注先から足がつかないようにするためだったのではないかというのだ。

私は中国や韓国の業者なら安く作れるとして、加工したものを輸入し販売されていたものを犯人が手に入れたのかと思っていた。しかしお金も時間もかかる方法をわざわざしてまでして、日本に持ちこみ現場に置かれたのものだったというのだ。だからこそ警察も3年半もの間一般に公開しないで制作・輸入・販売元を調べに調べたが、見つけることができなかったのだという。そのぐらいこの地蔵は、単純に近所の人が供養のため親切心で置かれたものとは素直には思えないものだったのだ。当然地蔵からは、犯人に繋がる指紋などの手がかりは一切検出されなかったのだという。

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(地蔵の意味)

私の知り合いが、この地蔵にはこのような意味があるのではないかと教えてくれた。この両手を前で合掌していいる地蔵は、畜生道を示す地蔵なのではないかと。畜生道とは何か調べてみると、この六道の考えをわかりやすく解説してくれているサイトがあったので、参照させて頂きたい。

このサイトによると、畜生道とは 会社で自ら動かす人ではなく、おんぶにだっこ状態の人無責任に人になすりつけ、思考停止の人だ。 またもう少し読み進めると、特に悪いことしていなくても、よく考えることもなく、恥も知らず、ましてや仏の教えなど気にしたこともないもの、お布施をもらってもその心に応えないもの。

という解釈をここではされている。これをみると、何かしら会社や組織などにおいて、無能であることを咎めているのではないかということ。特に気になるのは、お布施をもらってもその心に応えないもの という部分は、この事件に宗教団体との関わりがあったとの話があるだけに気になるフレーズではある。しかしこの事件に噂される幾つかの団体はいずれもキリスト教系であり、この仏教の教えと深く関わる地蔵でそれを表現しようとしたのかは全く繋がらない。

ここから意味を推測すれば、みきおさんか泰子さんの生前の立ち位置・行動に不満があったもの。あるいは、何かしら組織・団体に関わり、その期待に応えられなかったものという意味合いに捉えられてしまう。そこからは、犠牲になったものを弔うとか、子供に対する供養という意味合いは見えて来ない、果たしてこの地蔵を、単純に家族を供養するためだったと捉えて良いものなのか? 実はこの地蔵には、別に何か意味があったのではないかと考えるべきなのだろうか? 

(地蔵信仰)

ちなみに地蔵信仰というのは、日本独特のものであるという。すなわちこの地蔵に深い意味を持たせているとすれば、非常に日本人的な発想だということ。また製造の依頼など日本の業者がしていない限り、外国でこのようなものが制作される文化はないということ。すなわちこの地蔵が外国製でも、何かしらの理由で日本からの製作依頼があったから作られたということになる。そのルートを警察が散々調べても、わからなかったというほど複雑な経路をたどって持ち込まれたものだったのだ。しかし私の知り合いによると、手と手が合わさるラインが仏像の中心線からずれており、これはプロの仕事だとは考え難いと教えてくれた。すなわちこれは、素人により制作されたもの、犯人が原材料の石だけ調達して自ら作成した可能性すら考えられるのではないのだろうか。

また地蔵で弔おうという発想は、どう考えても現在40代半ばの私のような世代では考え難い。普通に考えれば、地蔵を置いて弔おうという風習は、当時でもすでにかなりの年配に差し掛かっていた人間が行うことではないかと。仮に弔うという別の意味があるとすれば、若い世代によって行れた 愉快犯的な色彩 が強いとも考えられる。私は、あの連続少女誘拐事件の 宮崎勤 が、被害者家族の玄関前に、まだ発見されていなかった子供の骨を段ボールに入れて置いていった事例を思い出さずにはいられない。

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ちなみに地蔵に彫られた六と思しき文字は、元々この地蔵は6体セットの1つで、その制作の過程で台座と本体を他のものと間違わないように刻まれたものだったのではないかという意見もある。その一方で、六は亡くなわれた礼君の年齡だったという意味合いがあったとか、この犯人が  という数字に何か強いこだわりがあったからではないかという見方もされている。しかし、はっきりとしたことは未だわからない。事件との関わりを六にもたせるためには、現場にも 六 を連想させるものが凶器に使用された関の孫六の包丁以外にもあったはずなのだ。例えば、現場の家の壁の何処かに、六 という文字が書かれていたとか、数字が書かれていたノートに、ここの台座に書かれているような、特徴的な 六 が同様に書き記してあったとか、犯人を連想させるものが必ず現場にあったはずなのだ。だから台座の六をみれば、これは 犯人が残したものだとすぐにわかるようなものだった可能性がある。しかしそういったものが一切なかったとすれば、上記で推測されたような製作の過程での必要性から生じたものだったということ。そしてこれは、犯人ではなく業者によって作成された6地蔵の1つだったと考えて良いのではないのだろうか。

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それと亡くなわれてから100日目は、卒哭忌(そっこくき)と呼ばれ、哭は声をあげて泣き悲しむという意味で、そうした悲しい気持ちを卒業して、一区切りつけて明日からの毎日を生きて行こうという日なのだという。すなわちこれを置いた人物が、家族との別れ・この事件との決別を強く意識したものだったのかもしれない。この地蔵の件以降、犯人に繋がりそうな痕跡はは一切なくなってしまったのだ。



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地蔵を置いたのは、恐らく、リュックの中に入れてきて、ベンチで一休みするフリをしながら、リュックから取り出して、さりげなく置いて立ち去ったのだと思います。地蔵を置くという発想なのですが、ネットで調べると、埼玉県秩父郡小鹿野町というところに、地蔵が何万体もある寺があるという事です。その寺の元締めは、東京のある宗教みたいなところで、もしや、犯人は何らかの影響を受けているかもしれませんね。秩父郡小鹿野町地蔵寺で検索すると、凄い量のお地蔵さんがあります。

No title

確かに地蔵について詳しそうなところなので、このお寺で調べたら、何かヒントになるものが出てくるかもしれませんね。

私は原付きの足を置くところに足で挟むような形でもってきたのかなと。もちろん何かしら袋みたいなものに入れてきたように思います。

あそこは車は入れませんが、自転車や原付き(侵入禁止なら無理か)なら入れますからね。まぁ侵入禁止ならば近くまで運んできて、何かに入れて数百メートル運んだのだと思われます。そうじゃなければ、20キロの地蔵をずっと運んできたことになりますから。

私はバス通り側ではなく、住宅街を降りてくる坂の方からはいる方がひと目につかないので、そっちから入ったのではないかと推測しています。

No title

ベンチの上に置かれていたからこそ、発見した人も、警察も「尋常ではない」、「ただの供養目的ではないのではないか」というような見解になっているのではないかと考えたりします。普通なら、運んだりする過程で指紋の一つや二つは着きそうなものですが、それが一切検出できないというのも、意図的に消す作業をしてから置いたのとも考えられるのではないかと思いました。国際線で輸入をしたのなら荷物検査の記録が残っていそうなものですし、国内の配達業者も地蔵のような珍しいものを配達したなら、証言が出てきそうなものです。船便ならまた別のルートになるのかもしれませんが。犯人は現場に戻ると言われますが、まさにそのパターンだと警察は踏んでいるのでしょう。

No title

製造元が分からないのに海外製であることが分かるのは、なぜなのだろう。国内製造ではない根拠は???
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世田谷一家殺害事件 の犯人像について、モナザイト の主観で事件を考察します。

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