犯人は公文式の生徒だった?

先日、この事件を調べていたら、実に興味深いブログ記事がでてきた。この記事は、PART2PART3 と3回に別れて掲載されているのだが、その内容がかなり衝撃的なのだ。

詳しくはリンク先の文章を読んで頂ければと思うのだが、この事件の犯人は公文式の元生徒だという。それも、すでに自殺しているとのこと。警察はいち早く犯人を突き止めたが、公文式は株式上場を控えており、それが元生徒だったということが発覚すれば会社に大損害を与える。また犯人は、警察及び司法に関わる人間の子息であり、相互の利害関係から事件を有耶無耶にしたという。これは、この事件を調べていれば一度は訊いたことがある都市伝説のような俗説の話とも繋がっていた。しかし今回この記事を読むと、なかなか説得力のある話としてこの話が出て来る。

(記事の信憑性)

この手の記事の信憑性は疑わしいものが多いので、私はその成否を探る場合、どのぐらい実際に明らかになっている情報とズレがあるかで作者の真剣度・情報の信憑性を判断することにしている。かの斎藤寅の本などは、家の間取りからしてめちゃくちゃくで、そりゃひどい内容だった。しかしこの記事が書かれたのは、2016年の5月という、世田谷一家の事件の関心が薄れた最近書かれたもので、世間のウケを狙った気をてらったものではないことがわかる。また事実関係の多くが史実に基いて書かれており、ちょっとやそっとこの事件のことに興味を持った人間が創作で作れるようなものではない。真実かまではわからないが、私が知らなかったことも多く、少なくても作者は真剣にこの事件と向き合い事実関係を明らかにしようという意欲は伝わってくる。特に名前が上がっている人物は実在の人物であり、一つ間違えれば名誉毀損にもなりかねない際どい内容となっている。中途半端な覚悟で、書ける代物ではない。

(若干の認識のズレ)

この作者と私の認識が若干違う部分があるので、まずそれについて触れておきたい。まず泰子さんが、公文教室を開設した時期に認識のズレがあるようだ。そこで私が知りうる、宮沢家の履歴を下に記してみた。

1986年12月 30歳 泰子さんと結婚
1987年00月 31歳 米国企業日本支社就職
1988年00月 32歳 泰子さん化粧品会社を退職
1990年00月 33歳 泰子さん別の場所で学習塾開設
1990年05月 34歳 世田谷区祖師谷に自宅購入
1990年12月 34歳 泰子さんが祖師谷公園教室開設
1991年00月 35歳 群馬水上町シンボルマーク作成
1991年00月 35歳 都立祖師谷公園の拡張整備計画
1992年01月 35歳 妻の姉一家が英国に移住
1992年04月 35歳 長女にいなちゃん誕生
1994年06月 37歳 長男礼くん誕生
1996年00月 39歳 共著にて本を出版
1997年03月 40歳 米国企業日本支社退職
1997年07月 41歳 同業他社に転職
1998年00月 42歳 英国企業日本支社に転職
2000年03月 43歳 都と立ち退き交渉がまとまる
2000年04月 43歳 妻の姉とその息子が帰国
2000年08月 44歳 広島国際アニメフェス運営
2000年12月 44歳 事件発生

被害者の姉・入江杏(仮名)さんの著書「この悲しみの意味を知ることができるなら」によると、元々は姉の杏さんが公文教室を開設して運営していたが、杏さんの旦那の仕事の関係でイギリス行きが決まったことから話を持ちかけることになる。当時泰子さんは、みきおさんとは結婚していたものの独身時代から 資生堂 に務めていた。それでも妹の泰子さんに相談したところ、退職して公文教室の運営を引き継ぐ形になったと記されている。公文講師の資格を取得し、資生堂を退職したのは、1988年。そしてその公文教室は、東急線「奥沢駅前」 にあったとされている。そしてこの教室を祖師谷に移した理由が、ストーカー行為 に遭ったためと、今回この記事を読んでいて新たに知り得た情報(事実かはわかりません)。しかし姉の杏さんならば、そのことはご存知のことかと。

このブログ主は、祖師谷に引っ越してきて8年後に事件が起こったと言っていますが、私の認識だと 1990年5月に自宅購入したものと思っていて、10年後に事件が起こったことになっています。ただし著者が、最初に祖師谷に入ったのは入江家の方だったこと。また泰子さんは、身の危険を感じ杏さんやお母さんの住んでいる祖師谷の方に後から移ってきたと書かれている。そのため実際に宮沢家自体が祖師谷の家に引っ越してきたのは、92年だったのかもしれません。この年の4月に、長女のにいなちゃんが誕生します。

この記事を読んでいると、時系列が私の認識しているものと異なること。また塾を開くまでの経緯も少しブログ主のものとは違っていますが、それほど事件においては本質的な問題ではないように思います。しかしながらいずれにしても、杏さんから引き継いだ 奥沢駅前の公文教室は、非常に短期間で場所を変えてしまった。その事実は、確かなようです。塾運営をするものからすれば、姉が築いた地盤。それに現在預かっている生徒のことなども考えると、教室の場所を変えるというのは極力避けたかった、覚悟のいる決断であったことでしょう。そしてその必要性に迫られるだけの切迫した状況が、身の危険を感じるほどのストーカー行為にあったのではないかということならば、この話には説得力があります。

(事件当初は)

この事件発生当初のスレを読み直してみると、犯人は公文式の生徒・関係者じゃないかという見方が大半を占めていました。当然警察も、公文本部に問い合わせて開設以来の生徒・職員名簿をすべて手にいれ、徹底的に関係者を調べたと訊いています。その中で、警察の上層部と公文式のトップとの間に、こういったやりとりがあったのではないのか? この正否を確かめる術はありませんが、けしてありえない話でもありません。

(犯人は)

犯人は教室に通っていた「元生徒」です。
浴槽に投げ入れられていた書類とは、教室の成績表でした。

「元生徒」は教室で泰子さんから侮辱を受けていて、
この成績表を先ず第一に消したかったのです。惨殺の後に。

それほどまでに恨んでいました。教室でことあるごとに「宮沢泰子」さんから、
槍玉に挙げられ、虐められていたのでしょう。

「宮沢泰子」さんには、精神疾患のある息子(礼君)さんがいました。
この息子さんと「元生徒」の存在が重なって、
虐めがエスカレートします。


このような生徒がいれば、すぐにでも捜査線上にも浮かびあがり、あれだけ世間の注目を浴びた事件ですからマスコミにも情報が漏れるのではないかと思います。しかし噂話ではこういう話はネット中心に飛び交いましたが、この話に追随するようなマスコミが一社もなかったことに対しては疑問が残ります。当時の世間の注目度からみて、たとえ警察や権力者が圧力をかけてもみ消そうとしても、必ずやそれを明らかにしようとするマスコミや関係者がいたはずです。それが全く存在しなかったのは、不思議でしかありません。だからこそこの話は、与太話としてネットでしか語られていないレベルの話だと私は認識していました。

ただしこの話を真実だと前提で考えると、何故浴槽に公文式の書類をぶちまけたのか? 犯人は何を必至に探していたのか? 泰子さんに執拗な危害を加えたかのなどの謎の疑問は解決します。事実泰子さんと合わず辞めていった生徒や、泰子さんは怒ると凄みがあった方だったという話は、元塾生の家族の証言などからもありました。非常に熱心な方だった一方で、そういった側面もあったのかもしれません。しかしそうであるならば警察の捜査でもすぐに、そういった生徒は浮かび上がってきたはずなのですが ・・・ 。 しかしその存在は、マスコミなどには一切漏れてきませんでした(不思議です)。この事件を取材した多くのマスコミ関係者が、この話に食いつかなかったのは信憑性に疑問を持っていたからに違いないからです。

(恨まれていたのは、泰子さんではなく杏さんの方だったのではないのか?)

この筆者は、突然話を大きくここで転換してゆきます。

もしストーカー行為の犯人が、事件との関わりがあるとすれば
8年間の空白を経て、「入江杏」さん夫妻の、帰国を待っていたかのように、
事件は引き起こされます。

恨まれていたのは「入江杏」さん、だったのではないかと言う疑問が生じます。


これに関しては、私も前回の書き込みから思い当たるフシがあるのです。それは、黒ムツさんの書き込み が、隣の幸せそうな家族をめちゃくちゃにしたいという、まるで入江家からみた宮沢家を連想させる内容。そして当時の入江さんの息子の年齢と合致する13歳だと黒ムツさんが述べている点からです。そこで前回の記事で犯人は、宮沢家との接点ではなく 入江さんの息子を知り得た人物、過去に息子さんと接点があった人物ではないかと述べました。その視点で考えると、実は恨みを買っていたのは杏さんの方だったのではないかというこの意見もありえない話ではありません。しかしそうなるとこれまで書いてきた 泰子さんのストーカー との関係性。泰子さんが槍玉にあげていた元生徒という話は、どうなってしまったのか? という疑問が出て来るわけです。むしろ杏さんをストーカーしていた人物、杏さんが槍玉にあげていた元生徒が起こしたというのならば、この図式は成り立つわけですが・・・。もしそういった生徒がいたのであれば、杏さんが犯人の心当たりがあっても警察に言えなかったという人物がいたのではという風には考えられるのですが。

(俗説への繋がり)

司法取引が行われたとは、話しませんでしたが、
犯人の血痕は、採取されているのですから、仮に自殺していたとしても

親のDNAから、犯人を遡ることは出来ます。

決して「死人に口なし」とはなりません。犯行のあった「祖師谷」界隈では、
「自殺した少年が犯人だ」として、事件後間もなく、終わったモノと、されているようです。


また次のようにも筆者は記しています。

警察」と「公文教育研究会」との間で、
司法取引がされたと、断定しました。

勿論、一警察署長の判断で、それが出来るわけも無く、
「警察庁長官」クラスが、関わっています。


この話はネットでまことしやかに囁かれてきた話で、にわかに信じがたい都市伝説だと認識しております。しかし事件の真相を捜査陣が知って、自分たちの力では解決できないと悟ります。しかし家族側から真実を話してくれる、犯人が自首してくれるのであれば、この事件の解決が図れると考えたとします。

そう考えれば事件から5年経過した追悼集会で、女性刑事が家族や犯人に訴えかけるように事件の真実を話すようをお願いしたという異例の呼びかけをした謎も解けるわけです。そして仮に犯人がすでに自殺していたとしたら、その後に似たような事件が起こらなかった理由も説明がつくことにはなります。

(杏さんは犯人に心当たりがあるのでは?)

確かにこの事件が動き出すのは、事件のあった2000年4月に杏さんとその息子さんが帰国したあたりから前兆が始まります(近所の動物虐待など)。仮に泰子さんへのストーカー的な犯罪ならば、杏さんが英国にいっていた9年余りの間に起きそうなもの。また杏さんの旦那さんまで揃って一時帰国した中で、この事件は起こったわけです。実はこの事件は、杏さんに対する恨みを晴らす、あるいは入江家に疑いがゆくように仕向けた事件だったのかもしれません。その辺は、黒ムツさんの書き込みが、その方向から書かれていることからも疑いを持ちます。

また仮に公文絡みの関係者・あるいは生徒が犯人だった場合、本当に杏さんは心当たりがなかったのでしょうか? あるいは自分の代わりに宮沢さん一家が殺された そういった疑問は浮かばなかったのでしょうか? そういった部分で警察に話したくても話せない何かを抱えていたのではないか? しかしこの事件の原因が自分にあった可能性があり、話せなかったということはなかったのか疑念は抱きます。基本的に隣の家族を疑うということは、事件発覚の時点で警察が徹底的に調べたのでありえないと私も考えています。しかし杏さんが知り得たことをすべて明らかにしているかどうかは、本人にしかわからないことなのです。また不思議と杏さんの口からは、不審者に関する話が訊かれないのは昔から不思議に思ってたことなのは確かです。

(成否は)

この話は、にわかに信じがたい都市伝説の話をつなぎ合わせたようにも読めなくはありません。しかしこの筆者の話には整合性があり、あながちありえない話ではなく私には否定できるだけの材料はありません。また私の認識では、1990年12月 に泰子さんは公文式の祖師谷教室を開設します。そして姉夫婦がイギリスに引っ越すのは、1992年01月 。この1年余りの間は、公文教室は 宮沢家の一階で運営されていました。公文教室が入江家で行われるようになったのは、姉夫婦がイギリスに転勤してからです。またこの時点では、まだ にいなちゃん も 礼君 も産まれてはいません。しかしこの頃からいた生徒や関係者ならば、トイレが中2階にしかないことから、この家の中2階以降の構造を知り得た関係者がいたことは充分考えられるわけです。また宮沢家の構造が、一階に事務所兼子どもたちの勉強部屋となっていた理由も、この家を建てた当初は公文教室を一階で行うためだったからだとわかります。昔の教え子が年末に訪ねてきたとなれば、遅い時間でもスリッパを出して招き入れた可能性だってあるわけです。そういった疑問だった様々なことが、この説だと説明できてしまうのです。個人的には、泰子さんへのストーカーと、槍玉にあげられていた生徒の話は切り離して考えた方がいいのではないかと考えている。いずれにしててこの話は、はたして真実なのだろうか?

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泰子さんが槍玉にあげて侮辱していた生徒が犯人で、実は、恨まれていたのは杏さん。というのは、何か辻褄が合わないような気がします。第一、未成年者が犯人で8年前となると11歳~です。11歳でストーカー行為はしないでしょう。

泰子さんに恨みを持つ公文生の犯行として、動機面は納得できても、遺留品はどうなりますかね。未成年者の塾生の犯行にしては、ラグラン、スラセンジャー、染料、アメリカの砂、三浦海岸の砂、挙げ句モナザイト。何か、かけ離れているような!?

入江杏さんが本の出版と引き換えに犯人を知っていても言わないというのは、ありえないと思いますが。本なら自費でも出せますし、何しろ妹夫婦一家を惨殺した犯人ですよ。知っていたらすぐ警察に言いますよ。捕まらなければ自分たちが次狙われる危険もあるのですから。

該当記事を読ませて頂きましたが…、う~ん…といったところです。
報酬が本の出版とありますが、杏さんは他の出版社からいくつか著書を刊行されていますし…。
警察と公文側の取引とありましたが、4人殺害の凶悪犯を見逃すほどの取引材料とは?と考えると
恒久的な天下り枠くらいしか思い浮かびませんが、そんなことあり得るのでしょうかね。

個人的にみきおさんの名前をあきおさんと間違っていた部分がなんとも言えない気分になりました…。

ただ、引っ越し前のストーカーの存在が確かなら気になる部分ではありますね。
泰子さんへの電話の件もありますし、そこはあながちガセとは思えない印象は受けました。

No title

泰子さんの話から、何故急に杏さんになっている部分が説明に矛盾を感じます。ストーカーは? 槍玉にあげていた生徒は? の部分で疑問が。

仮に泰子さんをストーカーしていた人物のせいで塾を移転させたのであれば、むしろ生徒よりも昔の職場だとか、昔交際していた相手だとか、そういった人物だったのではないかという気がします。そんな生徒を、その後も教えていたわけもないと思うので。

槍玉にあげていた生徒の話って、それこそ作者の妄想かなにかで、仮にいたとすれば当然他の関係者から名前が出てきて浮上すると思うのです。そこからは、いても犯人にはたどりつけなかったのでしょうから。

杏さんは、公文式の生徒かどうかは別にして、何か心当たりがある人物はいた可能性はあるのではないかと。しかし夫の仕事の関係だとか息子の友人だとかでも、確信が持てる根拠もなく警察に話せなかった、そんな人物がいたかもしれないというのも、勝手なこっちの想像でしかないレベルの話です。

ただしこの事件のきっかけが、入江家絡みの接点から宮沢家の存在を知り得たというのは可能性として充分ありえると私は思っています。

この話はストーリーを構築するために、いろいろな話を引き出して繋ぎあわし、自分の論理に持ってきている印象は否めません。ただし元塾生だとすることで、いろいろな事件の説明ができてしまう存在なのも、また否定できない事実ではないのでしょうか。

No title

泰子さんから侮辱を受けた生徒の親の犯行だとしたら、泰子さんだけ損傷が激しいのも、障害があった息子さんには刃を向けてないのも、遺留品に関しても納得できるような。
20代の親ならスケボーやストリートファッションも違和感ないですし。
でもまあアイスやトイレで脱糞など、とにかく謎すぎます。。。

No title

犯人が複数犯だった場合に、親子、もしくは親子のような間柄の人間だったという可能性はあったと思います。

No title

犯人は公文の元生徒 ってはぁーとため息がでました。
みんなそう思うのだなぁと 私もそう思いました。
事件当日 車が駐車されていたとありましたが、
もしかしたら無免許でも運転できるしなぁと思ったり
元生徒…なぜかうなずけるお話、納得です。

No title

事件当初の掲示板などをみると、真っ先に疑われたのは塾生や関係者でした。しかし徹底的に調べるうちに、すべてが事件に関係ないことが裏付けされたとも訊いています。

もちろんここに出てくるような話が本当にあれば、部外者の知るよしではないでしょう。ただしこの事件の捜査をみていると、やっぱり犯人がわかっているのではなく、限りなくたとりづけていないのではないかと感じます。
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世田谷一家殺害事件 の犯人像について、モナザイト の主観で事件を考察します。

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