遺留品は、御苑ではありません

私は犯人が残していった遺留品は、捜査の撹乱を誘うために、あらかじめ残すことを前提に買い揃え置いて行ったのだと考えていました。しかし遺留品一つ一つを調べてみると、確かに足のつきにくいものばかりですが、そこからは犯人の生活臭がして来るものばかりです。私は、遺留品は意図して置いて行かれたものではなく結果的に置いていってしまった可能性、あるいはわざと置いて行ったとしても、犯人の自己顕示欲の一環で捜査を撹乱させるためのものではなかったという気がしてきたわけです。その理由について、今回は考えてゆきます。

何故このように考えたかというと、犯人は返り血を浴びたラグランシャツを脱ぎ捨てて行きました。これは、何度も洗濯された跡があり、けして事件のために用意したものではないことがわかっています。しかしこれに関しては、予想外に返り血を浴びてしまったから脱いでいったとも考えられます。しかし他にも、現場に残していった二枚のハンカチも、何度も洗濯されていた形跡があるというのです。この辺から、ひょっとして犯人の遺留物は、本当に捜査を撹乱させるためのものだったのか?という疑問が出てきたわけです。今回は、1つ1つの遺留物をもう一度見直して考えてみることにしました。遺留物が、どんなものだったかは、こちら を参照してみてください。

トレーナー(ラグランシャツ) 2000年8月製造、9月から11月まで販売

いやゆる当時キムタクが「ビューティフル・ライフ」で着用していたのと、同タイプのものとして知られています。興味深いは、何度も洗濯した形跡があり、色あせてクリーム色になっていたということ。車庫に残っていた染料3種類のうち・2種類の染料が付着。トレーナーの染料には溶けた形跡がなく、付着してからは洗濯が行われていないものとみられることから、染料は事件直前に付着した可能性がある。ということは、犯人は仕事あるいは趣味などで染料を使ったあと、そのままその服装で現場にやってきた(普段は洗濯しているのに)可能性があるわけです。そのため事件当日、あるいは前日ぐらいに染料を扱ったあと、現場に来て(恐らく風呂には入らず)事件を起こしたことがわかります。事件当日は、年末の土曜日だったことを考えると、年末の土曜日でも染料の仕事があった人物か、趣味で染料を扱っていた人物であることがわかります。

帽子(クラッシャーハット) 1999年9月以降に販売されたもの

犯人は、バイク乗りだったのではないのか? という意見がよく出てきます。しかしあなたがバイク乗りだったら、どのようなヘルメットを被りますか? そう顔は見られたくないので、フルフェイスのヘルメットを被るのではないのでしょうか? 簡易なヘルメットにクラッシャーハットを被ることは無きにしもあらずですが、フルフェイスのメットにクラッシャーハットを被ったら、うまく入らないか、入っても違和感があってしっかりメットが被れないでしょう。そこからも犯人が、バイクを乗ってきた可能性は低いと私はみています。

黒い防寒手袋(ボア付きグローブ) 1998年から2000年に1万755組

犯行時に使用された形跡がなかったと言われる手袋ですが、犯人の血が内側にべっとり付いていたと言われています。すなわち犯行後に一度手袋をつけながら、廊下に投げ捨てるようにおいていったわけです。私が考えるに、家族殺害後いったんは付けたものの、傷の手当をしたあとでは、うまく手袋に手を通すことができなくなったからではないかと考えます。以前は一度家を出た犯人が、再度侵入した時に投げ捨てて行ったものだとも思ったのですが、中に血が付いていることを考えると、そうとは考えづらいものであることがわかりました。

さてこの手袋は、かなり厚手で防寒対策をされたもののようです。もしこの手袋を付けて現場まで来たとなると、これでバイクを運転したとは考えづらいものがあります。もしバイクに乗ってきたとするならば、それは原付きぐらいまででしょう。逆にこれだけ防寒を意識してきたということは、犯人はある程度の距離を手を出して移動しなければならなかった可能性があると考えられます。そうバイクでないとするならば(さっきのヘルメットの問題からも)、それは自転車であった可能性があります。

事件のあった2000年12月30日の東京の気温は、最高気温7.5度・最低気温は2.2度と、真冬並の温度だったことがわかります。しかしもし歩いて移動したり、車に乗って移動するのにこんな分厚い手袋を持参するでしょうか? 私ならばポケットに手を入れたりして、寒さを凌ぎます。しかし侵入するためには、手袋を使ったのではないのか? 侵入経路にも逃走経路にも、犯人の指紋が残っていなかったことを考えると、手袋を使ったのでしょう。しかしこんな細かい作業ができないような、分厚い手袋で事件を起こそうと思ったんですかね? まぁだからこそ事件の際には、仕様した形跡がなかったのでしょう。 じゃ礼君の首を締めた時は、素手だったということでしょうか? しかし事件現場での指紋を見ると、手を怪我した後の指紋しか現場には残っていないように思えるのですが。現場に残っている指紋の少なさからも、これ以外になんか別の手袋を使用した可能性が考えられます。

柳刃包丁   2000年6月に1500本製造していたもの
ヒップバック 1995年から1999年にかけ関東地区のディスカウント店などで2850個販売された

犯人はどうも柳刃包丁を 現場に残された黒いハンカチに包みながら、ヒップバックに入れて持ってきたのではないかといわれています。そう考えられる理由は、黒いハンカチには、その時に付いたと思われる包丁の形状と一致する無数の穴が空いていたこと、これは、ヒップバックも同様だったといわれています。

さて、この 柳刃包丁 は、本当に事件の直前に買われたものだったのでしょうか?この包丁を、事件直前に買った男の似顔絵が、警視庁のHPで公開されています。何故これに疑問を持っているかというと、犯人は何故黒いハンカチに巻いて現場を訪れたのかが疑問だったから。 ましてヒップバックを通りぬけ、刃先が時々出ていた可能性があったわけです。しかし犯人だって普段から刃先がハンカチを突き抜け、ヒップバックから覗いていたとわかっていたら、このような危なっかしい持ってきかたはしなかったと思うのです。ということは、犯人が当日、ヒップバックをつけながら、かなり無理な動きをした時に突き抜けたのものだと。その無理な動きとは、浴槽の窓からの侵入を意味したのではないのでしょうか。そしてそれまでは、ハンカチもヒップバックも包丁は突き通してはいなかったのではないか(少なくてもヒップバックからは)と私は考えます。

何故そう考えられるかというと、もしですよ刃先が顔を覗かしているようなヒップバックを、他の人に見られたら通報されるかもしれない。それでもフラフラ歩いていたら、完全に通り魔の類で危険人物だと悟られます。ましてそのような状況だったら、進入時に自分の体を傷つけてしまう危険性を感じたはず。そんなことがわかっていながら、包丁を入れてきたとは思えません。すなわちヒップバックを突き通して刃が覗いたのは、まさに宮沢家に侵入するときであり、犯人としては想定外だった(あるいは本人は最後まで気がついていなかったのかもしれません)可能性も。しかし一つ気になる情報があり、バッグの外側と内側には2枚のハンカチと同じく、刃物による二十数か所の傷があったということ。これだと、私の仮説は崩れるわけで、その日の移動の際に、20数カ所もバックから包丁が顔を出したということでしょうか?

ところで何故、包丁を直前に購入したのではないのかもと考えたのかと言いますと、どんな安物の刃物を買おうとも、買ったあとに直に客に渡す店など絶対にありません。すなわち包丁は刃先が外に出ないために、箱に入れられているか、何か切れない素材に覆われた形で渡されたはずです。

もし直前に包丁を購入していたのであれば、包丁を買った時の箱に入れたままヒップバックに入れて来るとか、刃先を覆うものが付いてきていたのならば、それに刃先を覆ってヒップバックに入れてくればいいわけです。何故それをしなったですかね? ここで考えられることは3つ

1、すでに包丁を購入してから日にちが経っていて、箱や覆いを捨ててしまっていた。

2,箱を入れてでは、ヒップバックに入らなかったから

3,包丁そのものが、自分の持ち物ではないものを持ちだしたから


3、に関しては、何処からか盗んだということがない限り、持ち主に疑われてしまうのではなかったかと思われます。これが違うと考えられるのは、包丁自体を現場に置いていったことからもわかります。あと考えられるのは、すぐにでも取り出せる状態にしておきたかったという理由も考えられます。

さてこのヒップバックですが、「アメリカ西部ネバダ州のラスベガス付近にある砂漠の砂」と思われていたが、カリフォルニア州の砂の可能性が高いことが分かった。ということからも、犯人はヒップバックを普段から日常的に付けていたことがわかります。このバックは、1995年から1999年にかけ関東地区のディスカウント店などで2850個販売された。遺留品のバッグも日本国内で販売されたものであることがわかっており、遺留品の中でも長い期間犯人が日常的に使っていた愛用品であった可能性が高いわけです。もし盗品だったり誰かから譲り受けたものではなかったとしたら、事件のために用意されたものとは考え難いことがわかります。このヒップバックに関しては、車庫の中にあった染料と同じものが検出されていることからも、誰かから譲り受けた、誰かのものを盗んだということになると、それは みきおさんのものだった可能性がありますが、みきおさん自身この染料を仕事などで使用したケースはなかったそうです。その辺を明らかにするためには、みきおさんの渡航歴などを調べれば、より明らかになるでしょう。しかしそういった話がないことを考えると、少なくても宮沢家周辺の人間の持ち物ではなかったことがわかります。

バッグの表面からは日本ではほとんど流通していない、硬水によく溶ける特種な洗剤とみられる成分も検出された。このことから、犯人または周囲に「日本国外の渡航歴がある人物」の存在が論じられている(読売新聞 2005年11月21日付)。また洗剤が検出された部分と同じ場所から蛍光物質も検出されている。これは、この付着した染料を洗い流そうとした形跡なのでしょうか?

トレーナーやヒップバッグの内側に赤色系の蛍光剤(染料)が付着していた染料は、みきおさんが大道具や取引先の企業へのプレゼンテーションなどで蛍光剤を使用していた可能性があるとみられていたが、後の捜査で被害者自身は仕事などで使用した形跡がないことも判明した。この情報が確かならば、みきおさんの持ち物だったものを盗み出して使用していた、あるいは譲り受けたものの可能性は低いわけです。ここから考えられるのは、犯人がかなり長い期間日常的に使用していたものの可能性が高まってきます。

今回は取り上げないものの、ジャケットなども含めて遺留物は、犯人が日常的に使っていたものの可能性が高まってきました。そして包丁に関しても、本当に事件直前に被害者宅から比較的近い地域で購入したものかどうかも、少々怪しいのではないのかと? そしてヒップバック自体が、1995年から1999年にかけ関東地区のディスカウント店などで2850個販売された。遺留品のバッグも日本国内で販売されたものだということになると、少なくても犯人は、最低でも1999年には日本にいた人物の可能性が高いのではないのでしょうか(しかし長い期間売れ残っていた可能性も否定できない)。

いつも云うようにこの事件の犯人は、一時的に日本に犯罪を起こすためにやってきた、流しの外国人犯罪者とは、違っている可能性が高い。そのことが、これらのことからも推察できるわけです。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
プロフィール

monazite

Author:monazite
世田谷一家殺害事件 の犯人像について、モナザイト の主観で事件を考察します。

最新記事
月別アーカイブ
最新コメント
カテゴリ
負け犬の遠吠え
FC2拍手ランキング
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR