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遺留品の意味

世田谷一家の現場で、犯人が残していったヒップバック。その中から検出された染料は、学生がよく受験勉強などに使うピンクのラインマーカーだったのではないかと警察は発表している。このヒップバックは、1995年9月~1999年1月にかけて全国35都道県で販売されいたようで(関東圏でも入手できた)、かなり使いふるされたものだったという。犯人がいつの時点で入手したかはわからないが、仮にこのラインマーカーが受験勉強の時期に付着したとしたら、犯人の年齢は1995年の時点で18歳だと仮定すると2000年当時は23歳。1999年の時点で18歳だったとすると19歳ぐらいだったことになる。犯人が現場に残した血液から年齢を割り出すと、16歳~22歳 ぐらいだったとされており、大方これと合致する年齢だとわかる。ちなみに高校受験のときに付着し15歳だったと仮定した場合、事件当時は16歳~20歳ぐらいだったことになる。

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また犯人がヒップバックを使っていたのは、バイク乗りだったからではないかという話もある。もしそうだとすると、すでに10代のときから二輪の免許を取得し、これを利用していた可能性も高まる。ただし写真でみると、思いのほか大きく腰につけるのにはちょっとかさばり過ぎではないかとも思わなくはない。それでも様々な遺留品が中から発見されていることからも、誰かのものを譲り受けたか盗んだものだったということでなければ、かなり長い期間愛用していたものではないかと。

またこのヒップバックと同様に、現場に残されていたマフラーは短く子ども用だったのではないかとも言われている。すなわち犯人は、結構服装など格好に無頓着で育ってきた人間であり(事件前に意識が変わってきていたのかもしれないが)、物持ちのよい人物だったのかもしれない。またラグランシャツも2000年8月に製造されたものの割には、何度も洗濯され色あせしていたという。それだけに犯人は、日常的に使っていたものを現場で残していった可能性が高いのだ。けして事件のために、購入したものばかりではなかったようなのである。

ということは、犯人がこれらのものを大事に思っていたかは別にして、何かしらの過去への決別的な意味が遺留品には込められていたのではないかと私は思うのだ。ひょっとしたら、事件を起こすことで大金が入る予定があり、新しいものに買い換えるつもりだった。あるいは、もう事件後は生きているつもりはないので、これらのものは必要なくなる。そういった、もう自分には不必要なものという心理が、これらのものを意図的に現場に残していった理由ではないのだろうか。そしてこれらのものを意図的に置いていったと考えられるのは、犯人は家にあった宮澤さんの服に着替えて逃走した形跡があるからである。犯人は慌てて逃走したわけではなく、意図的に遺留品を置いていった可能性が極めて高い。

(問題行動を起こすようなタイプではなかった?)

例えば犯人が札付きのワルだった場合、それまでに何度も問題を起こし警察にお世話になって指紋をとられていただろうということ。しかし警察が所有する指紋データに、これと合致するものはなかったという。警察は公にはしていないが、交通違反などで収集した指紋なども、独自に保存してデータベース化している可能性がある。こういった情報は、裁判の証拠能力には乏しいが犯罪捜査にも大いに役立つ情報だからだ。仮にそういった情報を駆使していたとしても、犯人が浮かびあがることはなかったし、その後も一切事件を起こすことなく今に至っている。

またときには、高速道路の通行券や現場近くの駅で利用された切符の指紋さえもかき集めたものの、犯人に合致するものは出なかったという。しかし一つ気になるのは、警察が京王線沿線・あるいは 調布 などの地域をマークした理由として、合致した指紋が実は出ていた、そんなことがあったのかもしれない。ただし逆に何も出てこなかったからこそ、公共機関は利用した形跡がないとしてバイクを使用したのではないかと考えたのかもしれない。

もしくは、現場に残された遺留品がバイク乗りを彷彿とさせるものが多かったからこそ、そういう判断をしたとも考えることができる。また現場近くのNシステムやオービスからも、怪しい車を見つけられなかった。だからこそバイクならば、これらに引っかかることなく移動できたと判断したのかもと。というのはバイクのナンバーは、オービスでは判別されないがNシステムでは判別されるという話もあり、Nシステムに引っかからないで移動できる地域として、調布などが浮かびあがってきたのかもしれない。いずれにしても警察は、ありとあらゆる方法を駆使して、犯人を探したに違いない。それでも、犯人は浮上することはなかった。事件から何年も経ってから、お台場でバイク乗りが連日指紋の提出を求められたなんて話もあるので、警察は犯人がバイク乗りだったという確かな証拠を掴んでいるのかもしれない。

(実は誰でも良かった?)

「ASKAの事件簿」さんのところに情報を寄せてくれていた 公園近くさんの書き込みによりますと、この事件の前から

現場からさほど遠くない場所に通信関係の高層の社宅棟があります。
この社宅のことですが、住民の子どもに対し危害を加える、という内容の脅迫状が届いていることがわかりました。


その脅迫(血のメッセージ)が壁に書かれた保育園に通う子供の一家が惨殺された事は偶然なのかな?

と記されている。もしこれらの脅迫とこの事件が関係があったとすれば、犯人の当初の目的は、人を殺してみたいという衝動が前提にあり、それほど 宮澤家 にこだわっていたわけではなかったのではないかということ。そのためその条件に合致するのであれば、どの家族でも良かったのではないかということも考えられる。そんな中、犯人の欲望にもっとも合致した、あるいは事件を起こせそうな条件が揃っていたのが、偶然にも公園隣に住んでいた 宮澤さん一家だったのかもしれない。

(無秩序型の快楽殺人)

私は以前から、この事件は 無秩序型の快楽殺人 だったのではないかと述べてきた。仮にそうだと仮定すると、犯人の欲望を満たす対象であるのならば、特に 宮澤さん一家の誰か であった必要はなかったのではないかということになる。というのは、無秩序型の犯罪特徴として

犯人が前から知っている人間を犠牲者に選ぶことも多いが、その場合も年齢・性別などはたいして重要視されない。犠牲者への接近も電撃的。背後から近づき、いきなり力ずくで襲い掛かる場合もあるし、突然銃で撃ち殺すことさえある。犠牲者は何の警戒もしていないので抵抗のしようがない。

そのため家族の誰かを目的にしたというよりも、一家全員を殺害するということに意味があったのではないかということ。だからこそ、わざわざ一家が全員揃っているタイミングで事件を起こしたのではないかと。 そして何故、宮澤さんが? という疑問を持つ人も多いだろうが、それほど犯人にしてみれば宮澤さん一家である必然性はなく、犯人の欲望を満たす対象が揃っていたのが宮澤さん一家だった、たったそれだけの理由だったのかもしれない。動機は何?といえば、単に人を殺してみたかった 人がどんな風に事切れるのか観てみたかった そんな常識では計り知れない身勝手な理由だったのかもしれない。そう考えると、なんともやるせない気持ちになる事件なのだ。

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侵入経路は限りなく特定されている

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世田谷一家の事件において、まず犯人は何処から家に入り込んだのか? この最初の疑問でさえ、未だに謎とされている。しかしこれに関しては、警察は早くから把握していたのではないかと考えている。というのも、犯人しか知り得ない情報として、あえてお茶を濁しているのではないかと。ただし、それを特定する(裁判の証拠能力として使える)ほどの、確かな痕跡を発見するまでには至っていない。それゆえ浴室の窓からだと、断定しきれないというのが、現状ではないのだろうか。

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というのも上記の写真は、事件直後に鑑識を行っている映像を拡大したものである。よくみると、窓縁には黒い足跡らしき形のものが。そして給湯器の上にも、その上に乗ったような跡が白く残っている。私の知り合いは、まず給湯器の上に乗って、給湯器の上のススか土埃かわからないが、その汚れの着いた足で窓枠を踏んだのではないかとの意見を寄せてくれた。確かにそうであれば、この足跡が白いのと黒いののと違いが生じていることも説明できる。

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その一方で気になるのは、給湯器に乗った同じ足で、どのようにして窓枠に足を置いたのか?という疑問が残るのだ。私は左足を給湯器の上、右足を窓枠のところに置いて風呂場の窓を開けて侵入したのではないかとみている。少なくても警察は、ここに残っている足跡らしき跡が現場に残されていたスラセンジャーの足跡と同一、もしくは同じサイズのものであったかは、この初期の鑑識の結果でわかっているはずなのだ。しかし警察が明らかにしているのは、公園側のフェンスの向こうに、犯人らしき足跡が残っていたというまでである。すなわち侵入は断定できないが、逃走時には浴室の窓を使ったのではないかということは匂わしているのである。ただし、逃走時に窓枠や給湯器の上を踏んだというのは、正直考えづらいものがある。それは逃走時に窓の前で立ち上がる必要性がないし、これだと身体を後ろ向きにして降りたことになる。ちなみに公園側の足跡も、犯人のものだと断定できるほどハッキリしたものではなかったのだという。

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おそらく警察を悩ましたのは、ここから侵入したという決定的な証拠を家の中からは発見できなかったからではないのだろうか。実は浴室の中にも、つま先のみの足跡は残されていたのだという。しかし部分的なものであり、これが犯人の靴跡だと断定できるほどのものではなかったという話が残っている。そしてスラセンジャーの靴跡は、中ニ階の途中から突然始まっているように見えたという。その詳細はわからないが、FBI捜査官サファリック氏の出演したときのものにヒントになるものがある。その時の靴跡までも再現されていたテレビ朝日が作成したCGには、足跡は浴室の更衣室のあたりから始まっているように見受けられるからだ。突然とは、この更衣室のあたりから子ども部屋の入り口付近ということを意味しているのではないのだろうか。

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またこれが侵入時だとわかるのは、もし逃走時ならば家の中で散々被害者の血液を踏んだはずの靴だったわけで、ルミエール反応が検出されたはずなのだ。しかし警察がいうには、家の外からは一切のルミエール反応を見つけることができなかったとされている。これだけ明らかな痕跡が残っていたのであれば、警察は侵入時に着いたものなのか、逃走時に着いたものかも把握済みのはずなのだ。そして靴を履き替えて逃走したのであれば、窓枠に靴のような跡はハッキリとは残らなかったのではないのだろうか? 普通逃走するのであれば、窓枠に腰掛ける感じで座り、足を下に伸ばし前を向いて降りるはず。いずれにしても靴跡の向いている方向で、どちらのときに着いた跡かは、把握しているものだと考えられる。

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捜査本部が、犯人の侵入経路をを浴室の窓から入ったと考えていることは間違いない。というのは、06年までに全国の警察署に「世田谷一家殺害事件の捜査のポイントをまとめたDVD」を配布している。その中に、侵入経路は浴室の窓からだと、身内に配布する資料の中で述べているということが明らかになっている。少なくても決定的な証拠まで掴んでいるかは定かではないが、捜査本部はそういった方針でこの事件を見ているということは明らかだ。それならば何故、再現実験までして確認しようとしたのか(それも事件から3週間ぐらい経ってから)? それはやはり、侵入したという明確な痕跡(証拠になりうる)を家の中で見つけられなかったと考えるのが自然ではないのだろうか? また玄関からも、犯人が出入りした痕跡を見つけられなかったからに違いない。

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少なくてもこの事件の最初の謎とされる犯人の侵入経路に関しては、浴室の窓だったということで私の中では固まっている。そしてその最初の確信になったものは、侵入時に顔を覆うのに黒いハンカチを使ったとされているからだ。もし顔見知りであれば、顔を隠して玄関から家の中に招き入れられたとは考えづらいからである。顔を隠していたということは、玄関からであったとしても招き入れられたのではなく、犯人は家人の意志に反して侵入したことを意味しているのではないのだろうか。

可能性は青学生だけなのか?

久々の更新になりますが、最近「世田谷一家殺害事件」の考察の記事の中で、1つ大変興味深い推理をされている人の記事を見かけた。

この方の推理によると、遺留品の多くが、小田急・本厚木駅で揃うこと。そして当時、祖師谷公園からほど近い千歳台6丁目に、青山学院理工学部 の校舎があり、ここの学生だったのではないかと。1年生のときには本厚木駅を最寄りとする厚木キャンパスへの土地勘があり、事件当時は 青山学院理工学部 の学生ならば、充分その可能性があるという話が展開してゆく。それには、なるほどなと思える部分があった。

そこで私は、他にも本厚木周辺に大学がないか調べてみた。そんななか今も存在するのが、東京農業大学・厚木キャンパスである。調べてみると、農大の厚木キャンパスは、1998年に世田谷のキャンパスから今の 本厚木周辺 へと農学部が移転しているのだ。そのため青学理工学部とは逆パターンで、元々は世田谷のキャンパスに在籍していた人間が、厚木キャンパスへと移った、そんな可能性も考えられるのではないかと。

以前取り上げたときに、警察は 調布・狛江などの地域を重視しているとの話に触れたことがある。また、事件前日に 小田急・経堂駅近くのスーパーで、包丁を購入したのではないかという話にも触れた。しかし、そこから 本厚木 や 経堂 とが繋がる接点。あるいは、その中間にある、調布や狛江との関わりが、どうしても私には繋がらなかったのである。

しかし、東京農大の農学部 ということで考えると、これらが、1つの線として浮かび上がってくる。というのは、農大の世田谷キャンパスは、最寄り駅の1つに小田急の経堂駅があり、駅から延びる通りを 農大通り というぐらいなのである。仮に犯人が、農大の学生ならば、ある意味馴染みの地域だった可能性が出てくるのだ。

まして自宅が調布近辺であれば、実は 事件現場の祖師谷公園の北側の道を通って、一回程度曲がるだけで経堂の駅前に着くというわかりやすい土地柄でもある。またこの公園北側のバス通りをしばらくゆけば、環八にぶつかる。ここで曲がって南下すれば農大キャンパスの近くまで行けるし、まして走り慣れた人間ならば、公園中央を貫く宮沢さんの家の前の道路を通ってもっと早く着くルートを知っていたのかもしれない。そういった意味では、犯人がバイクを使って日常的に祖師谷公園周辺を通っていた可能性も現実味を帯びてくる。

そう犯人が、農大の農学部の学生として世田谷キャンパスに数年通った経験があれば、現場は通り道だった。あるいは、経堂での買い物も、調布あたりの住民でも充分ありうることになるのだ。そして遺留品の多くを、事件前に 本厚木 周辺で購入していたことにも合点がゆく。調布や狛江の人間が、なぜ経堂で包丁を購入するのか? あるいは、宮沢さん一家をなぜ知り得たのか? 1つの可能性として 青学理工学部とも遜色のない接点が、農大の学生でも成立するのではないかと思うのだ。

また事件前の動物虐待事件とも絡めると、農大の農学部には農業や園芸などとは別に、畜産学科 というものも存在する。そういった動物への歪んだ好奇心から、農大への進学を決意したことも無きにしもあらずかと。同校では、「授業ではテーマごとに動物を研究するうえで基本的な道具である顕微鏡の使い方を習得したり、解剖や観察をおこなって動物のからだの構造を理解します。」などがあり、犯人の好奇心と合致するものがあったのかもしれない。

そして犯人が、狛江よりも調布近辺に住んでいた場合、非常に乗り換えが多く距離のわりに経堂や本厚木にゆくのが面倒なのがわかる。これならバイクで通った方が良い、そう考えても不思議ではない。大学を入学した頃は、電車を使って経堂などの駅を使って通学していたのかもしれない。しかし大学生活になれると、バイクの免許を取得して校舎まで乗りつけていたなんてことも充分ありうるのではないのだろうか。ただしこの場合、97年の時点ではすでに農大の学生だったということになる。97年~2000年まで大学に在籍。当時大学4年生になり、卒業を間近に控え事件を起こしたことになる。すでに卒業後は、この地を離れる、あるいは外国での勤務などが決まっていた。今後の進路が定まっていた人間によって、行われた可能性も否定できない。このことはあくまでも可能性の一つではあるが、頭の片隅に留めておきたい。

ちなみに余談にはなるが、経堂の駅前の子育地蔵や農大の周辺には、なぜか地蔵が多い・・・。

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世田谷一家殺害事件 の犯人像について、モナザイト の主観で事件を考察します。

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