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未解決である理由

過去何度も目を通したことのある記事だが、改めて 穂高 健一氏がまとめた世田谷一家の記事を読み直してみた。そこで、新たなことに気がついたので考えてみたい。

穂高氏の記事には、大人6人、未成年者3人に、それに 公園管理事務所の担当者 から話が聞けたと文中に記されていた。未成年者の3人は、3人とも取材当日にスケボーをしていた仲間だと考えられる。この3人から話しを訊くまでは、犯人に結びつくような手がかりは見つけられなかったと書かれていた。

殺害された当日、宮沢みきおさん(44)の姿があるビデオに写っている。生前の最後の姿だろう。いまは警察が保管する。提供者は、ここ六年間にわたり、マスコミには映像の存在を一言もしゃべっていない。「はっきり映っていましたよ。いまでも覚えています。報道写真でよく見る顔です。警察も、宮沢さんだと認めていました」と、最近になって教えてくれた。

この映像は、みきおさんとスケボーをしていた若者が揉めていた 事件当日(12月30日のお昼頃)のことを指していると思われる。そしてその場所とは、警察関係者のお偉方が立って檄を飛ばしていた場所。そここそ、宮沢さんと犯人との接点があった場所なのだ。つまり、一家4人が殺された犯行へとつづく原点なのだ。 と書いてあるとおり、ジャンプ台などの先にある藤棚のあたりだと推測できる(みきおさん家の前の道路の正面あたり)。この周辺を撮影していたと考えると、一般の方が何かを映していたものに偶然映りこんだのではなく、恐らく管理事務所に設置されていた防犯カメラではなかろうかと。そしてコメントしているのは、恐らく 公園管理事務所の担当者 だと推測できる。

文脈から考えるに、二人が揉めていた映像が直接映っていたかはわからないものの、みきおさん と にいなちゃん が、この防犯カメラの前を通ったのが映っていたのではないかと。男とみきおさんが揉めたのは、スケボーをしていた男がにいなちゃんを轢きそうになった、もしくは接触したからだと他の目撃情報からもわかっている。そのため、防犯カメラに映ったすぐ後の出来事ということになる。

管理事務所にある防犯カメラが何処にあり、どの辺までを映していたのかの詳細はわからないものの、恐らく管理事務所入口付近から、その周辺を撮影していたのではないかと。上記の写真だと、左側に見える自動販売機の裏あたりが、管理事務所の入り口付近。その近辺に、防犯カメラが存在していたのではないのだろうか? というのも、防犯カメラを設置する意味として事務所に侵入された場合、その人間を撮影するため。あるいは、入り口付近に当時から自販機があれば、これを荒そうとした人間がいた場合それを収めるため。はたまた、決められた時間を守らずに滑っていたボーダーを把握するために設置された、そういった目的があったのではなかろうか。

しかし角度によっては、スケボーのジャンプ台付近は映っていても、その奥にある藤棚の方で揉めていてもその様子までは収められてはいなかったかもしれない。恐らく穂高氏は、この管理事務所の担当者からみきおさんが映っていた時間帯、この3人組の若者の話しなどから判断して、みきおさんと男が揉めていた事実や場所を知ったのではないのだろうか。文面の曖昧に感じられる書き方を見る限り、二人が揉めていた姿はビデオには収まっていなかったものと私は考える。

仮に管理事務所の入り口付近に防犯カメラがあったとして

1、実際に二人がもめていた場面は収められていなくても、当日スケボーを行っていた人間は複数映っていたのではないのか? そしてその中には みきおさんと揉めた男 も映り込んでいた可能性があるのではないかと。

2,事件発生時間帯の、23時20分ぐらいに若者がたむろっていたとしたら画面に収まっていたのではないのか?

3,23時35分~40分 ぐらいに目撃された、飛び出しマンの姿も映っていた可能性があるのではないのか?


仮にそこに映っていたとしても、事件を解決する糸口には結果的にならなかったからこそ未だに未解決になっているのだろう。特に当日23時20分頃たむろっていた若者達は、未だに誰だったのか掴めていないのだという。仮に飛び出しマンが彼らの仲間であれば、画面にも収まっていた可能性があるのではないかと。男を轢きそうになった家族連れは、振り返ったらすでにその姿はなかったというので、この管理事務所側の公園に入っていったと考えられるからだ。しかし、彼らと飛び出しマンに接点があったと匂わせる情報は全くといってない。それでは仲間じゃなかったとしても、彼らはこの怪しい人物と遭遇しなかったのだろうか? そして、宮沢家からの叫び声や不審な物音なども耳にしなかったのかは気になる。しかし、当日たむろっていた若者達自体が見つかっていないのではどうしようもない。別の見方をすれば、この日だけ偶然集まっていた連中か、事件後は全く公園に寄り付かなくなった輩だと考えられる。そうでなければ、彼らが誰だったかその後判明していたはずなのだ。その後姿を見せなくなったとしたら、事件に関係のある何かを見てしまった可能性。もしくは、事件に何かしら関わっていたことも考えられる。

3人の若者の話から、一つの太い線の推理が浮上してきた。他の情報と重ね合わせると、『犯人は日本人で、なおかつ18歳未満の青年』という犯人像に導かれた。同時に、『さほど土地勘がないだろう』という一つのキーポイントが生まれた。

この3人が本当のことを話しているのであれば、当日 みきおさんと男がもめていたのを目撃していたということにもなる。そして、それほど土地勘のない18歳未満の青年 というのは有力な目撃情報となったはずだ。ちょうどこの頃捜査本部も、スケボー犯説を重視し京王線沿線の若者にターゲットを絞ったと報道されている。しかしその後どうなったかの続報がないのは、警察がその若者までたどりつけなかったのか? それとも男にまでたどりついたものの事件とは無関係だったことがわかったのかのいずれかだろうということ。

きっとこのスケボー青年達にも警察の捜査は及び、幾つかの目撃情報で得た似顔絵などを見せたはずなのだ。その中には、恐らく経堂の包丁男や成城橋でたたんでいた男。はたまた、飛び出しマン などもの似顔絵も含まれていたのではないのだろうか?そして事件から5年ぐらい後に、警察はスケボーをやっていた若者が有力だとして京王線沿線の若者に絞り捜査を行った過去がある。そこに至ったのには、捜査陣に引っかかるものがあったからこそ、ここまで具体的に絞って捜査方針が定められたのだろう。

(ただし気になることも)

文中に、こんなものがある。提供者は、ここ六年間にわたり、マスコミには映像の存在を一言もしゃべっていない。「はっきり映っていましたよ。いまでも覚えています。報道写真でよく見る顔です。警察も、宮沢さんだと認めていました」と、最近になって教えてくれた。 

もし管理事務所の担当者ならば、度重なるボーダーによる騒音問題に対し、みきおさんから相談を受けていて顔見知りだったのではないかということ。そしてもう一つは、管理事務所の防犯カメラであれば公のものであり、提供者は という表現を使うのに疑問も残るのだ。しかし当日一般人が、管理事務所周辺を撮影していたというのも、考えづらいものもあるのだが・・・。

(その一方で)

若者のボーダー達から得た情報として、その揉めていた男とは、『犯人は16歳から18才』 『さほど土地勘がないだろう』 という重要な証言を引き出している。そこでこれと合致するような目撃情報に、ひとつ気になるものがある。それは、実際虐待された動物の診察を行った動物病院の医院長の話しである。

そしてこの院長が話すには、2年ほど前、動物虐待をしている現場を目撃 したという。「夜中1時すぎに、近くの草むらを長い棒で叩きながら歩く少年を見た。そうやりながら、野良猫を捜し出し、追い回していた。当時は高校生くらいに見えたが、その頃から虐待動物がしばしば発見されるようになった」

このインタビューがいつ頃を起点とした話しなのか? 2年前というのは、インタビューをした時の2年前(それでも事件前だったはず)か、事件の2年ぐらい前のことを指しているのだろうか? 当時から高校生ぐらいに見えたということは、当時16~18歳に見え、事件当時は 18~20前後だったということだろうか? もし若者たちが知っているスケボー男が、割合若くみえるのであれば、年齢的には重なる部分がある。もちろんこのボーダーや動物虐待男が、世田谷の犯人とは限らないのだが。

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(ラインマーカーから考える)

ヒップバックの内側に付着(正確に言えば飛び散っていた)していた染料は、学生などがよく使うピンクのラインマーカーの類ではなかったかと警察は結論づけている。そのため事件の近い時期に、受験勉強などに使用していたのではないかと考えているようなのだ。

ここから推測するに、大学受験などに失敗し浪人中だったような人間。あるいは受験は終えたものの、夜に外出を気にしない同居家族のいる若者か1人暮らしをはじめた学生。大学受験を終えているとすれば、大学には入学したものの、あまり馴染めずにほとんど学校に行かなくなったものなのかもしれない。警察はどうも、そのへんの人間を犯人像として絞り込んでいるフシがある。その場合にひょっとすると元々地方出身者で、学校や受験を諦め実家に戻る前に事件を起こし帰郷してしまった人物という可能性も無きにしもあらずではないのだろうか。

(沖田臥竜氏の文章を考え直す)

先日ご紹介した  沖田臥竜氏の記事には、こんなものがあった。

警視庁は、犯人が既に死亡している可能性も含めて捜査を行っている。事件直後の2001年1月以降、世田谷や狛江、調布など周辺で起きた自殺や死亡事故を捜査したこともあったという。

一般にはあまり知られていないが、警察機関は社会で起きる「死亡情報」をほとんど把握できていない。そもそも、死亡者のデータベースがないのだ。

 事件や事故であれば警察が扱う案件となるが、病死の場合、警察はまず関与しない。また、通常の自殺や交通事故による事故死では、DNAや指紋を採取することもない。それらを扱った書類資料にしても、長期間に渡り保管しておくわけではない。

 世田谷一家殺害事件の発生から何年も経過してから、事件直後にあった自殺事案を調べ直したところで、既に当時の資料はほとんど残されていない状況だった。また、警視庁は、あくまで東京都内を管轄する警察機関である。仮に犯人が東京都外で死亡していたら、それを知り得ることはできない。

 それでも、警視庁は、事件当時に世田谷や調布などに縁があり、他県で死亡した人物がいないか、情報収集しようとしたことがあった。


また 島根県立大1年の平岡都さんの事件のように、ピンポイントで容疑者を絞り込めていれば、犯人の容疑を証明できる可能性はあるかもしれない。しかしその場合は、被疑者家族の協力があったり、被疑者の持ち物がそのまま保存されていなければ難しかもしれない。しかしそういった絞り込みが一切できていない、あるいはできたとしても家族の協力を得られなかった場合は立証は難しいということ。

また仮に犯人が日本国内で生きていたとしても、絞り込めるだけのものがない限り、県をまたぐとできる捜査というのは限られたものになってしまっているのではないかということ。そう上記にも記した通り、大学をやめて地方に戻ってしまった人間などは、その捜査の手が及ばなかった可能性は捨てきれないのだ。もちろん地道に情報を集めて、事件後引っ越したもの、犯人の条件に該当する若者などは、県をまたいでも追跡したであろうが、そこには警視庁管内とは違い制約があったのではないかと推測する。未解決になるのには、証拠が充分でなかったということだけでなく、障壁となる何かが存在する場合が多いのではないのだろうか? この事件を考えるとき、そういったものを強く感じざるえないのである。

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黒ムツさんからのメッセージ

前回ご紹介した 沖田臥竜氏が書いた 「世田谷一家殺害事件20年目の真実」。ここでは、幾つか気になる話が書かれていた。今回は、まずその話を前提に別の角度から検証してみたい。

経堂の男は犯人なのか?

事件前日に、小田急線・経堂駅前のスーパーで犯人が包丁を購入したことがわかっていると書かれていた。このことの詳細については、以前ここでも詳しく取り上げたことを前回記した。男が包丁を物色していた時間帯がよくわからないが、その男は黒ずくめの服装で殺気だち、ブツブツ怒りながら包丁を物色していたのだという。しかし、警察が用意した犯人のシルエットからも、男の髪の毛はフサフサだったのではないかと述べた。

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しかし、現場に残されたヒップバックの中からは、短髪の髪の毛が発見されている。もしこの男が犯人だった場合は、事件直前に髪の毛を短くして犯行に及んだか、元々短髪だった髪を伸ばしたまま犯行に及んだのかのいずれかではないかと書いた。その一方で、警察が最も重要視する目撃情報が、同じく事件前日の15時頃に小田急・成城学園前駅の近くにある成城橋付近で、現場に残されたシャツにヒップバックなど、良く似た服装の男が目撃されている。男は170センチぐらいで、短髪で彫りの深い顔立ちだったのだという。そしてこの目撃情報が重要視されているのは、宮沢さん一家がちょうどその頃、家族で渋谷の映画館にゆくために成城学園前の駅を利用していたことがわかっている。そして事件当日の21時ぐらいには、宮沢さん宅の近くでよく似た男が歩いていたのを目撃されていたからだという。

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私は過去、この似顔絵の左上の男こそ、経堂で包丁を購入しようとしていた男。右上の男こそ、成城橋で佇んでいた男。そして左下の男が、飛び出しマンの詳細な似顔絵なのではないかと書いてきた。さて、ここで一つ考えてもらいたい。経堂の包丁男も・成城橋の男も、事件前日の目撃情報である。二人が、同一人物だったいうことはありえるのだろうか(似顔絵を見る限りは、全然別人に見える)? しかもこの二人は、髪型も全然違う。そして経堂の男は、黒ずくめの服装だったと目撃者はコメントしている。しかし成城男は、白地に紫のラグランシャツのような現場に残されたものに似た格好をしており、12月なのに寒そうな格好をしていたので目撃者の記憶には残っていたという。そう、服装もぜんぜん違うようなのだ。

もし30日の午前中あたりに、経堂で包丁男が目撃されたとする。そして散髪を終え服装も着替えて宮沢家に向かう。そして家族のあとを追いかけるようについて行った後に、15時ごろ成城学園前で目撃された。物理的には不可能ではないと思うが、かなりこの2つの目撃情報を繋げるには無理があるようにも感じるのだ。あるいは、二人は共犯者だったのか? しかし無理やりそう考えるよりは、別々の有力な目撃情報として捉える方が自然なのではないかと思う。短髪の髪の毛がヒップバックから見つかっていることを考えると、少なくても現場に侵入した男は、三人の中で唯一短髪である右上の男が有力ではないかと思うのだ(あくまでも似顔絵が私の予想どおりだった場合)。またこの三人の目撃情報においては、しっかり顔が目撃されていたわけで、その情報を元に似顔絵を警察は作成しているはずで、それがこの3つの似顔絵だったのではないかと私は考えている。まして今の技術であれば、DNAから顔を復元して、この中の誰に一番近いかも捜査本部は割り出すことができているのかもしれない。

調布と経堂への接点

前回の記事では、経堂で包丁を購入したというだけでなく、調布が犯人との関わりが深いのではないかと書いた。しかし経堂から調布までには6~7キロぐらいの距離があり、容易には歩ける距離ではない。また鉄道でも、小田急と京王線と路線が違っている。すなわち、調布に住んでいるものが小田急沿線の駅周辺を使おうとすると、徒歩や鉄道という選択肢は考え難い。公共交通機関を使うとすれば、両線を結ぶバスを途中に使ったことになる。それ以外だと、やはり自分でバイクなり車を使う方法だろう。また自転車で6,7キロは、けして行けない距離ではないがちょっとした買い物にゆくには遠すぎる。

しかしバイクとなると、15分~20分ぐらいで行ける距離なのだ。そこで、次の地図を見て欲しい。地図の右下にある経堂の駅から、真ん中を走る環八(真ん中の黄色の大きな道)を横断し、画面左の真ん中から伸びる調布を通る甲州街道(黄色の大きな道)。この間の道のりは、事件のあった祖師谷公園の前を通って、一回程度曲って道なりに走ればつけるわかりやすい道なのだ。さほど土地勘がなくても、事前に地図で確認しておけば、容易にたどり着ける場所となる。

もっと具体的に書けば、経堂の駅前からのびる118号線という道路を道なりに走れば、上北沢1丁目というところで左に折れ・あとは道なりに走って環八を横切り・祖師谷公園北のバス通りを抜けてゆくと調布のある甲州街道にぶちあたるのだ。もちろん土地勘のある人間ならば、もっと短いルートで行き来することもできるだろう。そう考えると、日常的に調布に住む人間が小田急の経堂を利用する、あるいは成城学園前の店を利用するというのは、バイクなどがあれば容易にできる移動手段だと考えられる。そして日常的に、祖師谷公園の前を通っていたという可能性も浮かび上がってくるのだ。ちなみに経堂から比較的近くには、東京農大・日大文理学部・国士舘大学などの大学もそう遠くない場所に存在する。現場に残された遺留品が、バイク乗りを彷彿とさせるものが多く、日常的にバイクを使って移動していたと考えると、いろいろと見えて来るものが違ってくる。警察がことあるごとに、バイク乗りを引き込んで指紋を集めている理由が、そこにあるのかもしれない。

黒ムツさんからのメッセージ

私は事件後に書かれた 黒ムツさん二度目の書き込みは、実際書いたのが犯人かは別にして、実に私の思い描く犯人像と合致しているのだ。そしてこの男からは、犯人ではないと知り得ないことまで書き込んでいたことに驚かされると過去何度も書き込んできた。そんな中、私の元に驚くような情報がもたらされた。

その前に、今回改めて黒ムツさん二回目の書き込みの最初を引用してみたい。

463 :黒ムツ:2001/02/04(日) 14:19

黒ムツです。 私が 旅行に出ているあいだにくだらない書き込みご苦労様です。
私はうれしいです。たかが4人殺したくらいでこんなにスレッドが立つなんて
なんだか 久しぶりにネットにつないで 2ちゃんのみなさんにびっくりしました。
私はあのニアミスを起こした飛行機に乗り合わせていました。たまたまです。

あの時は私の起こした殺人で数秒だけどのくらいの人が亡くなるのだろうと思いました。
しかし、私たちは助かった私は警察に感づかれていないかと思いながらも
羽田空港を後にしました。いつ見つかるかと思うとすごいスリルでした。

私は確かにあの家族に恨みを持っていました。本当にあの大分の事件のように
ちゃっちゃっと殺したい気持ちでやりました。家族全員が死んだおかけで、
私はこのように生きていられるのかなと思うと、日本の警察も甘い甘いと笑える部分もあります。
しかし今まででこんなにスレッド立ってるのは2ちゃん始まって以来でしょうね。
私は絶対捕まりません。なにもかも計画通りに行っているからです。
捕まるときは、しげのぶさんみたいな時期が来てからでしょうね。
ほんとに警視庁は名だけということがよくわかりました。
まっ人間誰でも自分だけ幸せになれればいいんだろうけどね。

(ニアミスを起こした飛行機)

あのニアミスを起こした飛行機とは、 恐らくこれは、2001年1月31日に起きた、日本航空機駿河湾上空ニアミス事故 を指しており、100人以上の負傷者が出た惨事でした。さてこの頃になると警察は、徹底的に2ちゃねるなどの書き込みをチェックしていたはずで、当然警察の目に留まることを前提に書いたものと思われます。

なぜこの男は、この事故について突如触れたのか? は正直疑問でした。当時話題になった大惨事だったので、それに便乗した書き込みなのかとも思っていました。これだけ具体的にかけば、当然その便に誰が乗っていたのかは乗客名簿を調べた可能性があります。とは言っても、乗客名簿の情報など適当に書いても、それを照合することなく飛行機に乗れるのでたいした問題ではないかもしれません。しかし自分が特定される可能性がある情報を、あえて危険を冒して教える意味はなかったでしょう。実際にこの便に黒ムツさんが乗っていた可能は低く、別の意味が込められていたことなど、私は深くは考えてはいませんでした。

ところが先日、このブログのコメント欄にある書き込みがなされたのです。あのニアミスした飛行機とは、みきおさんが事件直前まで製作していた、模型飛行機 の JALドリームエクスプレス21 だったのではないかと。ちなみに、模型飛行機の話の概要を抜粋すると

川本喜八郎氏から(「から」ではなく「に」の誤りでは?)(宮沢さんから?)十数年ぶりの電話があったのは、事件約1カ月前の11月。「年末までに旅客機の模型に色を塗ってほしい」との依頼だった。みきおさんの会社が、大手航空会社に旅客機の機体のデザインを変更する提案をしており、その関係とみられる。その(「その」ではなく「そこで」ではないのか?)川本氏は、模型制作会社を紹介した。模型制作会社は旅客機の模型2~3機に赤と青の塗装を施し、事件直前の年末、みきおさんの会社に納入した。 

こう考えないと、誰が発注して誰が請け負ったか意味が通らない。みきおさんから、恩師である川本氏に相談。そして川本氏の紹介で、模型会社を教えてもらい機体の塗装を発注。そして事件直前にその塗装が完成し、みきおさんの会社に納入されたということなのだろう。私は当初、みきおさんが副業で模型の塗装を車庫の中ででも行っていたのかと思っていた。しかし実際は、みきおさん(会社)側が、模型会社に塗装を依頼したという話だったようなのだ。

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ちなみにこの時ニアミスを起こした飛行機こそ、その後2001年度中に ドリームエクスプレス21"SWEET"号 となったとされている。そう、みきお さんが、模型の塗装を依頼した実物が、"SWEET"号なのではないかということ。そして、この SWEET"号 の機体が、赤~ピンクを基調としたデザインになっていることがどうにも気になるのだ。事件当日には犯人が侵入した形跡のない、宮沢家車庫内にあった引き出しに残されていた赤色の染料。そしてそれと同じ染料が、犯人の遺留品からも検出されていたのは偶然だったのか?、長らくこの事件の謎とされてきた。

しかし最近になって捜査本部は、この染料は蛍光ペンがヒップバックの内側に付着しただけのものと結論づけている。果たしてこの染料は、SWEET"号 のデザインとは本当に無関係だったのだろうか? そして黒ムツさん二回目の書き込みでニアミス事故に触れたことと、みきおさんが製作依頼した機体が合致したのは偶然の一致だったのだろうか? あえて黒ムツさんが、ニアミス事故を話題を出したのには、自分こそ本当の犯人だとわかる人間にはわかるように示したかったのではないのか? 果たして捜査本部は裏付けをとったり、そもそもこの一致に警察自体が気がついたのだろうか?その上でヒップバックの中から発見された染料は、受験勉強によく使われるピンクのラインマーカーだったと結論づけたのだろうか? 

あるジャーナリストが書いた記事

今年のゴールデンウィーク中に、「世田谷一家殺害事件」の捜査状況や現状を伝える記事が3回に渡って掲載された。この記事の筆者である 沖田臥竜氏 という人は、裏社会や警察事情に精通した作家・ジャーナリストだそうで、実に客観的な視点から書かれた記事だった。しかし慎重に言葉を選びながらも、作者にとって何か気になることが散りばめられているものを感じた。しかもその気になるものとは、断定的に扱うことができないものであり、それでも捜査関係者がこだわってきたもなのではないかと。一体気になるものとは何だったのか、私なりに検証してみた。

前編・3ページ目 充分な聞き取りができなかった

今回の記事に限らず以前から言われてきたことだが、現場からは大量の遺留品や指紋・DNAなどが発見されていたため、事件直後の現場周辺からは充分な聞き取りができていなかったとこの記事でも指摘されている。またここには書かれていなかったが、大規模なローラー作戦を敢行するために、聞き取り経験の未熟な機動隊員などを動員したために、情報を掴めなかったり地元住民との信頼関係が築けずに有力な情報を拾えなかった可能性も指摘されてきた。

今回の記事では、現場近くにあった医療施設や現場周辺で行われていた工事関係者らへの本格的な聞き込みも、事件が迷宮入りしてから行われたため、十分なものができる状況ではなかったという。と記されている。今回筆者は、この聞き取りの不十分な相手の中でも、かなり具体的なものをあげてこのことを問題視しているのだ。ちなみに祖師谷公園周辺の医療施設となると、最も近いのが至誠会第二病院。あるいは、発達障害などに造形の深い昭和大学付属烏山病院 などがあげられる。

以前から問題視されてきたのが、精神病院や精神障害者に対する捜査が進まなかったことだった。そこには、患者への人権という壁もあり、充分な協力が医療関係者や患者家族から得られなかったことがこの記事からも見え隠れする。その中に仮に犯人になりえた人物がいたかもしれない、そんな疑念を晴らすことまではできなかったことを、筆者は捜査関係者から耳にしていたのではなかろうか。

もう一つ今回始めて浮上してきたのが、工事関係者の話である。具体的に著者は何か気になる情報を掴んでいたのかもしれないが、少なくても宮沢家周辺の地域は都による土地買収によって多くの住民が引っ越していった。そのことからも、ひっきりなしに建物の解体業者や工事関係者が行き来していたことは想像に難くない。その作業の中で、宮沢家のことを知り得た人物、トラブルがあった人物、あるいは宮沢家自体の移転に関わった工事関係者などがいたのかもしれない。その詳細はわからないが、何か気になる話を捜査関係者や取材の中で知ることがあったのかもしれない。

私はこのブログを始めた当初から、あの浴室の窓から入るという発想は、トビや工事関係者など日頃から高所を上がり下りしたり、建物の出入りを内外から繰り返しているものならば容易にできる類のものだと指摘してきた。私が以前元トビの人間と仕事したときに、足場も掴まるところもほとんどない、建物の外壁をスルスルと昇って3階部分にまで一瞬で上がっていたのを目の当たりして驚いたことがある。そういった経験を日常的にしていた人物ならば、あの浴室の窓から入ろうという発想や実際行動が可能だったことも充分にありえたのではないかと書いてきた。工事関係者から充分な話が聞けていないという話は、今思えば大きな見落としに繋がりかねない事案だったのではないかと私も思うのだ。

中編 1ページ目 事件前日に経堂駅で包丁が売られていたこと

事件に使用されたものと同じ 関の孫六の刺し身包丁 は、都内の複数の箇所で入手が可能であったことが明らかになっている。そして吉祥寺で事件前日に包丁を購入した男は、似顔絵となって一般にも情報が求められたことがある。そんな複数の情報の中から、なぜ筆者はこの経堂の話をピックアップしてきたのだろうか?

この経堂駅の目撃情報については、以前に私も記事にしたことがある。その目撃情報を抜粋すれば、

「犯人は、犯行前日に小田急線・経堂駅付近のスーパーの2階で包丁を買ったことがわかっているんです。私はそこにいたんです。妻とフライパンを買いに。そこで、明らかにキレている20代の男を見たんです。殺気立っていて、兎に角、普通じゃない。体は細いんですが筋肉質で、全身黒い服で…。包丁を見ていたおばさんも、その男が横に来ると直ぐに逃げるくらいでした。私は、あの黒尽くめの男が犯人だと今でも思っています」

ここで気になるのは、この証言の冒頭にも 犯人は、犯行前日に小田急線・経堂駅付近のスーパーの2階で包丁を買ったことがわかっているんです。と、目撃者の方が断定的な言い方をしている点です。ようは、捜査関係者も数ある包丁に関わる話の中でも、この経堂での目撃情報を今でも有力視してみているのではないのか? そのことが、今回の筆者の記事にも反映されているのではないかと感じます。

ただし私の記事の中でも触れましたが、この人物が犯人だと仮定した場合、この男は髪の毛はフサフサであった可能性が高いということ。現場に残されたヒップバックの中からは、短髪の髪の毛が発見されており、もしそうだとすると事件直前に髪の毛を短くして現場に侵入したことになります。もちろん、あえて他人の髪の毛を混入させた可能性もありますが、DNAが他の遺留品と一致しているので、それは考え難いはずです。いずれにして捜査関係者は、この人物が事件前日に包丁を購入したという話を重視していたのではないかと感じます。

中編 1ページ目 現場付近の世田谷、杉並、調布、狛江といった東京23区西部側に土地勘のある人物

捜査本部が現場周辺から23区の西側に興味を持つことは、遺留品の入手可能な場所からも想像できるものがある。特に事件との関わりとしては、世田谷はもちろん杉並の名前が出てくることはそれまでもあった。しかし今まであまり話題にされることがなかった 調布狛江という具体的な地名が出てきたのは驚いた。調布であれば最寄りの電車は京王線になり、狛江ならば小田急沿線ということになる。ただしこの犯人の遺留品などをみてみると、普段は鉄道よりもバイクや自転車などの乗り物で移動していた印象で、あまり鉄道を利用していなかった人物かもしれない。そしてこの調布と狛江の中間あたりに住んでいる人物であれば、両方の沿線の店を使っての行動も充分に可能だったろうということ。経堂のお店は、近所でも包丁などを多く揃えていることが知られているような存在だったのだろうか? 

そして捜査本部は、2006年度ぐらいには京王線沿線に住む若者に絞ったなんていう話もあったことを考えると、この中の地域でもかなり調布という場所に何かを掴んでいたのかもしれない。というのも、この著者の文章も後編になると、世田谷や調布など と狛江と杉並を省略していることからも伺える。杉並や狛江の可能性よりも、世田谷の現場周辺から調布付近に捜査の熱量が注がれていたことを、筆者も感じ取っていたのではなかろうか。

(まとめ)

今回筆者は、具体的なことは何もわかっていないとしている。実際のところそうなのだろうが、取材をする中で作者自身が感じた、もしくは捜査関係者の中から、いくつか気になる話を聞けていたのかもしれないということ。それこそが、未だに疑念が潰しきれない 医療施設工事関係者の話が聞けなかったこと。経堂でぶつぶついいながら、殺意を発しながら包丁を物色していた男(今回の記事には具体的な話は掲載していない)の行方。そして男の陰を追ったら、調布周辺に行き着いたのかもしれないということ。もちろんこれらは私の勝手な想像ではあるが、過去に明らかになっている情報と重ね合わせると、この筆者が引っかかったものが何だったのか? その繋がりをこう関連づけることもできるのではないかと考えた次第です。そしてそれこそが、捜査本部が20年ものあいだ思い描いた犯人像だったのではないのだろうか。しかしもしその線が有力だったとしても、その足取りを掴めないまま20年もの月日が流れていったという事実だけは今も変わらない。

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世田谷一家殺害事件 の犯人像について、モナザイト の主観で事件を考察します。

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