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新たなる証言

世田一家の本スレとは別に、事件から15年後に立ち上げられた一つのスレッドが気になった。そのスレッドとは、15年目最後の考察 00/12/30  。ここに記されている2つの証言は、私自身知らないもので興味深かった。


(第一の証言)

119 :朝まで名無しさん:02/10/31 08:42 ID:8GkgkFN/
「明快に説明」という意味がよくわからないけれど、事が事だけに
酒の肴になるような話題ではないことは確かだ。周辺に居住する者
にとっては未解決イコール進行中の事件といって過言ではない。

現場に行けば一目瞭然の事だが、宮沢家の外憂が何だったかは明白。
公園管理事務所前の広場から藤棚のあるベンチ周辺にかけて設置を
された物体、そしてソレを利用する人たちのこと、利用される時刻、
このことが最大の問題でありトラブルの対象だったと考えられる。
都内には同様の施設が設置されている公園があるのを見かけるが、
いずれも施錠可能で夜間には利用できない管理が施されている。
あの現場ケースではどうだったか? 24時間の使用が可能であり、
故に近隣だけでなく遠方からも宮沢家の周囲に駐車されていた車両
のナンバーからも推測するに容易い。
また、それらの駐車車両によ
り片側通行になっていた。このことは宮沢氏が個人としてだけでな
く公共的な問題として義憤を感じていても不思議ではない。
 宮沢家の風呂場の下にフェンスがある。通称「汽車ポッポ公園」
と呼ばれている遊具施設のある公園との境界線の場所に畳一枚分ほ
どの大きなベンチ
があった。事件前、このベンチの上には近くのコ
ンビニ(セブンイレブン)の袋や食品のゴミ類が散乱していた。
あの事件の十日前、そのベンチは突然、撤去されていたが近所の人
は宮沢宅が公園管理事務所と掛け合ったのだと思った。

この件に関しての裏付けを警察は質問しても何も語らないのは不思
議に感じる。
あの大きなベンチを誰が撤去したのだろうか。
もし、犯人が逃走する際にあのベンチがあればフェンスから飛び降
りる時に着地台として利用できるはずである。または犯行時にあの
ベンチに誰かが腰を下ろしていると屋内の音が聞こえるだけでなく
目撃者と成り得る可能性を避けた、ということも考えられる。

<この書き込みの重要なポイント>

1,かなり遠方から人が集まっていた

20年前の事件当時は、今のようにスケボーができる施設は充実していなかった。まして24時間滑れる場所というのは、かなり貴重な存在だったのは確かなのだろう。しかしスケボーのメッカとされる、渋谷の宮下公園 などではなく、このちょっと郊外にある祖師谷公園にまで滑りに来るというのは、どんな人物なのか?

(1)ローカルスケーターであり、そこまで腕に覚えがない

(2)渋谷よりも祖師谷公園の方が近かった


のではないかと。(1)を強く感じさせるのは、スケボー愛好者のジャンプ台などがあった管理事務所側ではなく、道路挟んで向かい側の宮沢家裏のぽっぽ公園側で滑っていたことからも伺うことができる。本当に腕に覚えがあるのであれば、管理事務所側で滑る機会が多かったのではないかと。そこには邪魔されず滑りたいというよりも、まだ腕に自信の無さげな様相や後からやってきた よそもの の遠慮を感じなくもない。

もう一つは、渋谷からもさほど遠くない祖師谷公園にあえて滑りに来ているということは、家が渋谷の宮下公園よりも祖師谷公園の方に都合の良い場所に住んでいた可能性だ。犯人は、祖師谷公園周辺やより郊外から来ていたのではないかということ。ただし祖師谷公園の北東側に位置する杉並方面や、南西側に位置する川崎市に隣接する地域には、当時スケボーができる施設が不足していたこともわかってきた。

manyuarudai 1

2,畳一枚分ほどの大きなベンチ

ここで大きなベンチと表現されていたのは、おそらくスケボーに使われる マニュアル台 と呼ばれるものだったと思われる。私は当初もっと高さのない平べったいものを思い浮かべていたが、公園近くさんはこれを 縁台 と表現し、この方は 大きなイス だと書いている。すなわち、イスや縁台に見えるぐらいに、ある程度の高さと大きさがあったことが伺われる。

manyuarudai 2

ここで大事なのは、公園近くさんの 縁台 とは違う表現でこれを 大きなイス だと書いている点である。すなわち、書き込みの主は公園近くさんではなく、別にこの マニュアル台 らしきものの存在を気に留めていた人がいたのではないのだろうか。そして複数から同様の証言があるとすれば、かなり信憑性も高くなってくる。

3,事件の10日前に撤去されていた

公園近くさんも、浴室の窓の下にあった縁台が、事件前に突然姿を消していたことを書かれていた。しかしこの方は、それを10日前という具体的な日数をあげて説明しており、この話は私自身知らなかった事実である。もっと事件に近い、数日前の話だと思っていたからだ。

4,警察は何も語らない

重要な情報として、あえて一般人に語らなかったのか? それとも、そういった事実を確認できていないから語らなかったのかは定かではない。そしてこの マニュアル台の話は、公に出ることはなく今に至っている。もしこの目撃情報が確かならば、相当有力な物的証拠になりうるものであり、警察は必死にこの マニュアル台 の行方を探したはずなのだ。しかし捜査陣からは、そういった情報を集めようとしている形跡すらないのは不思議にさえ思う。そして管理事務所側も、その存在を把握していなかったようなのだ。それとも把握していても、警察によって箝口令が引かれていのか? もし管理事務所側が知らなかったとするならば、みきおさんと協議した上、これらを撤去したわけではなかったということになる。


(第二の証言)

宮沢さん宅裏手の公園内では昨夏、若者グループが一晩中騒ぐなどしたことが何度かあったという。
「朝、散歩していると酒の缶とかゴミが散らかって、その周りで若い人たちが寝ていて怖かった」(近所の主婦)。
宮沢さん一家が、若者たちの騒音問題に悩まされていた可能性は低くはなさそうだ。


事件前の夏頃ということで、この話と 宮沢さんと暴走族 が揉めた話とは繋がって来るのだろうか? 酒の缶 が転がっていたというという話からも、その主は10代半ばよりも、むしろ20歳前後の年齢を彷彿とさせる。ゴミが散乱していたなんていうのは、公園近くさんが記した 「縁台の上や周囲はゴミ類が散乱していました。」という証言と重なるものがあります。両者は、同じ時期のことを言っているのか? 何度にも渡り、ゴミが頻繁に散乱しているような光景が観られていたのかは気になります。また事件後の現場周辺について、公園近くさんは特徴的なゴミ(どんなものかは不明)は捜査後もそのまま残っていたと書き記していて、捜査の杜撰さに疑問を呈していました。このことからも、ゴミの散乱は事件の直前にも見られたのではないかと私はみています。

(ルールーを守らないボーダー)

以前は24時間解放していた祖師谷公園のスケボー広場だったが、ボーダー達との話し合いで時間が決められるようになったとされている。しかしそのルールを守らないで、時間外でも滑りに来る若者がいたと近所の人の証言でも残っている。そういった輩とみきおさんとの間に、トラブルを抱えていた可能性は想像に難くない。

そもそも、この大きな マニュアル台 をどうやって運搬してきたのかということ。そう考えると、こういったものを持ち運べるということは、複数の人間が何かに乗せて持ち込んだのではないかと思うのだ。よほど近所から、若者達が直に持ち込んだものなのか? それとも、車などを使う人間が仲間の中にいたのかということになる。この マニュアル台 の運搬に関わっている人間には、18歳以上の年齢のものが含まれていたのではないのか? バイクの無免許はあっても、車の無免許する若者は、そう多くはいないだろうから。個人的には、ルールーを守らないボーダーとは10代半ばぐらいをイメージしていた。しかし実際には、もう少し年齢が高い連中だったのかもしれない。

(ボーダーの印象)

事件後の世田谷スレを読み進めていると、当時祖師谷公園にたむろっていたボーダーは、単にスケボーが好きな若者という側面だけでなく、近くを歩く人を睨みつけたり威圧するような危ない類の若者がいたと書き込まれている。特にルールを守らず大人の宮沢さんと揉めるとなると、かなりタチの悪い輩がいたことは否定できない。

(事件発生時刻にはたむろっていた)

犯行時刻とされる23時20分頃には、バイト帰りの女子大生が管理事務所近くのジャンブ台付近に若者達がたむろっていたことが目撃されている。現場に行って思ったのは、おそらく女子大生は管理事務所北側の、バス通り側で迎えの車を待っていたことが想像される。そしてそこから数十メートル先ならば、そういった連中が見える位置であることも確認済みである。彼らが事件と関わっていたかは定かではないが、とても夜になると静かな場所だったとのことで何かしらの異変を感じなかったのかには疑問が残るのだ。深夜に訪れた知り合いによると、宮沢家を見下ろすように立っている住宅地の生活音すら公園には聴こえて来るほどだという。ましてそれよりも遥かに近くにある宮沢家から、響く声や物音が彼らの耳に届かなかったことなどありえたのだろうか?

(事件当日お昼頃にスケーターとみきおさんが揉めていた)

事件当日のお昼頃、スケボーをしていた若者が、にいなちゃんを轢きそうになった(あるいは実際に接触したのかもしれない)。そこで みきおさんは、子供に謝れとつめより、一触即発の状況だったと近所の人の目撃証言として残っている。すなわちそれが、事件を引き起こす、大きな引き金になったのではないかということ。そのことは警察も重々承知のはずで、徹底的に調べたが犯人までたどりつけなかった。あるいは、事件とは無関係だったことが捜査の末わかったのかもしれない。

(ただし何かが引っかかる)

しかし事件の10日も前に、マニュアル台が姿を消していた。それを処分したのが、以前から揉めていた みきおさんだと思い込み(実際処分したのが誰かは不明)、恨みを強めていった。そして事件当日には、歩いている二人を見かけて挑発。そして揉めた末、事件を起こした。確かに若者の衝動的な犯行だとすれば、ありえない話ではない。

しかし、この マニュアル台 が事件に使用されたとすれば、少し趣きが変わってくる。例えば事件当日に、いかにしてあのフェンスに昇り、浴室の窓から入り込んだのかには謎が多い。そしてなぜか犯人は、浴室の窓から逃走する時に、すぐ下の宮沢家の敷地には着地せずに、公園側に着地したのかの理由がわからない。それを可能にするには、マニュアル台 を事件に使用したとすれば説明がつくことになる。もしこの事件にマニュアル台を使用したのならば、事件を起こそうと思ったのは少なくても公園から姿を消した10日ほど前の段階だったことになる。みきおさんと揉めたことが直接な要因ではなく、もっと前から事件を起こそうと画策していたはずなのだ。それは、事件前日に成城橋付近で遺留品そっくりな格好した男が目撃されていたり、包丁の購入もそれより前に行われていた可能性が高いこと。さらに、遺留品の多くがあらかじめ置いてゆくことを前提にしていたのならば、もっと遥か前から、この事件を起こしてやろうと準備を進めていたことになる。

setagaya 33

(ボーダーとは別の連中の仕業ではないのか?)

以前にも書いたが、マニュアル台があったのは侵入箇所だと推測される、宮沢家の浴室窓の真下だったという。おそらくこれは、使わないときは目立たないように公園の隅に置いておこうというのが当初の理由だったのだろう。しかし、こんな公園の一番隅の明かりも乏しい暗がりで、普通なら騒ごうとは思わないだろう。公園の敷地内には、他にもよっぽど明るく広く座れるスペースが近くにあり、わざわざここで長時間騒いだり話したりするのに適した場所だとは思えないからだ。すなわちここであえて騒いだ(ゴミを多く残した)のは、明らかに 宮沢家を挑発していた輩がいたからではないのだろうか。

しかしながら、自分で苦心して作ったマニュアル台の上に ゴミを乗せたりするだろうか? 人の作ったものの上を汚し、そのままにする仲間がいたら、俺なら許さない。少なくても近くにゴミを散乱させてたとしても、台の上にゴミを放置などさせないだろうということ。そうじゃなければ今度来た時に、自分がそのゴミをどかして使わないと行けなくなるから。すなわち、マニュアル台 を用意したボーダー達と、事件を起こした集団は別ものだったのではないかという疑いだ。

むしろ事件現場にボーダーの痕跡を残したのは、あえてボーダーに疑いがゆくように仕向けたのかもしれない。そして事件に使用するために、ボーダーの使っていたマニュアル台を事件前に持ち帰り、事件当日に再び持ち込んで使用したのではないかということ。幾らボーダー達を調べても犯人に行き着かなかった理由に、何か別の存在がいたからではないかと思うのである。

(犯人は)

ボーダーが事件に関わっていた疑いは確かに強いのだが、結局犯人まで行き着くことはなかった。しかし私は、事件前にマニュアル台の近くでゴミを散乱させた連中が、事件に関わっていたのではないかという思いは強い。彼らとボーダーが同一人物であれば単純な図式だったと思うのだが、彼らとは別にも みきおさんと揉めていた連中がいて、嫌がらせを繰り返したり恨みを強めてゆき事件にまで発展していってしまったのではのだろうか。それこそが、夏頃に 酒の缶とかゴミを散らかし、その周りで寝ていた若者達と同一の集団(あるいはその中の一人)だったということはないのだろうか。

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雑感

最近、世田谷一家の事件のことを考えていて、少し気になることが幾つかあったので取り上げてみたい。

sura.jpg

(何故靴は置いてゆかなかったのか?)

世田谷一家殺害事件において、犯人は多くの遺留品を現場に残していった。その中で明らかに持って帰ったものとしてあげられるのが、ズボンと靴である。しかし靴に関しては、足跡から 英国の会社からライセンス契約をもらった韓国製・スラセンジャーのテニスかバスケットシューズだと断定された。しかしこの靴は、現場には残さなかった。

その一方で、この靴を履いて出ていったのかには疑問が残るのだ。というのは、家族の血を家の中で散々踏んだ跡が残っているのに、家の外からは全く 血液反応 が出ていないからだ。ひょっとする犯人は、靴を履き替えて逃走した可能性すらあることになる。

まるで警察を挑発するかのように現場に大量の遺留品を残していった犯人。なぜ犯人は、靴は持ち帰ったのか? 男は返り血を大量に浴びたことで、家にあった みきおさんの シャツや上着を着て逃走した形跡が残っている。しかし小柄だったみきおさんに対し、犯人は170センチ前後はあっただろうと想定されており、残された靴跡は28センチと大きい。ズボンとシューズに関しては、履き替えて逃走できずに断念したからだとも考えられる。

しかし私には、大きな要因が別にもあるのではないかと。というのは、もし犯人がバイク乗りだった場合、シューズにはギアを変える時の痕跡が残るからだ。犯人は、自分を特定しうる可能性があるシューズを、意図的に持ち帰ったのではないかということ。あるいは、バイク乗りはくるぶしまで覆うタイプの靴を履くことが多く、現場に侵入したスラセンジャーとは違うものを運転のために履き替えて逃走したのではないのか? そう、普段からスケボーやバスケなどをするために、バイク用のシューズとは別のものを常に持ち歩いていたとは考えられないだろうか? 大量に返り血で汚れていたので、持っていた別の靴を履いて家をあとにしたのかもしれない。

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(ネット検索)

犯人が宮沢さんの家のパソコンで、劇団四季のサイトをみてチケットを購入しようとしたという話はよく知られた話である。また大学の研究室のサイトや科学技術庁(現・文部科学省)のサイトなど、専門色の強いサイトを閲覧していたことがわかっている。しかし現場のマウスには指紋を残していたものの、キーボードには一切指紋は検出されていない。すなわち犯人は、あらかじめ みきおさんが お気に入り に入れていたサイトか閲覧履歴があったものを、ただ覗いただけなのではないかと。それも5分という短時間であったことを考えると、犯人が興味を示したサイトは、劇団四季 のサイトぐらいだったのかもしれない。それもその後は一切インターネットを接続した形跡は見当たらない(翌日10時の接続は会社のトップ画面から動かず)。それほど犯人のネット接続には、大きな意味があったのかには疑問が残るのだ。

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(地蔵)

事件から100日後に、現場近くに置かれた地蔵。これは、未だに誰が置いたものなのかは定かではない。そんな折、犯人が残していったヒップバックの中からは、なぜか三浦半島の砂が検出されたとされている。最近横須賀の どぶ板通りの入り口に、延命地蔵尊 という、地蔵が100体近く安置されている不思議な場所があることをしった。どぶ板を訪れる人達の中でも、ここに足を踏み入れる人はなかなかいないレアな名所。ひょっとしたら犯人は、この場所から一体ぐらい持ち出しても、誰にも気づかれないで盗み出すことができたのかもしれない。またあの地蔵には、何かしらのメッセージが含まれている可能性も捨てきれない。穂積驚 という直木賞作家が、この地蔵尊をこよなく愛したという話が残っているが、事件と何か関わりはあるのだろうか?

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(ヒップバック)

なぜ地蔵尊の話になったかというと、米軍横須賀基地からほど近い場所にある どぶ板通り には、米兵が使っていた払い下げ品が売られたりしているからだ。犯人が軍隊に関係ある人物、もしくはそういったものに興味がある人間だったとしたら、ここを利用した可能性はあるのではないのか? ひょっとしたら三浦半島に訪れる前に、ここで ヒップバックを購入。その後 うみかぜ公園などを訪れたことで、三浦半島の砂が入り込んだという可能性も捨てきれないと思ったからだ。犯人が堂々と遺留品を残していったのには、事件直前に遺留品の多くを購入し現場に残してゆくためだったのかもしれない。犯人なりに捜査を撹乱してやろうという意図が、最初からあったのではなかろうか。

果たして捜査陣は、ここまで捜査の手を伸ばしていたのか、ちょっと気になったので記してみた。

個人的な仮説

ちょっと更新が滞ってしまったが、今回は現場に残る状況から考察するというスタンスではありません。あくまでも私個人が思い描く主観的な部分から、この事件の背景・動機・犯人像を考えてゆきます。

(2つの物的証拠)

この事件を考える上で、犯人との深い関連性を示す2つのものが存在する。それは、

1,スケボー

2,公文塾


との関わりである。しかし警察も、この2つの接点を徹底的に調べたが、犯人に行きつくことができずに20年近い月日が流れてしまった。そこで私は、ある仮説を唱えるに至ったのだ。

1,犯人とスケボーとの関わり

やはり犯人は、近所に住んでいたかは別にしても、事件前には頻繁に祖師谷公園に訪れていた人物ではないかと。そしてその理由は、スケボーをするためであった可能性が極めて高いとみている。その流れの中で、公園内に住んでいた宮沢さん家族を知るキッカケになったのではないかということ。それは社会的な接点というものではなく、公園に良く訪れていた若者とその公園内に住んでいた家族という、極めて第三者からはわかり難い関係だったのではないのだろうか。だからこそ宮沢さん家族との繋がりを調べても、けして浮かび上がることはなかった人物だと私は考えている。

2,公文塾との関わり

もう一つの関わりは、公文塾との繋がりである。事件直後から犯人が現場で最も興味を示していたものに、奥さんである泰子さんが経営していた公文塾関係の書類だったとされてきた。そのため捜査関係者は、この公文塾の開設以来の職員や生徒を全部把握し、徹底的に調べて潰していったとされている。しかしそこから犯人に繋がる手がかりは、最後まで浮かびあがることはなかった。

泰子さんとにいなちゃんが襲われた屋根裏部屋には、なぜか公文塾の名簿が残されていたというのだ。それは犯人が持ち込んだものなのか? 泰子さんが何か気になることがあり名簿を観て思い出そうとしていたのか? 捜査関係者が別のところに残されていた名簿を、ロフトに置き忘れたのかは定かではない。しかしその名簿と犯人との間には、深い何かが存在したのではないのだろうか?

繋がりを見つけられなかったことからも、犯人は元塾生や講師など直接接点のあった人物ではなかっただろうということ。そこで次に考えられるのは、その塾生や講師などと関係があった人物(家族や友人)、あるいは塾関連で宮沢家に出入りしたことがあった仕事関係の人間ということになる。しかしそこも警察は徹底的に捜査したり、関係者に話を訊いて潰していったとされている。それでも浮かび上がらなかった人物とは、一体何者だったのか?

そう犯人の目的の一つに、宮沢さん一家を惨殺したいという目的以外に、もう一つ塾関係者のことをを知りたいということがあったのではないのだろうか。犯人の知りたかったのは、塾の生徒あるいは講師に関わる情報ではないかと私はみている。

(不審者に対する警戒感)

事件前から宮沢家や隣に住む泰子さんの母であるおばあちゃんは、不審者の存在を気にしていた節がある。みきおさんに至っては、「隣の公園には怪しい男がいるから一人で出歩くな」的なことを子どもたちに言っていたとされている。また隣のおばあちゃんも、事件後の警察の捜査に対し、不審者の存在を散々訴えかけていたという。さらに泰子さん自身も、不審な電話がかかってきていたり、事件前には家の前に見慣れない車が停まっていることを気にかけていたことがわかっている。また、にいなちゃんに至っては、塾講師のアルバイトの女性に「隣の公園に変な人がいるから気をつけてね」と話していたとされている。少なくても宮沢家の共通認識として、周辺に不審者がうろついていたことに注意を払っていた様子が伺われるのだ。

(塾と犯人との接点)

ここからは完全に、私の想像の話となる。たびたび祖師谷公園に、それも宮沢家のすぐ近くでスケボーをするために訪れていた若者がいた。そんな折、犯人の興味の対象となる、塾生徒・もしくはアルバイトの講師 がいたのではないかと。その人物のことを、犯人は知りたかったのではないかと想像する。そのため幾ら塾関係の人間を調べても、その接点は浮かび上がらなかったのではないのだろうか。そんなに気になるのならば、その人物のあとを追えばよいのではないかという話にもなりそうなもの。しかしそれができない、物理的な理由が何かあったのではないのだろうか?

例えばその人物は、車などで送り迎えをされていた。あるいは本人が運転をしていて、追いかけることが不可能だったのかもしれない。もしくは以前は頻繁に見かけていたのに、すでに辞めてしまって塾にある日を境に来なくなってしまった。そういった人物について、どうしても知りたいと思う衝動を抑えられなくなった。下手すればそうなったのは、宮沢さん一家が自分のことを悪く言ったからだと思い込み逆恨みをしたのかもしれない。泰子さんやにいなちゃんを時間をかけて殺害したのは、その人物の情報を聞き出すためだったのかもと。しかしそのことについては、最後まで二人は犯人に教えなかった。だからこそ二人を殺害後もなお犯人は家中を探して、そのヒントになるものを見つけようとしたのではないのだろうか。それならば、にいなちゃんの子供机まで粗した理由が説明つくことになる。

(あくまでも想像だが)

またスケボー関係者を徹底的に調べても犯人が浮かび上がらなかったのは、元々スケボーをやるという目的で現地には集まっていたものの、お互いのことは深く話さないような間柄だったのかもしれない。犯人が近所の人間であれば、その辺もわかりそうなものだが、それほど現場近くに昔から住んでいたような人物ではなかったからではないのだろうか? 事件当時は近くに住んでいたとしても、小学校や中学校は近所の学校の卒業生ではなかった。祖師谷公園周辺には、たまたま数年だけ住んでいたとかそういった地元民でも誰だかわからない人物だったり、実際はそれほど近所というほど近くには住んでいなかったという可能性もある。犯人がハーフであれば、学校はアメリカン・スクールのような日本の教育機関ではなかったということもありえたかもしれない。

また若者達の警察への不信感もあり、彼らが知り得た情報を警察には素直に話さなかったという可能性も捨てきれないだろう。しかしこれだけの事件だけに、彼らの口から思い当たるフシがあれば漏れてきたはずなのだ。それだけ犯人のことを見かけたことがあったとしても、その繋がりは薄かったり短い期間のもので、彼ら自身もその人物が何者なのかよくわかっていなかったのではないのだろうか。

こうなるとやはり職業として浮上して来るのが、軍関係者やその子息的な短いスパンでしか日本にいなかった可能性だ。しかしこの犯人は、かなりの日本語読解能力があるとみられており、日本社会で育った可能性は捨てきれない。そう考えると数年だけ日本勤務をした米軍関係者というよりは、軍属などの軍と関わって仕事をしていた人物や長く日本での勤務を続けた軍関係者やその家族とみるのが妥当なのかもしれない。しかしその後の足取りが全くつかめないことを考えると、事件後は帰国してしまったということなのかもしれない。もちろん犯人と軍との関係性は感じても、単にそういったものに興味のある若者だった可能性も捨てきれない。

(犯人にたどりつけない理由)

いずれにしても犯人の足取りを追えないのは、少なくても宮沢家とは社会的な接点を持った人物ではなかったのではないかということ。そしてもう一つは、すでに日本にいない、あるいはこの世にいないからと考える方が、残念ながら妥当ではないかと思うのだ。この事件が解決に至っていない理由を、私はこのようにみている。

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Author:monazite
世田谷一家殺害事件 の犯人像について、モナザイト の主観で事件を考察します。

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