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様々な謎

「世田谷一家」の事件においては、本当に謎な部分が多い。そんななか警察は、なぜそこまで地蔵についてこだわっているのか改めて整理してみたい。

事件からちょうど100日目に、現場から仙川を挟んだ川の向こうの道路脇に、一体の地蔵が置かれていることが明らかになった。それは、宮沢家の方向を向いて置かれていたのだという。通常地蔵というのは、道路側(歩行者に向けて)置かれるものだが、真逆であり明らかに宮沢家を意識して置かれたものであることは間違いない。地蔵の大きさは、高さ60センチ、重さは20キロほどだったという。少なくても現場近くまでは、何かに乗せて持ってきたのではないのだろうか? 事件前の縁台含めてどうもこの事件には、車を使ってものが運搬されていると考えられる事例が多いように思える。

地蔵は新品で、底部には「六」とおぼしき文字が刻まれていたものの指紋などは検出されなかった。警察は3年に渡りこの情報を発表せずに製造・流通経路を探った。東南アジア系の御影石を使い、朝鮮半島で作られたことまでは判明したが、それ以上のことはわからずに公開することになったのだという。

なぜ警察がこの地蔵を重視しているかというと、犯人が現場に残した遺留品を公開した直後だったということ。それを見た家族が犯人に自首を促すことに失敗し、罪の意識から置いたのではないかというストーリーを描くことになる。それが事件から5年後の追悼集会で、女性刑事が犯人やその家族に訴えかけるように自首を促す異例のスピーチにも繋がってゆく。少なくても捜査本部というのは、なかなか上の人間が替わらない限り、捜査の見立てや思い描いたストーリーを修正できないで行ってしまう傾向にある。少なくても事件から5年ぐらいまでは、警視庁は近所の裕福な家に済む、単独犯という犯人像を思い描いていたのは間違いない。しかし2006年あたりからは、事件の犯人像をスケボー少年へと少しずつ変えてうゆく。

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(勝手に仮定)

私は警察が地蔵にこだわるのには、地蔵の底に掘られた「六」と思しき文字に原因があるのではないかと考えていた。というのも、犯人が暗証番号を割り出すために、宮沢家にあったノートを使って免許証に記載されていた生年月日などから割り出そうとしていたのではないかと言われている。そしてそういった経緯から犯人は、日本語読解能力があるのではないかとも推察されているのだという。

しかしどうみても運転免許証の数字は漢字ではなく数字で記載されており、元号こそ日本語で書いてあっても運転免許証を読んだだけで、日本語読解能力があるとは考えられない。他にもかなり専門的な書類を選別していた痕跡があるとか、HPで専門的なページを閲覧していたなど、その他の痕跡があった上で日本語読解能力が相当なものだったという風に考えていたに違いない。問題は、ノートに書き込んだとされる文字や数字というものがどのようなものだったのかということ。私は、その中に漢字の「六」という文字が含まれており、それが地蔵裏の「六」と思しきものと明らかに筆記が似ているからではないかと仮定していた。この文字をよく見てみると、六という字の上の最初のちょんが、通常と逆方向に向いているという、かなり特徴的な傾向がある。これとよく似た文字が、現場にも残されていたのではないかと推察してきた。

しかしその後の地蔵に関する警察の話を聞いている限りは、警察が勝手に思い描いたストーリー上のもので、そういった地蔵と現場との繋がりによるものではなかったのではないかという気がしてきている。もし筆跡など何か現場と一致するものがあったとしたならば、家族がという推理にではなく本人が置いたという見立てになるはず。伺い知る限り、どうも地蔵と犯人を結びつける明確な根拠などなかったのではないかということ。

(泥の痕跡の件)

話は変わりまして、前回の泥のついた足跡の話です。2000年12月の世田谷の天気を調べてみると、12月19日 の雨を最後に、事件当日まで雨が降った形跡がないことがわかります。すなわち極めて地面は乾いて、土が靴につき難い状況だったことは前にも指摘しました。しかし家の中には、泥の着いた足跡が残っていたと言います。これは、犯人が家の中に侵入する直前に、泥のあるところを歩いた(すなわち公園裏の泥の部分を歩いた)可能性が高いということになります(土の成分も調べたでしょうから、警察は裏付けは取れているのでしょう)。

それではなぜ、こんなに乾燥していたのに現場に泥の着いた足跡が多く残ったのか? それは以前推理したように、犯人は網戸を外しそれを下ろす時に一度地面に降りたのではないかということ。これこそが、公園側に着いた足跡の正体ではないかと私は述べてきました。もし逃走時に着いた足跡だったならば、家の中に土の着いた足跡など殆ど残らなかったはずです。侵入時に網戸外した時に、高いところから降りたため明確な足跡が固い土に残りました。そしてコメント欄で書かれた方から興味深い話があり思ったのですが、風呂場に侵入した時に浴室の床はまだ濡れていて、靴の溝に入り込んでいた土が濡れてそれが靴跡となって現場に多くの足跡を残す要因になったのではないかということ。私はなるほど、そういうことだったのかと思わず思いました。もちろん警察は、泥の成分や現場の泥の着いた足跡などから、その辺の問題はとっくに解決しているのでしょう。もし玄関から侵入、もしくは訪ねた場合、アスファルトの上をずっと歩いてきたわけですから、家の中に泥の着いた足跡は殆ど残っていなかったはずです。少なくても玄関までは、家の中に残した以上の足跡を残して歩いてきたことになりますから。そのため家の前の道路や玄関外のタイルにも、必ずその泥の痕跡は何かしら残していたはずですから。

(大きな謎)

なぜ2段ベッドには、礼君しか寝ていないと犯人はわかっていたのか? 最初に殺された可能性が極めて高い礼君の遺体からは、一切の血液の付着が見られませんでした(かけられた布団からは犯人の血液が付着していたという情報あり)。最初に礼君を殺害しようとした場合、二段ベッドの上に にいなちゃん が寝ていたとしたら、この事件は成立しなかったのではないかと思うわけです。最初に礼君を殺害しようと思ったのは、明らかに にいなちゃんが一緒にいないという確信があったからとしか思えません。そうでなければ1階にいた みきおさんから殺害しなければ、子どもに大声をあげられて両親に気がつかれてしまうリスクが生じるからです。犯人は事件を起こす段階で、家族の位置をほぼ把握していたと考えられるわけです。

もしそんなことが可能な人間いるとすれば、当日家に訪ねていた人間、もしくは極めて宮沢家の事情に精通した人間でしかありえません。そんなことが可能なのは、家族以外で隣家の人間ぐらいでしょう。しかし私は、その両方でもなかったと考えます。私は宮沢家の中に、盗聴器が仕掛けられていたのではないかと考えます。と勝手に妄想を膨らませる最大の要因は、事件前に当日使われていないスリッパから、犯人のDNAが検出されたこと。犯人はいかなる理由だかはわかりませんが、事前に宮沢家に客人として上がったことがある人間だったということ。その時点で、明確な家族殺害の計画を立てていたのではないかと考えられます。

そこでもう一つ妄想を膨らませますと、その盗聴器が付いていたのは引き抜かれたみきおさんのパソコンのコンセントが繋がっていた電源ブラグだったのではないかということ。それならばパソコンのコンセントが、引き抜かれたことの説明がつくことになります。そうでもしなければ泰子さんとにいなちゃんが一緒に寝ていて、1人だけ礼君が部屋にいたことなど第三者が伺い知ることなどできないからです。あえて子ども部屋に侵入して、最初に礼君を殺害するリスクを追うと思えません。そしてパソコンの電源を引き抜くという、不可思議な行動をとった理由も説明がつくことになります。ただしですねもしそうだとすると犯人は、事件発覚の直前まで現場にいた可能性があるということになってしまいます。というのは、みきおさんパソコンもにいなちゃんパソコンもデスクトップだったわけです。31日の10時過ぎに巡回ソフトでつなぎにゆくためには、コンセントが繋がっていることが条件になるわけです。だからこそ警察は、おばあちゃんが発見時に引っ掛けてコンセントを抜いてしまったのではないかと述べているわけです。しかしその時間と家族が変わり果てた姿を発見したと証言する時間には、30分以上のタイムラグがあり、その矛盾については警察は説明できていません。

(第一発見者は息子だった?)

よくこの事件の掲示板を見ていると、実は事件の第一発見者は隣に住むおばあちゃんではなく、息子だったのではないかと出てきます。その情報元が何か私は長らくわからなかったのですが、どうも以前に姉の杏さんがテレビのインタビューの中でそう答えたという話にたどり着きました。その情報が確かかは、私にはわかりません。

それならば入江本に出てくる、杏さんの夫が息子さんに「入るな!」と大きな声を発したという内容に矛盾がでてきます。現場を確認したのは、おばあちゃんと杏さんの夫だったわけで、息子さんと杏さんは少なくても2階には上がっていないということになっていたわけですから。この辺の矛盾は、もう少しハッキリさせたいところではあります。

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結果的に再現実験に・・・

今朝のことである、私は外の天気が気になり二階の窓を開けた。その時に網戸の立て付けが悪かったのか?そのままハズレて落下してしまったのだ。外れた網戸は、2階屋根の先端まで転がり、長い棒を持ってきて手繰り寄せようと思ったが上手くゆかない。そこで諦めて、下に落とすことにした。ちなみに屋根にはかなりの傾斜があり、屋根の先端から地面までの高さは、宮沢家の中2階にあった浴室の窓からとそうは変わらない3メートルぐらいの高さではなかったのだろうか。そこで網戸を落としてみて、2つわかったことがある。

1、思いのほか静かだったこと

2,レールの溝に土が入り込んで取れなくなったこと


1、思いのほか静かだったこと

まだ早朝だったので、網戸を落としたら近所に鳴り響くと恐る恐る落とすことにした。しかしだ、思いのほか音が響かなかったのである。その原因は、網戸が縦に落下して地面に突き刺さるように落ちたから、そしてその後転がったものの、何にも当たらなかったからだろう。宮沢家の場合、まず90センチ向こうには、公園フェンスがある。仮にそれを超えるように落下した場合、公園フェンスなどに当たりもっと音がした可能性があったと思う。しかしもしウチのように地面に突き刺さるように落下した場合、誰も気がつかない程度の物音だった可能性もあったのかと思えてきた。

2,レールの溝に土が入り込んで取れなくなったこと

縦に網戸が落ちたことで地面にめり込んだ分、土が網戸のレールの部分に深く詰まってしまったのだ。そう、落下時の網戸を検証すれば、それが3メートルの高さから落下したものなのか、置かれたものなのかは警察は容易に判断できていたはずなのだ。そして落下したと思われる場所には、くっきり網戸が落ちた跡が凹んでいた。これをみれば、網戸が外れたのが逃走時なのか侵入時なのかは、警察は当初から把握していたことになる。

我が家の網戸が落下した場所は、いわゆる土である。これは、宮沢家浴室下の公園の地面と良く似ている。実は以前現場を視察したときに、私は靴跡がどのように残るか試したことがある。そこは固い土と落ち葉が積もっているような場所なので、容易には足跡が残らない状況だったのだ。そこで足跡を残すためには、かなり力を入れないと地面が掘れないのである。網戸の発見場所の近くに、家の中に残されていた足跡によく似た形状・サイズの足跡が、公園側につま先を向けて発見されたとされている。そのような明確な跡が残るためには、かなり高いところから降りるなどしないと殆ど明確な足跡は残らなかったのだろうということ。以前検証したように足跡が地面に残ったのは、一度侵入時に外した網戸を、自分で持って公園側に降りた時に生じたのではないかということ。その時に深く地面を掘ったことで、より家に土の着いた足跡が残りやすかったとは考えられないだろうか? ただ一つこの場合、靴を履いて侵入したのではないのか? ということになりそうだが。

泥の着いた足跡

以前調べたのだが、実は事件前10日ぐらいは一切雨が降った形跡がなかったのだ。そのため地面は極めて乾燥しており、地面の土は靴に付き難い状況だったはずなのだ。足跡は、二階から突然始まっていた(恐らく浴室の脱衣場のあたりから)とされており、その足跡も部分的に残されたものを繋ぎ合わせて 28センチのスラセンジャーだと判明したのだという(むしろスラセンジャーとわかったのは、血を踏んで家中あるき回ったからだとも言われている)。恐らくその足跡が検出されたのも、屋内だったからわかったようなかなり微量の痕跡だったのではないかと私は思っている。それだけ大量の土が、靴に付着するような状況や場所ではなかったと思われるから。まして裏の公園でも、アスファルトの部分だけを歩いてきた人間ならば、目に見えるような足跡はほとんど残らなかっただろうということ。少くても家の中に、目に見えるほど土の着いた足跡があったとするならば、それは直前に土のあるところを歩いた可能性が高いということ。

警察は出入り口を断定している

「真犯人に告ぐ!」では、各警察署に配布した「世田谷事件」をまとめたDVD,捜査一課がまとめた現場鑑識結果、遺体検案書などをまとめた捜査報告書 を独自に手に入れそれを元に書かれたという。これらは、現在一部マスコミの間では広く流出していると思われ、テレビのニュースでもこのDVDの中の映像と思われるものが使用されていたりした。それはともかく、事件発生直後~数年間の警察の捜査状況・資料は、ほとんど一部の人間には明らかになってしまっている。この資料を作成したときから一体どの程度の新発見が警察にあったのかと言われれば、かなり限られたものしかないだろうということ。まして事件発覚当初の状況は変わるはずもないので、動かしがたい証拠となる。

そんな警察が、侵入も逃走も浴室の窓から だと内部資料では述べている。そこには網戸の落下状況も当然加味された上での結論だろうから、警察がマスコミに対し犯人の出入りの情報をあえてぼやかしていても、動かしがたい事実なのだと私は見ている。それを裏付けるかのように、私はこれまで様々な現場の状況からも犯人の出入りは、この浴室の窓からしか考えにくいと何度も書いてきたとおりである。警察が侵入も浴室の窓からだと断定している理由は、この網戸の落下状況や痕跡だけでも、かなりの部分で推測できたことに気がつかされた。なぜこんな単純なことに、私は今まで気がつかなかったのだろうと・・・。

(なぜテニスシューズだったのか?)

犯人が現場で残した足跡は、スラセンジャー社製のテニスシューズだったという。私は元テニス部だったのでよくわかるのだが、テニスシューズというのは靴裏が厚く曲がらず、極めて動き難い特殊な形状をしている。普通の人が日常に使うには、不向きな靴なのだ。まして公園フェンスの上を上がって、浴室の窓から侵入するのには動き難い類のシューズだと言える。

その一方でこの靴は、極めてグリップ力に優れ滑らない特徴がある。テニスのように物凄くコートの中を動いたり・止まったりを繰り返すのには、このような形状が不可欠なのだ。そこでスケボーに使うシューズというのは、どのようなものが適しているのか調べてみると、このようなサイトを見つけることができた。

スケボーに適した靴とは、「ソール(靴底)はデッキの上で滑りにくく安定する作りになっています。そしてかかとからつま先まで乙凸の少ない平らな形になっているのが特徴です。スケートシューズと言われていない一般の靴でもこの条件を満たしていればスケートシューズとして使用することも可能です。」 と書かれている。ようはテニスシューズの形状に極めて近い機能が求められていること。そして、テニスシューズでも代用が効くことがわかってくる。

よくスケーターから、「スラセンジャーなんか使うダサい奴はいねぇよ」 という言葉も聞かれるが、ボーダー初心者ならば、このような機能の靴で代用していた可能性も充分考えられるということ。まして28センチ以上の足の大きさになると、日本ではなかなか手に入らない。そういった人間は、あまりメーカーとかにこだわらず、履けそうなシューズを優先的に購入すると訊いたことがある。また当時のスケーターの書き込みをみると、スケボー広場で滑れなかった連中が、道路挟んで向かい側のぽっぽ公園の方でも滑っていたという当時の状況を書き込んでくれている。スケボー歴の比較的浅い初心者~中級者ぐらいならば、充分にスラセンジャーのテニスシューズを代用していた可能性はあったのではないのか? ただしスラセンジャー自体が、日本ではかなりマイナーなメーカーだっただけではないかという気もするのだ。少くても段差のある家の上がり下りを前提にするのであれば、それこそ足の指の先までよく曲がるトビが使うような地下足袋が最も適しているはず。そのため私の勝手の推測だが、家の侵入に際しては靴を脱いで侵入したのではないかと想像している。そしてその靴を、浴室の脱衣場の辺りで再び履き始めたのではないかと。もう一つこの靴を使うメリットがあるとすれば、足底が平らなぶん音が響き難かった可能性があるということだろうか。それでも家人に侵入が気が付かれないように、あえて靴を脱いで侵入した可能性も否定できない。

(ボーダー説を決定づけるには)

事件前に宮沢家の浴室の窓の下にあったと言われる、縁台 の形状が大きな鍵を握っていると考えている。その畳一畳分ぐらいあったと言われる大きな台の座面が、すのこ状のものだったらそれはスケボーに使うために用意されたものではなく、明らかに宮沢家を挑発する、あるいは浴室の窓からの侵入を以前から意識していた可能性があるものが持ち込まれていたことになる。

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逆にだ、公園近くさんが 縁台 と称したものの上が、実はすのこ状ではなく滑れる平らな形状のものだったとすれば、この事件にボーダーが関わっていた可能性が高まって来る。当然警察は、このぐらいの情報の取捨はとっくに済んでいるはずなのだろうが ・・・ 。 警察も徹底的にボーダーの情報は集めたものだと思われるが、警察を忌み嫌うものが多い若者たちにとって、素直に同志(同じスケボー仲間)の情報をべらべら話したかどうかには疑問が残る。そう、捜査の網をくぐり抜けたボーダーの存在が、この事件にいたとしても不思議ではないのだ。

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ちなみに最後は余談だが、今まで書かなかったことを書いておく。私は二度ほど、過去祖師谷公園の現場を訪れたことはこのブログにも記載した。昨年の12月に訪れた時には、3人の若者が滑っていた。しかしよくみると格好の割に彼らは若くないのではないかと思えてきた。年齢は明らかに20を越えており、30近いでのはないかと。事件当時もここで滑っていたら、彼らはそれこそ当時は10代半ばぐらいの年齢だったのだろう。きっと彼らも未だに滑っているところをみると、今までに腐るほど捜査関係者やマスコミの類からこの事件のことに聞かれたに違いない。あるいは事件当時は、まだここで滑っていなかった連中かもしれない。

しかし私が気になるのは、この時の若者達ではなく最初に訪れた2015年の3月ぐらいのことだ。私はホッポ公園を一通りみたあと、スケボー広場の方に足を向けた。その時1人の男が、滑っていたのだ。男は顔は若そうに見えたが、頭には白髪が多少混ざっていたのを覚えているから、意外に年齢は行っていて40前後ぐらいではないかと思えた。

私がスケボー広場を撮影していると、そそくさといなくなってしまった。ひょろっとした痩せ型で、髪はこの年齢にしては珍しい短髪だったと記憶している。それもどうも、小さい子供を連れていたように思う(偶然近くにいただけの子供かもしれないが)。私はなぜこの男のことをよく記憶していたかというと、短髪でかなりの痩せ型・身長も175センチ以上はありそうな男は、まさに私が思い描いてた犯人像に近い人物だったからだ。もちろん当時はボーダーを有力な犯人とは考えていなかったので、きっと犯人ってこんな感じの奴だっただろうなと勝手に思ったものだった(この人物が犯人だったのではなんて言うつもりは毛頭ない)。

事件前にみきおさんと揉めていたというボーダーが犯人だった場合、極めてシンプルな犯罪となる。今後は複雑な事情が背景にありそうな T だけでなく、警視庁の見立てに近い観点も注視して犯人像を考えてゆきたい。

記念硬貨 と 宮沢家の鍵 

世田谷の事件において、犯人が盗んでいったものの中に、現金20万円相当(帳簿と合わない額から)の他に、記念硬貨の類が盗まれていたのだという。この情報元が何だったのか? 私は長い間よくわからなかった。恐らくその情報元となったのは、2005年12月10日 の読売新聞の記事 ではないのだろうか?

私なんかが記念硬貨だと聞いてすぐにイメージするのは、天皇陛下在位60周年記念硬貨 で、当時10万円もするような硬貨が飛ぶように売れたことがあった。このことがきっかけで、記念硬貨は頻繁に製造されるようになる。

なぜ記念硬貨が盗まれていることがわかったのか? 記念硬貨というのは、硬貨以外にプラスチックのケースなど立派な箱に組み込まれている。そのため中の硬貨だけが無くなっていれば、容易に盗まれたのではないかと推測されるからだろう。それもその箱というかケースが、何処かに投げ捨てるように変なところに転がっていれば、そりゃ犯人が持ち出したよね?という推理になるのも必然だったのではないのか。実際もしみきおさんが持っていたものが、このブームのきっかけとなった昭和天皇在位60周年記念硬貨だったとすると、購入したのは事件の15年ぐらい前で、みきおさん自身30前に購入したものだということになる。私はあざとくこれを盗んでいった犯人は、この記念硬貨ブームのことを知っていた年代の人物か、全く日本の硬貨の価値がよくわからない外国人 のいずれかではないかと思うのだ。

一方で2ちゃんねるなどを読むと、犯人は穴の空いた硬貨を盗んでいったという話が書き込まれている。しかし、その情報元が全くわからない。上記の読売新聞の記事の中には、「2階浴槽には、空の財布、50円前後だけ入った小銭入れ、鍵、バッグなどが投げ込まれていた」と書き込まれていた。50円前後ということは、10円玉が5枚入っていた可能性もあらずだが、むしろ穴の空いた50円玉を意図的に価値がないものとして置いていったのではないか?まして犯人は、1121円分の小銭を、廊下に撒き散らして逃走している。そう考えると穴の空いた硬貨(5円・50円玉)は、あえて置いていったものではないかと言う気もするのだが ・・・ 。ここから考えるに犯人は、硬貨を高価ものではないことを認識していたということ。そしてそれでもあえて記念硬貨を盗んでいったということは、記念硬貨は高額なものだとしっかりわかっていたことになる。そうなると、海外で生活していたものである可能性は低い。もし在位60年記念硬貨ブームのことを記憶していた人物だとなると、当時20代中盤以降(発行時小学生高学年)以上の年齢層ではないかと思うのだ。こうなると、事件前目撃されていた有力情報の男の年齢とも重なる気がするのだ(20代中盤~30代前半ぐらい)。ちなみに私が唯一事件との関連性があるかもと睨んでいる T も、発行当時10代後半だったはずだ。そこから考えると、この事件の犯人が未成年者だった可能性は低くなる。

あと本棚のところにあった6万1千円の現金は、全く手付かずだったことはよく知られている。あといかほどの現金があったのかの詳細はわからないが、冷蔵庫のところに貼り付けられていた(恐らく何かに入れてマグネットか何かで止めていた)という現金も手つかずだったという情報もある。例えば1箇所だけならば、何かの手違いで見落とした可能性もあるだろう。しかし冷蔵庫のところに貼り付けてあった現金(犯人は冷蔵庫を物色していたわけで)を無視したということは、手つかずの現金を残していったのは意図的だったというか、それほど現金に執着していなかったのではないかとも思えてくる。というのは、犯人が家族を殺害後最初に向かってあろう場所は台所であった可能性が高く、そこでまず包丁を置いて乾ききった喉を潤したからだ。そのいの一番に目に入ってであろう冷蔵庫に貼ってあった現金をあえて無視したのは、犯人の主たる目的が宮沢家の中にあった少額の現金ではなかったことを物語っているような気がするのだ。そう現金をあえて盗んでいったのは、本当についでだったのではないかと(偽装工作の可能性すらある)。あるいはもし現金だったとしても、もっと口座などに入っている多額の現金を目的としていた可能性だと考えるべきではないのだろうか。

宮沢家の鍵を再度考えてみる

以前の書き込みで、なぜ宮沢家はスペアの鍵まで一緒に各自持ち歩いていたのだろうか?という疑問について書いてみた。しかしよ~く「真犯人を次ぐ」を読み返すと、次のようなことが書かれていた。家の中で発見された鍵は7本・うち2本は隣の入江家の鍵だったと。ここで、もう一度発見された鍵を整理してみたい。

みきおさんの鍵2本が浴槽の中から
泰子さんの鍵2本が、浴槽の中から
にいなちゃんの1階のイスにかけられたランドセルにぶらっ下がっていた鍵1本
当日おばあちゃんが持ち込んだ鍵2本が1階の本棚のところに置かれていた。

このうち2本は、入江家の鍵であるということ。恐らくおばあちゃんが持ち込んだ鍵2本のうち1本は、入江の家の鍵である可能性が高い。おばあちゃんは、入江家と一緒に暮らしていたからだ。だから宮沢家に入るときも、一緒に入江家の鍵もくっつけてきたなら疑問も解決する。

そしてここからは推測だが、日常的に入江家との出入りをしていたのは公文教室を入江家で運営していた泰子さんの方だろう。入江家とみきおさんは、ある意味完全な他人なわけで鍵を持って出入りしていたとは考えずらい。したがって泰子さんが持っていた2本のうち1本も、入江家の鍵であったと推測する。

にいなちゃんの1本は、当然宮沢家のものであったはず。そうなると矛盾するのは、みきおさんがスペアキーも一緒に2本一緒に持ち歩いていたことで、もしこの事件に関わるヒントがあるとすれば、みきおさん所有の2本にあると考えられる。もちろんみきおさんが日頃から、スペアまで一緒に持ち歩く習慣があったのかもしれないが、常識的にはそれは考えづらい。

ということは、犯人がもし鍵を偽造した、あるいは盗んだ などをしていたとしたら、みきおさん絡みだった可能性が高いのではないのか? あるいは何かしらの形で盗み出した、あるいは複製したものを後から疑われないように、みきおさんの鍵と一緒に付けた(近くに置いた)という可能も高いのではないのだろうか?

しかし一方で実は、一昨年放送された「FBI捜査官サファリック」の番組の詳細なCGの中に、みきおさんの遺体そばにあった一階棚の上に、みきおさんの財布らしきものが描かれていたことに気がついた。例えばだが、みきおさんは車や家の鍵などをキーケースにつけ、それとは別に財布にも鍵をつけていたのではないか? それならば、この矛盾も解決することになる。

犯人が鍵を抜き出し、必要がなくなって浴槽の中に2本とも沈めたのか? あるいはこれまでの発表に間違いがあり、実は浴槽の中と一階棚のところと、別々にみきおさんの鍵は発見されていたのかもしれない。こればかりは、どの情報を信じてよいか私にはわからない。ただしそうだった場合、犯人が宮沢家の鍵をこの事件に利用したの可能性は低くなる。もしこう考えると、それほど鍵の発見場所に違和感はなくなって、前回書いた鍵のf疑問はなくなることになる。

最近思うのは、すでに発表されている情報の中にも微妙に間違いが混ざっていたり、大事なことで未発表なものが結構まだあるのではないかということ。それまで出てきた情報を鵜呑みにしてしまうと、事件の見立てが大きく揺らぐことになるのだ。そんな疑問を、抱くことも少くない。

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世田谷一家殺害事件 の犯人像について、モナザイト の主観で事件を考察します。

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