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遺留品には二種類ある

犯人が現場に残していた遺留品には、二種類に分類される。それは、意図的に置いていった可能性があるものと、そうではないもの。まず、そこから区別してみたい。

凶器の柳刃包丁 ◯

関の孫六・銀寿 と呼ばれる商品で、刻印から2000年6月に製造された1500本のうちの一本だと判明した。ここで大事なのは、少なくても宮沢さんの家を狙おうと考えたのは、この2000年6月以降に殺意を抱いたというのがポイントだろう。ちなみにこの包丁を購入したなかで事件に関わっていそうな男が、事件前日の29日・お昼過ぎに、吉祥寺のスーパーで購入しているのが確認されている。ちなみに29日の13時には、公園警備員が男二人ともめていた時間帯。吉祥寺駅~祖師谷公園までは、およそ9キロ・30分程度で移動できる距離であり、車ならば12時過ぎに包丁を購入した男が、13時ぐらいに祖師谷公園にいても物理的には可能だということが判明した。包丁は、使えなくなったのもあるだろうが、意図的に置いていかれたものと判断できる。

ちなみに包丁に関しては、犯人が日常的に使っていたものではなく、意図的に事件のために用意した可能性が高い。

スラセンジャーの靴  ☓

28センチサイズは、日本では売られていないもの。同じ外枠の大きさの 27.5センチは日本でも販売されていたものだったという。これは、足跡から判別されたものであり、犯人が意図的に残したものではない。犯人が、日常的に使っていたものの可能性がある。

ドラックノワールの香水 △

これも包丁を巻いたハンカチに付着されていたもので、犯人が意図的に残したものではないだろう。しかしこの匂いが付着していたのは、現場に残された二枚のハンカチ。ラグランシャツ・ヒップバックにも残留していたことをみると、少なくても犯人が現場で付けたのではなく、この服装で出かける前に付けたものである可能性が高い。これも、犯人が日常的に愛用していた可能性がある。

ラグランシャツ ◯

被害者の返り血を大量に浴び、現場に脱ぎ捨ててあったもの。2000年8月~12月に、日本国内で130着販売された。何度も洗濯された跡があったが、車庫に残されていた染料と同じものが付着しており、染料が付着してからは洗濯された形跡がなかったという。これは意図的に残された可能性が高いが、もし返り血を大量に浴びていなかったら、置いて行ったかは微妙。犯人が、日常的に着ていたものの可能性は高い。ちなみに現場に残していったところを観ると、犯人がお気に入りだからというよりも、着れる服が少なく使う頻度が高かった可能性の方が高いのではないのだろうか。

ユニクロジャンパー ◎

2000年9月以降に、全国で8万2000着販売された。遺留品の中でも、最も意図的に置いて行かれた可能性が高いもの。しかしポケットからは、小鳥のフンやヒメザクロの種子など、犯人の生活を匂わせるものが発見されている。事件前日には、ラグランシャツ一枚で歩いていたところを目撃されるなど、犯人のものかも怪しい。

エドゥインのボア付き 手袋 

1998年~2000年の間に、1万755組 販売されたものだという。犯行に使われた形跡はなかったが、リビングに入る道すがらに投げ捨てられていた。興味深いのは、中に犯人の血液がびっしりと付着していたこと。そう犯人は、この手袋を怪我したあとに使用していたことになる。本当ならば現場には置いてゆかず、これを付けて帰るつもりではなかったのだろうか。そのため、意図的に残したものではない可能性がある。 暑がりな犯人が日常的に使っていたものかどうかは微妙ではあるし、12月の東京でバイクや自転車に乗るような人間でなければ、手袋を日常的に使っていた可能性は低そうだ。

ヒップバック 

大阪のメーカーが、1998年~1999年 に、2850個製造したもの。これは、凶器になった柳刃包丁を入れてきたものであり、ユニクロジャンパーと共に最も意図的に残されたものと言えるであろう。この中には、砂漠の砂だとかモナザイトだとか、様々な遺留品が含まれていた。犯人が私と同世代だったとしたら、日常的にヒップバックを使っていたかは怪しい。事件のために、何処からくすねてきたとか、他人のものである可能性も捨てきれない。

クラッシャーハット ◎

1998年~1999年 3465個 全国のスーパーで販売されたという。これも、あらかじめ現場に意図的に置いて行かれたものと考えられる。髪の毛一つ残っていなかったというから、何処まで犯人が日常的に使われていたものかは怪しい。

黒いハンカチ ◎

1995年~2000年までの間に、無印良品が 6万6500個販売されたものだという。これなんかは、何かのメッセージ性があるとすればこのハンカチで、犯人が最も意図的に置いて行ったものだろう。洗濯してアイロンをかけた跡もあったようで、日常的に使われていた可能性が考えられる。

マフラー ◎

製造・流通が解明されていないが、100円ショップなどに売っているような当時の若者がよくしていた類のものに見える。犯人がもし当時 25歳~30歳過ぎぐらいの私と同年代の人間ならば、こういったマフラーをよく身につける傾向にあったので珍しいものではないだろう。これも、意図的に置いて行かれたものと考えて良さそう。暑がりな犯人が、日常的に使っていたのかは怪しい。

(遺留品の製造期間)

製造が1番古いものが、1995年から販売されている 黒いハンカチ 。そして1番事件に近かったのが、2000年9月以降に発売された ユニクロジャケット。中には、クラッシャーハットやヒップバックのように、すでに1999年の時点で製造が終わっているものもある。しかし当然売れ残っていて、事件直前に手に入れた可能性も否定できない。

(明らかに意図的に残されたものは捨てろ)

明らかに現場に意図的に残された可能性が高い、◎・◯ のものはとりあえず捨ててください。そうすると残るのは、

スラセンジャーの靴
ドラックノワールの香水
ボア付きの手袋


これらも捜査撹乱のために使用した可能性はありますが、もし犯人に辿り着くヒントがあるとすれば、まずこの3つの遺留品に、何か答えがあるかもしれないと考えます。個人的には、何故一度着用していた、ボア付き手袋を捨てて行ったのかは大変気になります。恐らく血が止まらずに滴り落ちて来るので、タオルを巻いて家を出ることを決意したか、他にもう少し良さそうな手袋が宮沢さんの家にあったのかのいずれかでしょう。

とりあえずパッとは思い浮かばないのですが、共通点としてはスラセンジャーはイギリスのメーカー・ドラックノワールはフランスの会社の製品、エドウィンは日本のメーカーですが、海外進出もしているので、海外でも手に入れられる可能性があるということぐらいでしょうか。何か面白い傾向が遺留品の中から見つけることができたら、教えてくださいませ。

(何故ズボンは持って帰ったのか?)

犯人が着ていたものの中で、明らかに持って帰ったと思われるものがある。それは、返り血も浴びているはずのズボン

何故犯人は、返り血を浴びた可能性もあるズボンを置いて行かなかったのだろうか?ちなみに現場では、みきおさんの背広の上着やズボンなど9着分が床にぶちまけられていたという。更に返り血を浴びたラグランシャツは、前面の胸から~お腹にかけて返り血が大量に付着していたというから、全くズボンが汚れていなかったとは考えづらい。

理由1

上着ならばともかく、犯人の体格では みきおさんのズボン を履くことができなかった。そのため履いて帰る衣服がなく、持ち帰らざるえなかった。

理由2

持ち主が特定される危険性があったから。犯人が現場に残したものは大量生産されているものは多いのだが、ラグランシャツなどは数着レベルの単位にまで絞られるものもあり、それほど犯人自体が持ち物から特定されることに気を遣っていたのかには疑問が残る。スラセンジャーなども国内で扱っていることが少なく、韓国に捜査を向けさせようという意図がない限りは、非常に特定される危険性が高いものだった。まして関の孫六を本当に直前で買っていた場合は、そういった遺留品から特定されるという危機感が犯人にあったのかには甚だ疑問が残るのだ。

遺留品が多かったのは、捜査を撹乱させようというよりも、犯人の自己顕示欲の現れか、置いていかざる得ない理由があったからではないのだろうか?特にそう言えるのは、遺留品の多くは一定期間犯人が使用していた形跡があるものがほとんどだからだ。

理由3

ズボンは、犯人が大事にしていたものだから。しかしこの理由も、何度も洗濯されて2000年8月以降の販売製品だったのにも関わらず、色あせてクリーム色にまでなっていたラグランシャツを、あっさりと現場に捨てているので微妙。だいたい本当にお気に入りのものを、殺人現場に着てゆくのかという疑問も残る。

ちなみに事件前日の29日に成城橋付近で目撃された男は、ラグランシャツに黒いズボンを履いていたという。もしこの人物が犯人だとすると、ラグランシャツを着て前日の服装のまま現場に入っているわけで、この黒いズボンを履いていた可能性があるということ。

また事件当日の22時30分頃に、現場近くで目撃された二人組のうち、若い男は 色あせたジーンズを履いていたという証言もある。まぁジーンズの場合は、ビンテージものだったとか、何か自分ナイズされていい感じになっていて手放したくなかったなどの理由は、なきにしもあらずだろうか?

(持って帰ったズボンはどうしたのか?)

普通の感覚ならば、事件後使用したスラセンジャーの靴とか、返り血を浴びたズボンなどは速やかに処分したはず。しかしその一方で、このような異常な感覚を持っていた可能性がある犯人であること考えると、戦利品ではないけれど大事に今も持っている可能性もあるかもしれない。当然そんなものが捜査で出てきたら、決定的な証拠になりかねないわけだが。

というわけで、ここには 血の着いたジーンズの洗濯の仕方 という質問があるので参考に。ちなみに血液は、時間が経ってしまうと簡単には落ちないという。そこで綺麗に返り血を落とせなかった犯人が、なにくわぬ顔でクリーニングにズボンを出していたかもしれません事件後に。そんなちょっとしたところから、意外に犯人に辿りつけるかもしれません。

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玄関から侵入

これまでこのページでは、犯人の足跡、網戸の取り外し、来訪者の痕跡、一家の行動、黒いハンカチ、血痕 など様々な観点から、事件前に誰かを家に 招き入れていた可能性は低い と考えてきた。

しかし玄関のドアが開いていた、何かで鍵を開けた可能性、あるいは何かしらの理由で家人に鍵を開けさせた上での玄関からの侵入はあったかもしれないと思うところはあった。そこで、本当に玄関からの侵入などありえたのか考えてみる。

(事件当初は)

当時の2ちゃんねるのスレッドを事件発覚当初から読み直してみると、最初の2週間ぐらいは殆ど玄関から侵入し、浴室の窓から逃げた、もしくは玄関を施錠して逃げたと考えられていた。

しかし事件から2週間ぐらいたつと、警察が一行に玄関からの出入りの痕跡を見つけられず焦り出す。そんななか2ちゃんねるや一部マスコミ報道で、浴室の窓から出入りしたのではないかという声が上がってくる。それに呼応するかのように、慌てて警察は風呂場の窓からの侵入が可能かどうかの再現実験を始め出したのだ。そこで下記の動画を見てみると、捜査員が思いのかほか無理なく、事件直後窓の痕跡をフェンスの上に立って調べているのが映っている(この映像初めてみた)。これを観ると、想像以上に浴室への侵入は容易にできたのではないかとも思えてくる。しかしここから侵入することが可能なことはわかったものの、明確な出入りを示す痕跡までは見つけることができなかったというのが通説になっている。それと同様に玄関からの出入りの痕跡も見つけることができなかったので、事件から16年が経とうかという今でも、犯人の侵入経路は議論の的となっているのだ。



(玄関から侵入した場合)

仮に玄関から侵入した場合、ご丁寧に玄関で靴を脱ぐことはないだろうということ。みきおさんが気がつこうとつかれまいと、真っ先に みきおさん のところに靴を履いたまま向かったに違いない。しかしその足跡はハッキリ残っていないのか? 裁判の時のために明かされていないのかわからないのだが、はっきりと示されていない。誰もが玄関から入ったものだと当初は思っていたので、そこをあえて濁しているということは明確な根拠が存在しなかったのだろう。事件当初から言われているように、泥のついた足跡は二階から始まっており、玄関からの侵入の可能性が低いと観るのが妥当のようだ。ただし侵入箇所は、捜査員によって意見が別れていたという。しかし後に全国の警察署へ配布するDVDや内部資料を元に作成された 「真犯人に告ぐ!」 には、警察は浴室の窓からの侵入に今は固まっているとハッキリ書かれている。

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昨年放送されたTBSの特集からも、1階の足跡に関しては血のついた足跡だったのか土の足跡なのかは明確に記されずボカされていた。ここからも、犯人しか知り得ない情報として、あえて侵入箇所を明らかにしない方針だというのは確かだと感じる。

(遺留品からも)

犯人が現場に残したユニクロのジャンパーなどの遺留品からは、ラグランシャツを除くと返り血を浴びた形跡がない。遺留品を殺害後外から持ち込まない限りは、一階から侵入した場合2階に残されていた遺留品に血がついていないことが説明がつかないことになる。この縦長の建物において、一階から侵入してみきおさんに気がつかれないまま二階に上がったとは考えられず、玄関から侵入したとは考え難い。そうすると玄関以外で考えられるのは、事件後窓が開いていた中ニ階の浴室の窓からが唯一の可能性となる。私は1番音が響かず入れる窓は、トイレの窓だったと思うのだがそういった話は一切伝わって来ない。

中二階で血が着かないように礼君を殺害するためには、他の家族より先に扼殺するしか方法がない。更に遺留品に血が着かないように家族を殺害するには、1階にいたみきおさんに気がつかれないで2階まで上がり、荷物を置いてから降りてくるとことをしなければいけない。玄関から入った犯人が、何故にそんな無駄なことをするのか。玄関から入れば、1番最初に遭遇したであろう、みきおさんを殺害したはずなのだ。

(電化製品の遮断)

みきおさんは事件直前の22時50分までパソコンをいじっていた記録が残っており、その間にはパスワード付きの電子メールを送信していることになっている。警察は送付先やその内容も当然把握しているはずで、それがみきおさんから送られたものなのか第三者がなりすましたものなのかも把握していることだろう。さらにその後、パソコンを強制終了して操作を終えている。また遺族が事件現場を発見した時は、家は冷え切っていたと証言されているように、家中の暖房器具は切られていた。そこから考えるに、みきおさんはすべての作業を終えて家の電化製品の電源を切って、まさに二階に上がろうとしたところで犯人と遭遇したのではないのだろうか。

この状況からすると、二階で異変を感じたからとか何か人の気配を感じたからという感じではなかったのではないのだろうか。そしてみきおさんが犯人と格闘したのは1階だとされており、まさに二階の階段に昇ろうとしたところを階段にいた犯人と遭遇したのではないのだろうかということ。最初の一撃は、高いところから頭に包丁を降り下ろされていることからも、階段の上の段から階段下にいたみきおさんに、不意に最初の一撃を加えた可能性も考えられる。この辺は傷の角度などからも、警察が詳しく把握していることだろう。

こう考えると犯人の侵入には直前まで気づいていなかった可能性が高く、一階からの侵入は考え難い。またこのパソコン操作を犯人がやったとしたならば、パスワード付きメールをどうやって送ったのか? 何よりその後もいじる可能性のあったパソコンを、わざわざ強制終了させた意味がわからない。1時18分~のパソコン操作は犯人によるものだったことからも、その必然性が説明できなくなる。

土の着いた足跡が二階から多く残されていた理由、網戸の取り外しの状況、みきおさんのパソコンの使用状況やにいなちゃんも自分のパソコンで21時半頃までアニメを見ていた可能性からも、誰かが訪ねてきていた痕跡が見られない。黒いハンカチをマスクのように利用した意味、遺留品の返り血の状況、礼君だけ扼殺だった違いなど、一階からの侵入では説明が極めて難しくなる。様々な状況から考えてゆくと、出入りの明確な痕跡はなくても、中2階からの侵入(おそらく浴室の窓)ということになるだろうということ。

(礼君の扼殺)

礼君は、左手で口を塞がれ右手で首を締められて殺害されていることがわかっている。犯人や家族の返り血が遺体についていないことからも、礼君は最初に殺害されたと考えることができる。昨年になって礼君の布団に犯人の血が付いていたという新情報がもたらされたが、恐らくそれは犯人が遺体に布団をかけた時にでもついたのか、お婆ちゃんが発見時に泰子さんやにいなちゃんの遺体に触った時に、犯人の血も付着したのかもしれない。そのため殺害順に大きな影響を及ぼすような新事実ではなかったからこそ、今まで全く明らかになって来なかったのだろう。

だいたい考えて欲しい。手に大きな傷を負っている人間が、扼殺という選択をするだろうか? 礼君が最後だった場合、家族が殺されている間声も出さずに隠れていた。更に犯人が完全に止血を終え、返り血が全くつかない服装で、かつ怪我した手で首を絞めたことになるのだ。 

さらに犯人が礼君の口を塞いだのは、他の宮沢家の家族に気がつかれないためだったのだろう。その後の泰子さんやにいなちゃんの殺害方法では声を出されることもじさない覚悟であり、明らかに違っていることからもそう考えざるえない。また警察が犯人は右手を怪我していると推測しているのは、被害者の刺し傷から犯人が右手で包丁を使っていたことがわかっていて、その勢い余って自分の手まで切ってしまった(これはよくあることらしい)と警察は考えているからではないのだろうか。あるいは犯人が残した血の着いた手の跡など、何か状況証拠から推察しているのかもしれない。ハッキリとは右手を怪我したという確証はなさそうだが、その可能性が残された物証からも高いだろうということなのかと。

こうやってみると、やはり1階からの侵入というのものが考え難いことがわかってくる。まして誰かが来訪していたという痕跡も存在しない。パソコンに残されている通信履歴からも、人がいたようには思えない。改めて様々な観点から過去考察したように、可能性として残されていた玄関からの侵入も、考え難いのではないかという結論になった。



ちなみに上記の動画をみると、事件直後の周りの家の状況がわかる。向かいに二世帯と思われる大きな家と隣の入江さんの建物、そして画面には映っていないが、宮沢さんの家から3本南にある今も現存する家しか当時も建物がなかったことが、改めてハッキリとわかった。

とある動画から

まず、YouTube にもあげられている、この動画 を観て頂きたい。ここで話している方は、当時から熱心にこの事件を調べていた週間ポストの記者をやっていた方みたいなのだ。



この中で注目して欲しいのは、みきおさんがパチンコ関係の副業をしていたとか、北朝鮮への送金が滞り、その恨みを買っての犯罪ではないかという部分ではない。第一 みきおさんの副業説には、表向きにやっていた祖師谷パークスタジオ。その他にも、能力開発セミナー説や労働者の斡旋事業、そしてここで初めて耳にしたパチンコ関係なんて話を聞いたが定かではない。どうも何か みきおさんが、本業以外に何かをやっていたらしい。そこでのトラブルに巻き込まれたのではないかというのが、これらの話に共通する部分。 生前友人に 「紙一重の仕事をしている」 と言っていたのが確かならば、本業のコンサルティング関係の仕事だとは思えないというのは確かにある。

そしてその背景には、北朝鮮がいるとか、クリミナルグループのようなアジア系犯罪グループに巻き込まれたとか、韓国系のキリスト教宗教団体が絡んでいるのだとか、様々な憶測がされてきた。しかしみきおさんの副業や、背景にどんな人間が絡んでいたのかというのは、例えあったとしても私などがわかるレベルの話ではないし、何よりその信憑性を確かめる術もない。そこで今回注目したのは

1、新聞配達員にたびたび捜査員が話を訊いていたということ

この新聞配達員が絡んで来るのは、31日の4時ぐらいに新聞を配達した時には玄関の電気が消えていたということと、いつもと何も変わったことはなかったという部分。特に、何か怪しい人物をみたとか変化を感じたという話は表に出ていない。

警察が特に注目していたのは、どうも事件前に怪しい人物を観なかったのか?ということだったようだ。特にそれは、朝刊の配達ではなく、夕刊の配達の時間帯のことを言っているのだろう。事件前に、様々な不審者情報があり、その確認のためにこの新聞配達員からも複数回話を訊いたということみたいなのだ。新聞配達員ならば、それだけこの近辺を毎日配達していたからなのだろう。

2、写真は12枚にも及んだ

どうも警察の捜査線上には、12名程度の不審人物が事件発生から1年ぐらいの時点で浮上していたらしい。その中には外国人も含まれていて、この配達員に見たことがないか話を訊いていたのだという。恐らくその後事件が解決できなかったのは、こういった不審者一人一人を追っていったものの、容疑が晴れた人物、そして追いきれなかった人物がおり、そして捜査線上には誰もいなくなってしまったということなのだと考えられる。確か何処かで読んだ記事には、結局この中の数人はどうしても足取りを掴むことができなかったという話が記事になっていたし、このブログでもその記事を紹介したことがあったと思う。裏返せばその数人以外は、すべてシロだと判断できるまで捜査ができたということなのだろう。

新聞配達員は、別の営業所に移っていた

身の危険を感じたのか? この配達員は、事件から1年ぐらいたって販売所をやめて、北区の別の営業所へと移っていたのだという。それ自体大した話ではないのだが、実は実行犯だか共犯者だかはわからないものの、この事件に関わった人間の生活圏が北区周辺にあったのではないかという情報を掴んでいる。新聞配達員は身の危険を感じて営業所を変えたのかもしれないが、結果犯人のいたかもしれない地域に近づいた可能性があったのだ。これは単なる偶然なのか? それとも何か他の理由があったのだろうか。

顔見知り・組織犯罪 玄関から入った?

浴室の窓を頭から入るとすぐ下には浴槽があり、どのように音もたてずに入って行けたのかには確かに疑問が残る。恐らくそこには、お湯が冷めないようにお風呂の蓋が敷いてあったはず。というのは、にいなちゃんと礼君がお風呂に入っている写真があり、そこの背景かなにかにプラスチックの蓋が立てかけてあったような写真を見た記憶がある。さらによく考えてみたら、浴槽に投げ込まれた書類の写真には、お風呂の一部だけをあげて浴槽に大量のものが捨てられていた写真を見ていたことを思い出す。サファリックも気にしていたが、あのプラスチックだと思われる蓋に全体重をかけたら重さで壊れたり、ズレて滑る可能性もあり本当に捜査員の再現実験のように頭から浴室に入っていったのかには疑問を持っている。

それにしても国家が絡むような組織犯罪にしては、実行犯がプロとは思えない。第一大掛かりな組織犯罪ならば、坂本弁護士殺害事件のように一家ごと連れ去ったり証拠を一切残さない。仮に他への見せつける意味合いがあったら、複数の人間を同時に侵入させるなど、もう少し確実な方法を取るのではないのだろうか? どうみても実行犯のレベルは、留学生や技能研修生崩れであり、プロとは思えない仕事であるということ。本当に騒がれずに一人で家族4人を殺害できたのは、犯人にとっては運も大きく味方したとしか言いようがない。シナリオを描いた人間はともかく、実行犯は当時とてもプロと呼べるレベルではなかったのだろう。

一家全員の殺害が最大の目的

何度も言うように、この事件の最大の目的は 宮沢さん一家全員の殺害 にある。その最大の根拠は、まず最も証言能力が低く、抵抗能力が劣っていただろう礼君を最初に殺害していること。そして使用した黒いハンカチには、あらかじめ香水をかけるたり包丁を特殊な包み方をして使用していることからも、返り血を浴びることを前提に準備されていることからも伺える。

ただ脅すためならば、そのような面倒なことを最初からする必要がない。更にもう一枚の黒いハンカチは、顔を覆う覆面的な使われ方をした可能性が高いということ。そこからも犯人は、招き入れられたのではなく侵入を試みた可能性が高い 。そしてハンカチが捨てられていた場所は、包丁に使用したのものは台所に。もう一枚は、泰子さんとにいなちゃんの遺体のそばだった。これは何を意味しているかというと、二人を最後に殺害しもう顔を隠しておく必要がなくなったからで、そこに捨てたのではないのだろうか。そう泰子さんとにいなちゃんは、最後に殺害されたのだ。

(目から鱗の書き込み)

たまに2ちゃんねるを読んでいると、なるほどと思わせてくれる書き込みに出会うことがある。それは、もし脅しのために家に侵入したのならば、ガムテームや結束バンドなどの家族を縛るための道具を持参していたのではないかと書かれていた。それを読んで私も、なるほど と改めて思ったりする。そうこの犯人からは、どうもたまたま強盗に入ったとか、本当は脅すだけのつもりで刺し身包丁一本で入り込んだのではないかという意見がある。しかし私には、この犯人には明確な殺意、それも家族全員の殺害という目的があったとしか思えない。もしそれが、みきおさんの副業関係であれば、みきおさんこそ遺体の損傷が1番激しくなければいけないのではないかと思うのだ。ましてわざわざ屋根裏部屋まで上がって、犯人を目撃した可能性の低い 泰子さん や にいなちゃん を殺さなければならなかったのか? 

そう考えると私は、みきおさんの副業関係や国家レベルの大組織が起こした犯罪という風には捉えられない。私はもう少し規模の小さな、犯罪グループや数名単位の人間が企てた 金銭目的の犯罪だったのではないかという気がしている。私の犯人像は、クリミナルグループ説に近い。しかしその犯人達は、日本に長く生活していた日本人もしくは日本語が堪能な外国籍の人間達 による犯罪ではなかったのかと。

(警視庁は)

こうやってみると警視庁も、事件に外国人が絡んでいる可能性を早くから持っていたことがわかった。また事件前の様々な目撃情報を重視し犯人の絞り込みを行ってきたが、結局犯人まで辿りつけなかったということではないのだろうか。

そのような捜査を行ってきたさきに、事件から5年後ぐらいには、近所に住む若者による単独犯 という推理になったということなのだろうか? 私は思う、これはこの事件の本星だと睨んでいた フランス人ハーフ青年 を前提にした推理だったのではないかと。ちょうど彼の話が出てくるのは、事件から6年を経過したあたり。すでにこの事件から5年経過した頃には、この青年を徹底的にマークしていたのではないのだろうか? しかしその男を引っ張ってこられるだけの条件を、当時まだ満たしていなかったのかもしれない。男はその後、事件とは無関係だと判明する・・・

何故?

世田谷一家のことを調べていると、未だにバイク乗りなどを警察が引き込んで指紋を採取しているという話が時々出て来る。私ならばむしろ、バイクよりも軽自動車とか普通車を中心に指紋を集めようとするだろう。それだけバイクは、引き込みやすいからだろうか? しかしそこには何か、犯人はバイクを使って現場まで乗って来たのではないかという強い意図が感じられる。

(なぜ警察はバイク乗りの指紋を集めているのか?)

その最大の理由として考えられるのは、現場に残された遺留品の数々がバイク乗りを彷彿とさせるものが多いからではないのだろうか。例えば東京の12月で歩いているだけなら、現場に残されていたようなボア付きの厚手の出袋などはしないだろう。こういうのは、長時間手が風にさらされる、バイクや自転車に乗る人間じゃなければ使用しない。ヒップバックなども私より一回りは上の当時40歳前後ぐらいの人じゃないと日常的に使うイメージはないのだが、バイクを乗る人ならばもう少し下の世代でも使っていたのかもしれない。

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しかし前回の成城学園前からの道のりを歩いた感想などには、普段バイクを使う人間ではなかったのではないかと書いた。更にクラッシャーハットをかぶりながらフルフェイスのメットではまともに被るのは難しいことを考えると、私にはどうにもバイク乗りという気がして来ない。私は以前から書くように、自転車で現場まで来た人間ではないかとみている。それを裏付ける目撃情報として、31日の深夜1時30頃、公園北側を走るバス通りを何度も宮沢さんの家の方向を振り返りながら自転車で飛び出してきた男が目撃されている。しかし警察が、何かバイク乗りを重視する目撃情報があるのではないかと以前から考えていた。その理由かもしれないと思ったのだが、

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「未解決事件」の放送で僅かに写った地図に書かれていた 青いつなぎ30代 という書き込みである。私はこの部分しか見つけられなかったが、当日頻繁に宮沢家の周辺に、バイク乗りのような格好をした男が複数目撃されていたのかもしれない。31日の深夜3時頃には、倒れたバイクの前で立ちすくむ男(公園南側入り口付近) という目撃情報もあり、犯人の移動手段はバイクだったのではないかと警察は考えているのではないのだろうか。しかし自転車ならなんとか片手でも運転できるが、バイクは右手を怪我して傷むようだと、運転は厳しかっただろうということ。結局事件後、公園南側にバイクは乗り捨てられてはいなかったのだろうか?

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(飛び出しマンの目撃情報)

話は変わるが、事件発生直後の時間に、車の前を横を横切ったり、実際に車に接触したとりと、不可思議で目立つ行動をしていた男がいた。その男のことを我々は 飛び出しマン と呼んでいる。 本当に、このような男は存在したのだろうか? そこで以前も書いたが、飛び出しマンには3つの目撃情報があることを復習しておこう。

1,親子の乗る車に、男が急に飛び出してきてひかれそうになった事案(23時半頃)

この親子の証言が元に、この似顔絵が後日作成されることになる。

2,宮沢さん宅前の路上を、祖師谷公園に向かって歩いて出てきたところを男性が目撃(23時半頃)

飛び出しマンの時間とほぼ同時刻に、似た男が目撃されている。特にこれが記事になったのは、事件から間もない 1月16日 の新聞記事に。これは有力な目撃情報のはずなのに、今に殆ど伝わっていない。

3、飛び出してきた男に、接触した女性 (時間不明)

飛び出した男が女性の車に接触。女性が車から降りると、左腕から血を流しながらも男は「大丈夫」といって去ったそうな。事件から5年以上経ってからの匿名の電話で、その後女性とは連絡が取れず詳細な情報はわかっていない。

(飛び出しマンの仮説)

事件から2週間ぐらいの新聞記事になった最初の目撃情報は、宮沢家正面に続く横道から男が出てきたのが目撃され、公園に入っていったというものだった。そのためこの時は、特に車の前を横切るような異常な行動は見られない。ただし男は、体格の割に小さめの上着を着ていたと証言されている。これは、みきおさんの上着9枚が取り出されたあとがあり、それを着て逃走したのではないかという情報を裏付ける証言となっている。

ここからは私の勝手の仮説であり、想像の域の話であることをご了承願いたい。家族を殺害して間もなく、男は現場から出てきた。しかしそこには、自分を乗せて帰るはずの共犯者の車が待っているはずだった。しかし待ち合わせの場所には、車がいなくなっていたのである。

待ち合わせ場所から車を動かした理由は、想定外に現場近くのスケボー広場に若者達がたむろい始めたから。それで目撃されるのを恐れた共犯者は、車で現場を離れたのではないのだろうか。23時15分まで、現場近くでは黒いセダンの目撃情報がある。しかし23時20分には、スケボー広場に若者達がたむろっていたのを、バイト帰りの女子大生から目撃している。

実行犯は、ただでさえ興奮して動揺しているのに、裏切りにあったような気分になったのかもしれない。そこで男は、自分を乗せて帰るはずの似た車が通るたびに、自分がここにいるという存在を示ししながら、急いで車に駆け寄ってきたのかもしれない。しかしそれは犯人グループとは関係ない、ただの通りすがりの車。そんな事情を知らない運転手にとっては、不意に男が暗闇から飛び出してきたようにしか見えなかったのかもしれない。そのうちに男は、通りすがりの車と接触までしてしまう。

男は一刻も早く現場から逃げ去りたいと、非常に焦っていたではないのだろうか。知らない人間からみたら何か錯乱していたように見えたかもしれないが、それは薬物や酒などのせいではなく、極度に興奮し逃走を焦った犯人の姿だったのかもしれない。

そんなおり共犯者から電話がかかってきて、家族殺害以外の別の目的を言い渡された。あるいは、最初からあらかじめもう一つの目的を依頼されていたのに達成されないまま出てきたので、共犯者からもう一度現場に戻って目的を遂行するまで帰って来るなと指示されたのかもしれない。私は少なくても家への出入りは、一度だけではなかったと考えている。

だからこそ泰子さんやにいなちゃんは、犯人が現場を立ち去ったと思い、屋根裏部屋から階段を降りて来たのではないのだろうか? 犯人が外に出て迎えの車を待っている間、家の中から大きな物音がした。それを聞いた犯人が、再び現場に入って二人にトドメを刺した可能性もある。その大きな音とは、泰子さんとにいなちゃんが階段から滑り落ちて、中二階の床に転落した時の音だったのかもしれない・・・。

ところでこの2つの話を読んでいて、勘の良い人ならすぐに気がついたかもしれない。お前さっき自転車でやってきたのではないかと書いておきながら、何故迎えの車の話しているのだと。行きと帰りの服装の違いこそ、犯人が別の交通手段を使った可能性を示唆しているのかもしれない。

久々に現場へ行ってきました 後編

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今回も、上空写真 で場所をイメージしながら説明を読んで頂きたいと思います。家の正面を魅せてもらった私は(写真は私が撮影したものではありません)、南北に伸びる道路を渡って、スケボー広場の方にゆきます。ここから宮沢さんの家が、どのように見えるか観てみたかったのです。

2016-12-15 12.18.02

今は家の壁に亀裂が走り、そのヒビが非常に広がって壁が崩れる恐れがあるため、家の周りをブルーのシートで覆っています。当然事件当時はそんなものはなく、ここからでも良く現場が見えてたはずです。23時過ぎにここに若者達がたむろっていれば、例えバス通りの交通量が多くてうるさくても、私は何かしらの叫び声や争う音がこの辺まで響いていたのではないかとさえ思います。しかし何も聞こえなかったとしても、彼らは何かしらの怪しい人影を見たとか黒いセダンを見たとか思いあたるものはありそうなものですが、そういった証言は一切漏れてきません。私が行った日も、3人の若者がスケボーをやっていました。

2016-12-15 12.19.22

今度は、再び道路を渡って宮沢家裏のポッポ公園に入ります。さて裏のポッポ公園自体それほど大きな敷地ではないのですが、この公園内のどのベンチに座っても、おおかた宮沢家の全容を知ることができます。ですからあんまり近づいて観ていると怪しまれると思って多少離れたベンチに座ったとしても、この家の様子が把握しやすい作りにはなっています。しかしもし犯人が事件前にこの家のことを見た場合、あるいは事件中に共犯者が事件の成り行きを見守ろうとした場合に、どのへんのベンチに座ったのだろうと想像しながら、それぞれのベンチに座って宮沢家を見てみました。

その中でも有力だと思うのが、祖師谷公園を南北に貫く道路側の入り口から入って、仙川沿いの奥にある、このベンチ が、宮沢家から最も近いベンチになります。ただしこのベンチが、事件当時ここにあったのかはわかりません。しかしここからだと、宮沢家を斜め近くに観ることができます(そのベンチに座って撮影したのが、上記の写真です)。ここに座ってみる最大のメリットは、公園入り口から入ってくる人間を把握しやすかったこと。ましてスケボー広場に若者がたむろしていた場合、その動向を犯行時間チェックしやすかったのではないかと考えます。それだけでなく隣の家の住民が何か気がついた時にも、素早く家の中の実行犯に伝えることができたかもしれません。

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もう一つは、宮沢さん一家も撮影している階段を上がった塚の上にも、ベンチがいくつかあります。そこからならば宮沢家の浴室の窓を正面に観ることができ、その目線も中二階にあった浴室の高さと変わらなくなります。つまりここからならば少なくても、そのシルエットで家族の誰がお風呂に入っているか把握できたのではないかと。少なくても犯人は、浴室から侵入したかは別にしても、この塚の上からこの家を見たことがあったに違いないと確信させられました。以前も書きましたが、宮沢家の正面には事件当時よその家がありましたし、家の前の横道を入ってゆけば、近所の人にも怪しまれます(実際そういった目撃情報もありましたが)。そのため犯人にとっては、この家を後ろから観る機会が多く、事件のイメージをするのにも家の裏側からの方が描きやすかったと私は思うのです。宮沢家の周りをうろついても、隣の入江さんの建物の陰、そして正面に回っても前の家の陰に隠れがちだったろう当時は、家の中を伺うためには斜めに表側を観るか、裏の公園から全体を観るかしか方法はなかったわけです。そして家の裏全体を間近に観るには、この塚の上のベンチから観るのが何より見やすかっただろうということ。

ましてこの家の構造は実に縦長であり、裏と正面側との二箇所から見れば、家のどこの電気がついているかがほとんど把握できる作りになっていて、家族が起きているのかわかりやすかったと思われます。この宮沢家も入江家にも、何故にも雨戸を付けなかったのか何故なのか? 宮沢さんも泰子さんも、あるいは杏さんも含めて、東京育ちのはずなのに雨戸の習慣を持たないというのは実に不思議です。不幸にもこの作りが、犯人の侵入を許しやすかった要因になったことは否定できません。

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さて話は、ここからが今回の本題です。 浴室の網戸は公園フェンス側に落ちることなどありえるのか?

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まず浴室の窓の高さは地上3メートル・公園側のフェンスの高さは2メートルにあります。そして浴室の窓とフェンスの間の幅は90センチ離れています。ですから僅か1メートルの落下で90センチの幅を飛び越えないといけない計算になります。普通に考えれば、物理的にありえません。しかし人為的ならばありえなくはないというのが、現場を下から観ていて感じました。その人為的とはどういうことか? 犯人が逃亡時に、網戸を思いっきり蹴っ飛ばしたり、身体ごと突進するなどの強烈な力がかかった時です。

しかしです。夜中や早朝にそのような強い衝撃を与えたり、網戸が3メートルの高さを落下した場合(ましてフェンスとか当たったりした可能性も考えると)、外に大きな音が鳴り響いて、寝ていた隣家や公園周辺にいたかもしれない人の記憶に残らないはずがなかったのではないかと。それを周りの人間が気がつかなかったというのは、なんとも不思議でなりません。

新たな仮説1

そこで、一つの可能性をあげておきます。網戸自体は、実は発見時までついていた。しかしお婆ちゃんが家族の変わり果てた姿を見つけた時に、空いていた風呂場の窓を閉めて、また再び開けたと証言しています。その際に勢い余って、お婆ちゃんが網戸を落とした可能性です。それでもよほどの勢いが無ければ、フェンスを越えて網戸が飛んでゆくことなどありえません。まして浴室の窓の前には、浴槽がで~んと横たわっているわけでそんな勢いよく網戸に突っこめるのか?という疑問も浮かびます。それも 12月31日の午前10時頃と明るくなってからです。多くの人が年末休みに入っていたわけですから、誰かしら近くに人がいた可能性が高く記憶には残りそうなものです。祖師谷公園とは、非常に多くの人が行き交う公園なので。

何故お婆ちゃんの可能性を指摘したかというと、朝方犬の散歩をした人の証言では網戸は落ちていなかったとされています。その証言が確かならば、その時まだ犯人は家にいたか、お婆ちゃんが落としたかしか考えられないからです。ちなみに何かの拍子に自然落下した可能性はないのか? これも、ないと思います。というのは、浴室の網戸以外に、中二階の踊り場・トイレの窓に、同じ窓・同じであったろう網戸が今もはまっていますから。これは、3階ロフトの窓も同様です。事件から16年近くたち、現場検証して以来、恐らく誰も触っていないであろうこれらの網戸は、未だに落下していないのです。現場検証した警察のコメントとしては、網戸は簡単に外れるものだった。そして再現実験をすると、必ず同じところに落ちたとは言っていますが。

新たな疑問

それでは仮にお婆ちゃんが勢い余ってツッコミ、網戸を落としたと仮定してみましょう。それなら犯人は逃走するときに、網戸のない方の窓を開けてそこから逃走した。あるいは、ご丁寧に開けた網戸を元に戻して逃走したことになります。お婆ちゃんの証言は曖昧なのですが、事件当時窓は開いていたというのです。こう考えると網戸がない方の窓をあけて犯人は逃走したのに、何故かお婆ちゃんは、網戸のある方の窓を自分で開けて、そして物凄い勢いで網戸にぶつかった ・・・ ということになりますよね、それも、誰にも気づかれないほど静かに。こう考えると、お婆ちゃんが網戸を落とした可能性はかなり低いか、犯人は浴室の窓からは出ていない可能性も考えられます。それじゃ、公園フェンスの向こう側についた足跡って、いつ着いたものだよということになります。

ここまで考えると、過去何度か書いてきたように、この網戸は逃走時に犯人が勢い余って落としたものでも、お婆ちゃんが現場を発見した時に落とした可能性も低いだろうということです。ということは、進入時に犯人が外したと考えるのが自然な成り行きになります。それにしても何故、犯人は網戸を外す必要があったのでしょうか? 静かに横にズラせば良かっただけだと思うのですが・・・。その話は以前も書いたので、今回はここまで。

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しかしもし犯人が進入時に、2メートルのフェンスに両足で立って、90センチ離れた家の側面の壁に手をつきながら片手で外したとしましょう。上記の写真のように、事件直後の鑑識の人のように身体を相当前のめりしながら立ち、そのときに顔の前あたりに網戸が来るわけです。この状態ならば、網戸が簡単に外れたとしても身体が邪魔して公園フェンスの向こうなどに網戸が転がってゆくことはありえません。そのため考えられるのは、静かに片手で壁を押さえつつも網戸を空いた片手に持ったまま一度公園側に戻るか、誰かもう一人が下で受け取るしか考えられません。これを一人でやろうとすると、相当バランスが難しかったと思います。しかしこの時ならば、犯人が公園側に一度地面に降りた可能性があり、実は網戸の近くにあった足跡は、この外した網戸を自分一人で下ろし着地した時の痕跡だったかもしれないということ。もしこれが可能だった場合、犯人は単独犯であっても不思議ではありません。しかしもし私が一人だったならば、網戸を宮沢さんの敷地側にできるだけ静かに落ろそうとしただろうと以前にも書きました。

何故そう言えるのか

何故足跡が網戸を置こうとしたときに着いたのではないかというと、宮沢家の浴室からの出入りというのは、入る時よりも出る時の方が難しかったのではないかと考えます。というのは、入るときはフェンスの上に立って家の壁や窓枠あたりに手をついて這い上がることが可能だからです。しかし出るときにですね、公園側に着地することは極めて難しいはずです。それはまず窓枠に腰をかけて、90センチ離れた1メートル下の公園フェンスの上に足を斜め下に伸ばし、そこからフェンスの上に両足で立ってから何も掴まるものがないのに公園側に着地するわけですから。足を下に伸ばして宮沢さんの敷地側(フェンスを越えないで下に降りる)に真下に降りることは難しくはないでしょう。ですからこの足跡は、浴室の窓から逃走した時のものではないのではないかとも考えられるわけです。

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ただしですね、無理やり公園側に着地した可能性もあるのです。それは当時浴室の窓の下に植わっていた、椿の花びらが散乱していた、あるいはこの木の枝が落れていたのを捜査員が不思議に思っていたという話があります。もし進入時ならば、極力枝や花には触れないように静かに侵入しようとすると思うのです。しかし退出時ならば開けた窓の下がそのような状況でも多少無理してでも着地した可能性があるということ。まして公園側に着地しようと思うと、何か掴まるものがないと難しかったはずだと。それが、当時結構大きくなっていた椿の木の枝だったのではないかという可能性です。ちなみに現在ゆくと、公園フェンスから1メートルぐらい離れたところに、椿の木ではないかと思われる切り株が残っていました。それが、上記の写真になります。以前も書きましたが、何故そこまで無理して、公園フェンス側に着地しなければならなかったのかは未だもって大きな謎です。宮沢さんの家の敷地側に降りて、まわって公園に入り直したとしても、ものの数十秒の差でしかないからです。しいてそこまでする必要があったのは、通り側に出たときに目撃されるのを避けたかったぐらいしか私には考えられません。それならその後、何故に飛び出しマンは車の前を横切ったのか(この目撃情報が犯人ならば)?

結論

一人で網戸を片手で持って、公園側に戻ってフェンスに網戸を立てかけることは相当難しい作業であったろうということ。また退出時に、公園側に着地することも相当難しかったと考えられます。それらは絶対にできないとは言い切れないものの、かなり現実的ではありません。

それにもまして 発見時には網戸は公園フェンス側に立てかけるように置かれていました。これが警察や誰かが触ってそこに置かない限りは、ありえない状況なわけです。そのため私は侵入を手伝った人物がいて、網戸を受取った人物がフェンスにそっと立てかけたのではないかと考えています。すなわち、複数犯だったのではなかったかと。この辺は捜査関係者に、本当に発見時の網戸は、フェンスに立てかけるように発見されたのかとお聞きしたいところです。記事によっては、公園フェンス側に転がっていたという表現しているものもあります。事件直後の鑑識前に、物証の位置を動かすとは考えられないのですが、ひょっとすると残っている現場写真は鑑識後に捜査員が立てかけたものが写っていたという可能性も否定はできません。

ですから結論としては、家の内側から強烈な力で押した場合は、公園フェンスを飛び越える可能性はあるだろうと。しかしながら、それを犯人が夜中や早朝にやった場合、大変な音がしたはずで隣人の記憶に残らないはずはないだろうということ。そしてお婆ちゃんが、発見時に誤って落としてしまった可能性。これもちょっと物理的に考え難い上に、31日の10時過ぎという時間帯を考えると、目撃者が出てこないのも疑問が。

やはり以前も指摘したとおり、進入時に犯人が静かに置いたとしないと、なかなか網戸が90センチ離れたフェンスの向こうに飛び越えることは考えづらい。更に発見時のように公園フェンスに網戸が立てかけるように置かれていたのは、誰か侵入を手伝った人間がいたのではないかという従来の考えを変えるまでには至らなかったというのが、今回の視察での感想です。

今回改めて宮沢家の建物を見てみると、公園裏を中心に宮沢家の建物は非常にどの方向からも目立つということ。当時すでに4軒しか周りに家が残っておらず。公園の近くでよからぬことを考えていた人間を、何か引き寄せるものがあったのではないかと感じずにはいられません。そして前回来た時にはあまり感じられなかった、家の傷みが非常に目立つようになってきたこと。ヒビの幅が大きく広がっている部分があり、16年という時の流れを感じずにはいられません。私の家は宮沢さんの家よりも築年数は遥かに長いのですが、人が住んでいない家とはここまで傷むのが早いのかと改めて驚かされました。

久々に現場へ行ってきました 中編

前回は、事件現場までの道のりや周辺について触れました。今回は、現場周辺について気がついたことを書いてみます。今回の視察目的は、主に2つ。

1、宮沢家玄関の鍵の形状

2,浴室の網戸は公園フェンス側に落ちるのか?


を再度チェックすることでした。まず話をわかりやすくするために、今回も 上空からの写真 を見ながら、説明してゆきますのでご覧ください。

まず公園南側入り口から入った私は、写真中央を走る公園を南北に貫く道を上の方向に歩いてゆきます。画面下のテニスコートから道路挟んで向かい側に、まだ公園内に住んでいると思われる住民の家があります。ここは、地域の人が一緒になってハーブだかを育てているようです。前回訪れた時は、そこで複数の人が植物の手入れをしていたような記憶があります。この家は、事件当時数少なく残っていた家のうちの一軒だと考えられます。

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その家の前の道路から、道路三本向こうにある宮沢家を見たらどんな感じだか実際見てみたかったので写真に写すとこんな感じ。15年前当時、このように木が伸びて宮沢家までの視界を遮っていたかはわかりませんし、この木が当時から植わっていたかもよくわかりません。しかし前に民家があるここから、容疑者が宮沢家を見ようとは思わないでしょうね。怪しまれるでしょうし、まだもっと近くから見られますから。しかし宮沢さんの家をここから直接観ることは難しかったと思いますが、間の空き地に車を停めていれば、当然目についた距離だったとは思います。

さて「ASKAの事件簿」さんに書き込まれていた、公園近くさんの書き込みに次のようなものがあります。勝手ながら引用させて頂きます。

不審なのかどうかはわかりませんが、普段は立ち入りしない場所に止めていた車両がありました。
公園の貫通道路から枝分かれした位置に現場がありますが、その前の路上ではなく、川沿いの空き地に一台の車両が駐車していました。
斜めに突っ込むように。このクルマの存在を被害者はご存知でした


この書き込みを読むと、宮沢さんの家に繋がる横道以外には、上空写真を見ればわかるように3本の横道があります。特に宮沢さんの家から2本下の横道は、アスファルトか途中までしかなく、いかにも車を空き地に突っ込みたくなる作りになっています。当時もこの横道沿いには家はなく、私はここに車を空き地に突っ込んだ人物がいたのではないかと想像します。今でこそ車両が侵入できないように車止めの真鍮がありますが、その当時はなかったのでしょう。

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公園近くさんのこの書き込みは、先日もご紹介した朝方大阪に帰省するために荷物を運んでいて、手にタオルを巻いた男と出くわした話と合致する証言です。この空き地に無断に突っ込んでいたのは、この証言をした人だったのでしょうか? それとも後から作られたデマ話なのでしょうか? 公園近くさんの証言は更に続きます。

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ここで、前々日か前日なのか時系列が不確かな情報ですが、あえて不審ということでは合計三台が頭に浮かびます。(軽ワゴン・トヨタ乗用車・マツダ乗用車、いずれも駐車位置は若干異なりますが直近でした)

と記されています。ですから、その他ニ台の不審車も、この車の近く。すなわち宮沢家よりも南側あたりに停めてあったということではないのでしょうか。ただしそれは、事件当日だったとか、その日の夜とは書いていません。しかし、被害者もご存知だった という部分は気になります。それだけ何やら不気味な陰を、家族は事件前から感じていたのではないのでしょうか。

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ここからだと木が事件当時どの程度前を覆っていたかはわかりませんが、だいぶ宮沢家をハッキリ見ることができます。更に下の写真は、宮沢家よりも一本南側の横道の模様。これ以上近くからは、警官もいたので撮影はしませんでした。これ以上先の画像は2013年のものらしいですが、こちら のサイト様に詳しく掲載されているので参考にしてみてください。ただしこの方向からは宮沢さんの家は前に家が建っていて当時良く見えなかったはずで、逆に宮沢さんの家からも見られないというメリットがあったことも否定できません。車を長時間停めるには、好都合な場所だったとも考えられます。

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そして写真の右側の空き地に入って歩いてゆくと事件現場の家を真正面に観ることができます。常駐のおまわりさんに、写真は撮らないのでと黄色テープが貼られた外側から、魅せてもらうことに致しました。そして今回の目的の一つが、宮沢家の鍵穴の形状を確認することでした。残念ながら双眼鏡を持って来なかったので、あまり細かくは見られませんでしたが、私の想像していたものとは違います。

というのは、玄関のMIWA製の鍵穴が横穴なのか縦穴なのかを確認したかったのです。私も鍵のことはよく知らないのですが、縦穴の鍵というのは古いタイプで容易に複製も作れる代物だそうです。そして事件のあった2000年にMIWA社は、極めて複製の難しい横穴タイプの鍵の販売を始めたそうです。ですからもし宮沢家の鍵が横穴タイプだったすると、簡単にスペアキーなど作れずメーカーに発注しないといけないタイプだった可能性が高いと考えていました。しかしその期待は、見事に裏切られます。

結論から言うと、上部の鍵も下部の鍵も丸形をしているのです。私が考えていた鍵の、いずれのタイプでもありません。そこでMIWA社のホームページにゆくと、過去の鍵が年代ごとのパンフレット の形で今でも閲覧できるようになっています。

そこで玄関の形状に似た鍵はないか記憶を辿りながら探してみます。全く素人なので確信は持てないのですが、宮沢さんの玄関の鍵は、1994年パンフレットに掲載されている 防音扉用グレモン錠であるGTシリーズ あたりを、玄関に付けたのではないかと思いました。

この扉は玄関に使用するものなのかはわかりませんが、元々あった鍵ではなく礼君が奇声を発したりするようになって新たに付け替えたのかもしれません。通常空港など、音のうるさい場所で使用される防音扉です。もしこの鍵が、簡単に複製できるもなのか? 簡単に開けられるものなのかまではわかりませんし、私自身本当に種類が合致しているかの確信がもてません。当然警察は、その辺のことはしっかりと把握しているはずです。そのため鍵の形状は確認できたものの、疑問を解決するまでには至りませんでした。ここで鍵の形状を確認したかったのは、犯人が玄関から鍵を開けて侵入することが可能だったか知りたかったからです。

今回も長くなったので、続きはまた次回にということで。

久々に現場へ行ってきました 前編

約2年弱ぶりぐらいに、世田谷の事件現場に行ってきました。幾つか、確認したかった事案があったので。

まず前回は、成城学園前の駅を出て、成城学園大の前を通って、ひたすら祖師谷公園を目指しました。しかし今回は、仙川沿いの道を歩くことにしました。それは事件前日に、遺留品とそっくりな格好したラグランシャツの男が、仙川沿いを歩いていた、あるいは成城橋のあたりで佇んでいたとの目撃情報があったから。そしてこの男が目撃された時間帯こそ、宮沢さん一家が渋谷の映画館にゆくために、成城学園前の駅を利用した時間と合致していたことから、有力な目撃情報とされている。

この目撃情報があった2000年12月29日(金)の東京の気温は、最高気温10度・最低気温3.8度。昨日の東京都世田谷区の気温は、最高10度・最低4度 。天気は晴れで、ほとんど同じような天候だったということ。少し肌寒く感じる空気で、目撃者がこの時期にしては薄着だったので覚えていたというのも頷けます。普通では、ラグランシャツ一枚羽織っただけの格好では歩かないでしょう(ジョギングでもしていなければ)。

まず土地勘がたいしてない私は、成城学園前の駅を、そのまま祖師谷公園側方向の出口から向かいます。そして駅から仙川をめがけて歩きます。しかし仙川をまたぐ成城橋は見つかりましたが、それは仙川沿いを歩く道の上を通っており、川沿いの道への降り方がわかりません。どうやってこの道に行けば良いかわからないので、成城学園の敷地の中からなら行けると思いました。前から歩いて来る中学生だかにどうやって川への道に行けるのかと訊いたら、川をまたぐ橋(これが成城橋だと判明)を越えると道があるということで、敷地を出てそれらしい道を見つけます。あとでわかったのですが、そこからも行けますが成城学園側ではない反対方向の出口から出ても、この川沿いの道に入れるようになっているようです(今度行ったら試してみます)。

ここで何が言いたいかというと、ようは土地勘がないと、この川沿いの道なんか使わないだろうということ。宮沢さん一家が、家族で歩いてこの道を行ったとすると、大人の足で20分以上、にいなちゃんや礼君などの小さなお子様を連れていたら、30分ぐらいは駅までかかったのだろうと想像できます。しかし子供連れならば、この道を選んだろうなと感じる部分もあります。一つは、川沿いの道は狭く、車の往来が一切ない。ようは、人と自転車ぐらいしか使わない道だということ。そしてこの仙川自体の水が綺麗で、鯉が泳いでいたり、鴨が水浴びしていたり、サギが歩いていたりと、子供と歩くには非常に良い景色だということ。そういった意味で時間をかけてでも、この道を歩いてきたのではないかとも想像できます。

ですからもしこの不審者が、この道を歩いた場合、きっと家族のあとをゆっくり歩いてついてきたか、偶然祖師谷公園の現場を向かうときに使ったかのいずれかなはず。もし家族のあとをついて来たわけではないのならば、この男はこの付近の土地勘がある人間だと感じます。それも普段は、歩くか自転車を中心に生活していた人間ではないかと。バイクや車を使う人間は、この道を選択しないのではないのでしょうか。そしてある程度土地勘がある人間ならば、成城学園前~祖師谷公園までの長い道のりを歩こうという発想にはならい気がします(歩くのを趣味にしているなら別だけど)、そのため家族のあとをついてきた可能性が高いのではないかと?と推測します。

ただしこの川沿いの道、人通りもそれほど多くないですし、前後の見通しがかなり先まで見える。そのため相当離れて尾行しても、家族に気がつかれてしまうのではないかということ。小さい子供と歩いたとなるとゆっくりだったろうから、普通の人ならばすぐに見えたあとに追い抜くだろうということ。それを次にみても距離が縮まってなかったなんてことだったら、勘のいい人なら怪しいと思うだろうし、誰かその光景を目撃していなかったのかとも思います。下手すると宮沢さん夫婦は、男に気がついていた可能性すらあります。しかし宮沢さん親子が、車で成城学園駅前まで向かったとすると、バイクや車で追いかけたとします。そうしたらそこから戻るときに、この川沿いを歩くという選択肢にはならないはずなので、やはり歩いて尾行してきた可能性が高いのではないかと。

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さて駅から川沿いを20分以上歩いてゆくと、ようやく祖師谷公園南側の入り口に出くわします。南側から入ってすぐに、現在保育園が公園内に建設中でした。もしこれがもう少し早かったら、礼君やにいなちゃんはこの保育園に通っていたかもしれません。2017年4月開園なのかと思いつつ建築計画の看板をみていると、何気なく建築主が、埼玉県入間市 というところが少し引っかかってしまいました(なんでもありません)。少なくてもあそこは、祖師谷公園の敷地内ですよね。深い意味はないのだけれど、いつからこの保育園の計画予定はあったのだろうとふと思いました。祖師谷公園周辺には二箇所すでに保育園があるわけですが、それだけ待機児童の問題が深刻ということでしょうか? 

さてこのあと現場に近づいてゆくわけですが、今回は飛ばして別の話を。公園北側(下記にリンクした航空写真だと、画面左上の第二マンション寮)には、確かNTTの社宅か何かがあったはずです。事件前からあったわけで、公園近くの方によると事件前にここの住民の子供に対し脅迫文かなんかが送られたことがあったとかで。今回いったら、取り壊されて更地になっていました。この犯人も捕まっていないという話しもありますが、時の流れを感じずにはいられません。

公園北側を出ると、駒大グランドの壁に突き当たりバス通りに出ます。そこを右に曲がると1キロぐらいゆくと環八に。その前に、榎の交差点という目印があります。そちら方向に曲がって公園を出てすぐに、

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まちづくりセンター というのがあります。私が初めて駒大グランドに野球を見に来た事件の1年ぐらい前、ここはまだ簡易な駐車場だった気がします。そこに停めてはじめて、野球を見に行ったような記憶が。その後は、駒大の合宿所前に停めて良いと訊いたので、学校の敷地内に停めさせて頂くようになりましたが。ここが何故気になるかというと、もし黒いセダンを移動させて公園近くに停めたとしたら、この辺だったのではないか考えています。黒いセダンの目撃情報は23時15分が最後で、その後がありません。23時半過ぎの飛び出しマンのあたりの目撃情報では、あの狭い道にも関わらず黒いセダンの話が一切出てこないから気になっていました。

というのは、祖師谷公園を南北に貫く道を北側から出ると、すぐに車が停められそうなのはここだったろうということ。今でもまちづくりセンターの隣の敷地は、24時間駐車場になって一般の方が停められるようになっていました。バス通り沿いは、凄く狭い上に交通量が多い。ここに停めるわけには、行かないでしょうから。

その南北を貫く道の一本環八側には、公園の敷地の外をなぞるように狭い道があります(上空写真だと、(株)スージースポーツと書いてある横の道です)。ここは、私が駒大グランドに初めてきたときに、誤って入り込んでしまいました。これ以上入ると戻れなくなると、途中まで入って慌てて他の道路と合流するところで切り替えしたのを今でも覚えています。ですからこの事件が起きたときに、現場が駒大グランドからほど近い祖師谷公園周辺だとは訊いたので、なんとなく景色としてのイメージはこの事件に興味を持つ前から知っていました。しかしその後何度も訪れていた駒大グランドから、ここまで近いとまでは想像もしていませんでしたが。

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ただしこの道路沿いに車を停めていたというのは、ちょっと考えづらい。というのは、道が狭いので停め難い。土地勘のない人間が入り込むのには、曲がりくねっていて先がイメージし難く心理的に入りたがらないだろうということ(すぐに逃げられるためにもね)。またこの道路沿いには、家が当時から立ち並んでいて(公園の移転区域の外だった)、それこそひと目につきやすいというのも理由になります。現場から離れたところから車で来た人間ならば環八を使ってきた可能性が高く、公園を南北を貫く道を環八方面にに曲がって車を停めようとするわけで(左側に曲がると交番が近いので停めないでしょうし)、更に現場から最も近い、このまちづくりセンターあたりに停めたのではないかと推測するわけです。ところで何故、黒いセダンを公園内から移動させる必要があったのか? それは私の想像ですが、宮沢さんの家の近くのスケボー広場に、想定外に若者達がたむろい初めたから。それも当日は、警察の名前で(警官はニセだった可能性も)この若者達を解散させたなずなのに(そういったスケボー少年の書き込みがありました) ・・・ 。もし成城署が、実際に行ったのならば明らかにすべき事案です。

さてここで思い出したのですが、23時20分ぐらいに、このスケボー広場に若者達がたむろっていたのをバイト帰りの女子大生が目撃したとしたという話。これは私の推測ですが、この女子大生が迎えを待っていた場所は祖師谷公園のサービスセンターあたりのバス通り沿いだったのではないかと思います。そこからじゃないと、スケボー広場のあたりに若者たちがたむろっていたのを目撃できる場所が想像し難いものがありますから。もしこの私の推測どおりならば、このまちづくりセンターのあたりに黒いセダンを停めていた場合、彼女が目撃していた可能性はないのでしょうか? 場所的には、彼女が待っていた場所の道路挟んで斜め前あたりになるわけですから視界には入っていた可能性があるということ。その辺がどうだったのかは、気になるところです。

今回の話がイメージし難い方は、こちらの航空写真 をご参考に。

現場への話は、次回にでも。

2000年12月30日(土)の目撃情報

「NHK未解決事件」の放送を見直していて、地図上に赤字で書き込まれた目撃情報と思われる文字に注目してみた。一部しかわからないもの、よく読めなかったものもあったが、私がこれまで知り得ない目撃情報がたくさん書かれていたことに驚く。ここで情報の正否は別にして、私の知り得る情報と共に時系列に記してみたい。特に有力な情報は太字で、また赤字は今回の「未解決事件」の番組から読み取れたものを抜粋してみる。


50秒付近から

2000年12月30日(土)

午前中? 一家全員で家の大掃除(杏さん記述・時間は記されていない)

みきおさん 成城学園駅前の洋菓子店で買い物

12時前後   黒(紺色)セダン

12時過ぎ   車で帰宅したところを、向かいの家の住民が目撃

時間不明  スケボーをする若者が、 にいなちゃん を引きそうになり、みきおさんと一触即発

15(時間を指すのか不明) 茶色コート

15時30  青か黒のジャンパー 40歳前後

16時?    青いつなぎ 30代

16時30   薄緑 ダウン  30才前後
        
         家族玄関にしめ縄飾りつけを行う

     にいなちゃん隣家に割り下届ける (杏さんまだ暗くなる前と記述)

        成城学園前駅近くの商店街に自家用車で一家外出

17時     黒(紺色)セダン

17時15分 黒いジャンパー (スケボー広場側)

夕方      仙川沿いを帽子と黒っぽい上着の男 175センチぐらい 
         を近所の住民目撃

18時     黒ジャンパー 40歳ぐらい 浮浪者風

        一家を成城学園前駅付近で近所の人が目撃

18時16分 泰子さん、千歳烏山駅近くの写真店で現像写真を受け取る

18時38分 泰子さん、隣の薬局で四千円分の買い物。のち帰宅


19時    黄土色コート

◯◯時   35歳~40歳

◯◯時   40歳男トイレから出る


         隣家内線で宮沢家(恐らく泰子さん)と会話

19時過ぎ  宮沢さん一家家族で鳥鍋で夕食
      
20時頃  現場付近にタクシーで乗り付けた男の存在

20時20分 黒(紺色)セダン

20時30分 隣人が宮沢家のインターフォンが鳴ったとの証言(しかし入江家では否定)

20時半~21時 師谷の第七分団消防団による見回り(異常なし)

21時頃 現場付近で3人組がタクシーに乗車(時間が曖昧)
     仙川沿いの歩道で男性目撃(前日成城橋付近で目撃した男似) 

21時    黒(紺色)セダン
21時10分 黒(紺色)セダン
21時30分 黒(紺色)セダン

21時48分まで にいなちゃんパソコンでテレビ視聴

22時00分 黒(紺色)セダン
       中年男性仙川沿いの歩道で目撃
       坊主頭の気持ちの悪い男が道を歩いていた
       男女の言い争う声が宮沢家から聞こえた

22時15分 みきおさんインターネットに接続

22時30分頃、金髪の白いジャージ男、犬を睨む

175cmの黒ジャンパー、黒っぽい帽子を被り、運動靴を履いていた若い大柄な男が宮沢さん宅前で目撃される

身長170 センチ、年齢40歳ほどの男で黒っぽいスーツ姿でビジネスバッグを 持って歩いていた。その男から10メートルくらいの間隔で 大柄な若い男が歩いていたという。若い男は身長175センチ、頭には 黒ぽっいニット帽子、色あせたジーンズ、黒ぽっいジャンパーを着て、 スニーカーをはいていた。

22時38分 みきおさんのパソコンからパスワード付きメール送信

22時50分頃まで、みきおさんが趣味のアニメーションビデオを鑑賞。

23時~23時半 犯行推定時間

23時    黒(紺色)セダン
23時15分 黒(紺色)セダン

23時20分 スケボー広場に若者たむろう(バイト帰りの女子大生目撃)

23時25~40 宮沢家へ入る横道付近 黒か紺のジャンパー・Yシャツ
         (飛び出していないが第一の飛び出しマン情報のことか?)

23時30分    175cm、四十歳前後の眼鏡をかけたスーツ姿の男が公園近くで目撃
          入江家長男 ベニアをひっくり返すような音を訊く
          近所住人  ドスンという大きな音を訊く


23時半過ぎ~ 親子連れの車の前を男が横切る(飛び出しマン2)


時間不明 靴を履かずに靴下で出歩き、目が笑っていた男を近所のオバチャン目撃

12/31(日)

0時00分前後 丸刈りの男・タクシーで乗車
         公園北バス通りへの出入り付近に何か情報あり

01時18分 犯人、インターネットに接続

01時30分頃 自転車乗った男が公園北を走るバス通りに飛び出し宮沢家方向を何度も振り返り走り去る

03時頃    倒れたバイクの前で立ちすくむ男(公園南側)
        
        公園南側の仙川にかかる橋で何か投げ込まれるのが目撃

04時00分 朝日新聞の女性新聞配達員が郵便受けに新聞を届ける(電気は消えていた)

時間不明  散歩をしていた人が電気は消えていたと証言
        宮沢宅方向から飛び出してき男と接触 運転手に「大丈夫」と言って去る(飛び出しマン3)

朝方  犬を散歩させていた人が網戸はまだ落ちていなかったとの目撃情報

現場近くの空き地で、朝方車に荷物を積む男が、手にタオルを巻いた男とすれ違う

10時05分 インターネットに接続(マウス落下の可能性)

配送の車バックして家の前の道路に入ってきて 荷物を届けに来る

10時56分、家族が警察に通報

11時過ぎ 新幹線に首元に血が着いたシャツの男が自由席乗車

17時26分 東武日光駅で 手から骨が見えるほど負傷した男を駅員が手当

これらの目撃情報が、すべて犯人と直結するものではないだろう。中には、デマ、勘違い、思い込み、記憶違いなど様々なものが入り混じっていることが予想される。更に誰か一人がついたデマから新たなデマが派生しているような話が、この事件の場合は存在するのかもしれない。またその日、その時間に、たまたま近くをうろついていただけの人物がいても不思議ではない。

しかしながら、デマにデマが重ねられて膨れ上がっていったとしなければ、複数の人から共通する目撃情報がある。それは、

家の近くに黒(紺)のセダンが長時間停まっていたこと

40代の中年男性

30代前後の大柄な若い男


これは、以前から目撃情報で共通するキーワードだった。今回のNHKの資料を読む限り

40代ぐらいの中年男は、 黒か紺のジャンパー

30代ぐらいの若い男は、 青いつなぎ&薄緑のダウン 

それに40代ぐらいの  茶色(黄土色)のジャンパー


の目撃情報が複数から出てきている。全員が事件に関わっていたかは微妙だが、現場付近には2~3人の男が、事件前からうろついていたようだ。

この時代の外国人犯罪を調べていると、役割分担が詳細に別れている。家族の動向、生活パターンを把握する偵察的な役割を果たすもの。実際に現場に入って事件を行うもの、事件のシナリオをたてる 司令塔(日本人が多い) を務める人間、お金を引き出すものなどなど、その役割は複雑多岐に渡る。これらは大掛かりな組織というよりも、それぞれが犯罪ごとに必要な役割の人間を使い、専門分野をこなすという感じで横の繋がりは薄い。宮沢家も事件前から、複数の人間により代わる代わる家族の動向を探られていたという話しもある。

私は、何かしらの少数の犯罪集団(2~4名程度)による犯行だとこの事件を睨んでいる。そのためこの事件の目撃情報の幾つかには、本物が混じっていると考える。どの情報が本物なのか? それを見極めるのが、極めて難しい。

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世田谷一家殺害事件 の犯人像について、モナザイト の主観で事件を考察します。

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