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供養なのか 挑発なのか?

ちょうど事件から100日後、宮沢家から仙川を挟んだ対岸沿いから南に30メートル南下したベンチの上に、宮沢家を見るように地蔵が置かれていた。果たしてこの地蔵は、宮沢さん一家を供養するために誰かが置いていったものなのか? それとも犯人が別の意味を込めておいて行ったものなのか? 私はどうしても検証したいと思っていたのだ。桜咲く3月下旬、私は再び現地を訪れた。

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その検証とは、仙川の対岸沿いの道のどこにベンチがあったのかということ。もし川沿いに向かって地蔵が置かれていた場合、地蔵は通行人に背を向けて宮沢家の方を向いていたことになる。逆に川とは反対側にベンチがあって置かれていた場合、たとえ宮沢家の方角を向いていても、通行人に向けて置かれていた形にもなり、他の人にも拝んで欲しいという意味合いも含まれていたのかもしれないということ。そう一般的に地蔵とは、道路の方に向いてあるものであり、道行く人から拝めるように置くのが通例となっているのだ。これにより地蔵が、供養を目的としたものなのか? 何か愉快犯的な挑発的な意味合いが込められたものなのか? 置いた人間の意図がわかるのではないかと思ったのだ。あの連続幼女誘拐事件の宮崎勤が、遺骨の入ったダンボールを被害者宅の玄関前に置いていったり、神戸児童殺傷事件の酒鬼薔薇聖斗が、殺害した男の子の首を学校の校門に置いたのと似た心理が犯人にも働いていたのではないかと。

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そこでまず、成城学園前の駅から祖師谷公園に向けて仙川沿いの道を歩いてみる。すると、あることに気がつく。祖師谷公園まで向かう道のりまでに、一箇所を除けば、すべてのベンチは上記の写真のように川沿いに設置されているのだ。その一箇所というのは、少し大きめの広場になっており複数の人が座れるような特別なスペースなのだ。しかしここを除くと、現場までそういったスペースは他には存在しない。

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駅から20分ほど歩き進んでゆくと、祖師谷公園の南側入り口にでくわす。

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さらに公園に入ってゆくと、地蔵の置かれていた仙川沿いの道と、事件現場である宮沢家を見下ろすように建っている住宅地へと続く合流点に差し掛かる。地図でいうと、このあたりになる。

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この右側の道が、仙川沿いの地蔵が置かれていた道になる。まず、次の地図をみて欲しい。この場所だと、下記の写真のように、植え込みと植え込みの間に数十メートルおきに何も植木が植わっていないスペースがあるのだ。恐らくベンチがあったとすれば、この空いたスペースに設置されていたのではないかと?

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ただしだ、地図のこの部分までは、道路の反対側は草むらになっており、反対側にベンチがあっても不思議ではないのだ。

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しかしこの地点だと、宮沢家の対岸から計測すると100メートルぐらい離れていて、記事に書かれていた30メートル付近とは異なることになる。そこで 地図で宮沢家対岸から30メートル南側は何処あたりかみると、この辺だったのではないかと。

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この付近からだと、ブルーシートがはっきり肉眼で確認でき、宮沢家の玄関付近の様子もよく見えたのではないのだろうか。きっと地蔵を置いた人物も、ここから警察官の動きを確認したに違いない。しかしこのあたりの川沿いと反対側をみてみると、

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このような壁になっており、道路の反対側にベンチを設置していたとは考えられない。したがって記事の30メートル南側にベンチがあったとするならば、それは仙川側にあったはずなのだ。すなわち地蔵は、道路に背を向ける形で歩行者が拝むことなど無視するかのように置かれていたことになる。それは供養という意味合いよりも、地蔵がここにあるぞという自己顕示欲の現れだったり、いつでも犯人はこの家のことを見ているというメッセージが含まれていたのかもしれない。奇しくも地蔵が置かれたのは4月の上旬であり、まだこのように桜が残っていた時期だったのかもしれない。日中の祖師谷公園は、多くの人が訪れる近所の憩いの場になっている。

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また以前この場所は、用意周到に選ばれた可能性があると書いた。そのように熟慮した人間が置くのならば、当然地蔵をどのようにおけば、人の目に留まるかまで考えたのではないかと。私には地蔵をベンチの上に放置し(通常ならば地面に置くもの)、歩行者に背を向けるような置き方をする人間が、地蔵に供養の気持ちをこめるような人間だとは思えないのだ(扱いが雑)。ましてだ、事件から100日目という区切りの日に置いたのは、20世紀最後の日に事件が発覚するように仕向けた、この事件の犯人の思考と似た匂いを感じずにはいられない。以前から述べているように、この事件は 愉快犯的な色彩を帯びた快楽殺人だったのではないか と改めて強く実感するに至ってのである。

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話は地蔵から離れて、前回載せた上記の写真に注目して欲しい。この写真は、前回犯人がこのような格好で宮沢家に侵入したのではないかと参考にさせてもらった画像だ。この事件に詳しい人ならば、この写真をみてピンと来た人も少なくないのでは?

そう銃を持っているのが、気になった人もいるだろう。世田谷の犯人は、階段や子供部屋のベッド付近を、軍隊で教えるような カニ歩きのような足跡を壁伝いに残していたという。そこから犯人は、(元)軍関係の人間だったのではないかとさえ言われてきた。しかしその割には、プロとは思えない行動も見え隠れてしており、私はこういったものに興味のある素人だったのではないかと推測している。

そして上記の写真をみると、サバイバルゲームの愛好家や陸軍の歩兵部隊などに興味のあるミリタリーマニアなども、こういった格好を真似るのではないかということ。単にバイク乗りなだけでなく、黒いハンカチをフェイスマスクのように利用し顔を隠すのは、こういったところから来ていた可能性があったのではないかと。ボーダーのファッション → バイク乗りの服装 → 軍事マニア など黒いハンカチをめぐり、薄っすらと犯人像が浮かび上がってきている気がするのは私だけだろうか? しかしそんな男が、何故凶器はナイフではなく刺し身包丁だったのだろうかという疑問は残るのだ。

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犯人が訪れていた可能性


世田谷一家の犯人が、現場に残した「ユニクロのエアテックジャンパー」のポケットとヒップバックの中から、三浦半島の海岸の砂が含まれていたという。その砂は、馬堀海岸、北下浦海岸、三浦海岸のいずれかのものと推定されるという。

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(うみかぜ公園)

そして三浦半島には、元祖スケボーパークとも言われるほど有名な、「うみかぜ公園」があるという。以前この公園に赴いたときの記事は、こちら となる。京急・県立大学駅から海側に向かって15分程度の距離にあるが、歩く習慣があまりない人にとってはちょっと距離がある。これは祖師谷公園が、駅から徒歩25分程度の距離にあることも考えると、やはりここにも何かしらの電車以外の乗り物を使ってきた可能性は否定できない。しかし祖師谷公園 とこの うみかぜ公園 は距離がありすぎるので、自転車ということはないだろう。犯人の移動手段は、バイク・車・公共交通機関ということになりそうだ。それもまだ11月~12月と、首都圏ではそれほど寒くない時期に、あの当時のかさばるユニクロジャンパーを着ていたとなると、徒歩(公共交通機関)ということもなく、車かバイク(原付きではないもの)ということになりそう。それも長時間この手のジャンパーを車の中で着るには邪魔だし暑い。私はあえてこの時期に、厚手のジャンパーを着て移動したとするならば、バイクではなかったかと思うのだ。そして犯人が事件現場までの移動も、原付きではないバイク だったのではないかと思うようになってきた。まして犯人は、現場の行動からも暑がりではないかと思われ、そんな男があえてあのようなジャンパーを11月~12月に着ていたというのは、長時間風にあたるバイクを乗っていたからだとしか考え難い。

また事件の2年前に、宮沢さん一家は三浦半島にある海辺のホテルに宿泊したとされている。三浦半島で海辺にあるホテルとなると真っ先に浮かぶのが、京急の観音崎ホテル であり、恐らく一家が宿泊したのはここだったのではないかと推測する。この うみかぜ公園から観音崎ホテルまでは、3キロも離れていない場所に位置するのは偶然なのだろうか?

またポケットに入っていた砂は、馬堀海岸、北下浦海岸、三浦海岸 のいずれかだとされているが、うみかぜ公園と馬堀海岸との距離は1キロ程度しかないそばであり、この砂は馬堀海岸の砂、もしくはそこから飛んできた砂が何かしらの形でジャンパーのポケットやヒップバックの中に混入したと考えるのが自然だろう。

実際どのぐらいの量の砂がどのような形で見つかったのは定かではないのだが、前にも書いたとおり、この うみかぜ公園自体はコンクリートで大部分が舗装されているなど、けして砂地ではない。また馬堀海岸自体も、護岸工事が進んでおり海辺には降りられるものの、コンクリートか岩場といった感じの場所で砂が入り込むというイメージではない。むしろ砂が混入するとなると、それこそ観音崎ホテルの周辺の砂浜だったのではないのかとさえ思えてくる。犯人と宮沢家を繋ぐ接点が、この周辺に何かあったということなのだろうか?

ただしこの発見されたユニクロジャンパーは、事件直前の2000年11月に販売されたものであり、砂が混入したということは、それ以後に三浦半島を訪れていたということになる。そこで AJSA(日本スケートボード協会)のHPによると、うみかぜ公園で2000年に行われた大きな大会は、7月22・23日 に催されたことが記されている。少なくてもジャンパーの販売時期から考えて、このときは うみかぜ公園に大きな大会があるから見に来ていた、あるいは参加したという理由ではないようなのだ。

もちろん他に小さな大会が催されていた、日常的に訪れる習慣があった、たまたま有名スポットだから行ってみたのかもしれない。しかしあえてこの時期にうみかぜ公園を訪れたということは、犯人の日常的な行動範囲の可能性があり、近くに住居があった可能性も捨てきれない。そう、この うみかぜ公園から1キロも離れていない場所には、米軍の横須賀基地が存在するのだ。事件との関連性は掴めていないが、頭の片隅に入れておいても損はないだろう。私が犯人との関連を疑っている空軍の横田基地と違い、横須賀は海軍の基地であるということ。

(カリフォルニアストリートスケードボードショップ)

またこのヒップバックの遺留品の中からは、カリフォルニア州の砂、それも特徴的なエドワード空軍基地近くの砂漠の砂だったのではないかという話がある(東京新聞)。他にもこの中には、約1億4000万年前のものと思われるモナザイトも含まれており、この花崗岩はロッキー山脈のものとされている。ということからもヒップバックが犯人の持ち物だった場合、極めてカリフォルニア州近辺に渡航した可能性が高い、あるいは普段から住んでいた可能性がある人物だということになる。

そしてスケボー発祥の地は、諸説あるものの カリフォルニア だとされている。そうボーダーにとってカリフォルニアは、特別な場所なのだ。そしてこの事件の犯人は、何か スケボー と カリフォルニア に大きな繋がりがある人物なのではないかと思われた。しかし、この2つのことが繋がる接点は薄く、必ずしもスケボー絡みではないかもしれないと考えていた。

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しかし先日、地図にスケボーができる施設に印をつけていると、地図の右端に気になるものが見つかった。カリフォルニアアスリートスケートボードショップ という、このスケボーとカリフォルニアを繋げるようなお店が代官山にあることがわかった。印を付けなかったのは、施設ではなく個人のショップだったから。このお店のHPを見る限り、1988年設立 だと記載されているので、事件より遥か昔から存在する。仮に犯人が本当に、スケボーとカリフォルニアに強い憧れを持っていたり関係性のある人物ならば、この店を訪れていたのではないかと思うのだ。当然警察も、この店の存在を知っていて、何度かは捜査で話を聞きにいっているのではないのだろうか?

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店員にもこのような男を見たことがないかと、似顔絵を魅せたに違いない。店員が覚えているかはともかくとして、私は犯人がこの店を訪れた可能性はかなり高いのではないかとみている。ちなみに、先に掲載したAJSAのHPには、2000年に うみかぜ公園 で行われた プロ・アマ出場選手の成績が掲載されている。ひょっとしたら犯人も、この大会に出場していたかもしれない。

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世田谷一家殺害事件 の犯人像について、モナザイト の主観で事件を考察します。

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