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らくがき 

事件当日に入った形跡のない車庫の中から、3種類の蛍光染料が横倒しになった棚の底の部分から発見された。それと同種の蛍光染料がヒップバックの中から、そして当日返り血を浴びたラグランシャツの胸部のあたりからうち2種類が検出されたという。しかしラグランシャツに付着した染料は、肉眼で確認できるものではないのだという。また3種類の染料といっても、そのうち2つは、旧製品と新製品の違いでしかなく、基本的に2種類みたいなものだと考えて良さそう。これらは緑色・茶色の粉末だが、水に溶かすと赤やピンクになり、ブラックライトをあてると蛍光発色するのだという。車庫の内部のものも、そうやって照らして浮かびあがったのだという。

ここで改めて、ASKAの事件簿さんのところに書かれた公園近くさんの書き込み に注目してみたい。公園近くさんは、気になる事象をただやみくもに書いていたのではなく、私はこの人なりに犯人と思ぼしき 個人 もしくは 数人 を意識して、これらの文章を書いていたのではないかと。もちろん確証がないことと、公の場のため明確には書いていないだけで。縁台の話や事件前日に揉めていた男達、あるいは動物虐待などの話と一緒に、なぜ私は公園の落書きについて、この方が詳しく書かれていたのかがよくわからなかった。一見事件とは直接関係の無さそうな 落書き のことをあえて詳しく書いたのは、このぽっぽ公園や現場周辺に書かれていた落書きの主こそ、みきおさんと揉めていた人物。そして今回の事件に深く関わっていたのではないか、とみていたからではないのだろうか(あくまでも私の勝手な憶測です)。そして公園近くさんは、このようにこのことを記しております。

幼い内容、つまり、鉛筆や木の枝などで小中学生が書いていたと思われる落書きの上から油性のマジックペン、いえPOPマーカーでしょうか、英文での卑猥なスラングとかチーム名のようなきちんと省略点まで書かれている英字であふれていました

英文での卑猥なスラング

スラングとはWIKIによりますと、俗語と異なって閉鎖性が強く、同好者同士や同じ職種などの特定集団の中で使われる。そのため、口語として通用しているものと同じ単語でありながらも逆さま言葉であったり、違った読みをしていたりと、敢えて一般人には理解できないような用法が好んで用いられる。隠語 (英: jargon) や専門用語とも異なり、遊び言葉のような意味を持ち、特定集団や分野の中であっても正式な言葉とみなされない傾向がある。ただし言葉の「経時変化」により、スラングから転じて公式な専門用語となることはある。特に大都市の若者文化の中から生まれたスラング、薬物、スケボー、若者ファッションに関するスラングは数が多い。若者言葉、ギャル語という分類をされる言葉もスラングの一種であると。

チーム名のようなきちんと省略点まで書かれている英字であふれていました

あまり間違ってると恥ずかしいというのもあり、その部分だけは熱心に調べていたのかもしれません。内容がどのようなものかはわかりませんが、実はこれを書いた人物は英語が堪能だったのではないかと。公園近くさんの書き込みをみていると、なんだか 1個人ではなく複数の人間が関わっていたと言いたげな印象を受けます。

また元々こういった街の落書きから進化していったものが、グラフィティ と呼ばれる芸術性をはらんだものに進化してゆきます。またはエアロゾールアート (aerosol art) ともいい、スプレーやフェルトペンなどを使い、壁などに描かれた落書きのこと。グラフィティを描く者のことを、ライター (writer) やペインター (painter) といいます。そしてグラフィティには、蛍光染料 が用いられることがあるそうです。スケボーの中に、これらの グラフティ をやる人間がいた。 こういった人間ならば、日常的に蛍光染料 を持ち歩いていた という可能性も無きにしもあらずかと。ただし通常はマジックペンやPOPマーカー、スプレーなど使用するわけで、よほどのグラフティの上級者でなければ染料の状態で持ち歩くということはないようにも思えますが。頻繁に街にグラフティを描くような人物(あるいはもっと単純な落書きかもしれない)ならば、当日洗濯をしていないラグランシャツにも染料が検出された理由も無きにしもあらずかと。

もしスケボーもやりつつ、かなり凝ったグラフティ を描く人間が当時、祖師谷公園に周辺に入り浸っていたとすれば、遺留物との接点も浮かび上がってきます。ただしですね、警察が最初の数日でこのことに気がつかない、疑わないはずもないわけです。少なくてもそのような捜査はいくらでもやってきたわけだけれども、そこからは犯人までたどり着けなかったというのが本当のところでしょう、捜査の漏れがなければ。あえてスケボーにペイントする人間が用いた可能性だけでなく、街のらくがきにまで話を広げたかというと、礼君が通っていた幼稚園には、赤いペイントで事件前に脅迫文が書かれていた事案があったという話が残っているからです。逆にスケボーのペイントに、自分で蛍光染料を使用した(いつも持ち歩くのか?)人間が、そのついでに 落書き もしていたという逆の考え方も当然成立します。

(ここからは私の勝手な妄想です)

スケボーに使う台(縁台と表現されたもの)を、普段から注意に来てうるさい みきおさんに処分されたと思い込んだ犯人。その台を取り返すために、みきおさんの家の車庫に侵入したとします。その際に何かしらの要因で 染料が 棚の底にこぼれたのかもしれません。というのは、この染料は一切 みきおさんの家の中から(犯人の遺留品は除く)は発見されず、仕事に関わるものの中からも扱った形跡がなかったからです。また不思議なのは、車庫に置かれた棚が不自然に横倒しになり、粗雑に扱われていた点です。職場でも机の位置が数センチ動いていただけでも気にするという話が残っている みきおさんが、自分の家の車庫の中をめちゃくちゃにしていたままの理由がわかりません。この棚は、杏さんが以前に夫婦に送った家具だったそうです。そんなものを、粗雑に扱えるはずもないでしょう。

その車庫を荒らしている現場を、みきおさんに見つかってしまった。そこで家の中に呼ばれ、二度とこのようなことはしない・決められた時間以外は滑らないなどの誓約書の類を書かされた。もし今度同じようなことをやった場合は、その誓約書や何か不法侵入した証拠 を、警察に差し出す、両親に連絡するなどと言われていたのかもしれません。私の一方的なストーリーですが、染料や事件以前に犯人が履いたスリッパの痕跡があるという説明が容易にはつかないからです。ただし、そのような相手にスリッパを出すのか?という疑問は残ります。スリッパを出したということは、何かしら客人として家に迎えいられるような立場の人間ではなかったかということ。ひょっとしたら、両親をその場で家に呼んだのかもしれません。しかしこれには、大きな矛盾があります。事件前にこれだけの騒ぎになっていれば、何かしら隣家の知るところになっていたのではないかということ。しかし隣家のいうには、宮沢家にトラブルはなかったというのです。

個人の妄想はともかく、現場付近の 落書き と事件との関連性は、警察も相当調べたのではないかと考えられます。そして現場付近にあった 落書き の近くを、警察がブラックライトを当てて調べたのではないのでしょうか? しかしそこからは、犯人までたどり着けなかったことが伺えます。そして事件の捜査の時に、おばあちゃんは隣の公園に不審者を見かけたことを捜査員にしきりに訴えていたと杏さんの本にも書かれています。少なくても私は、流しの窃盗犯が偶発的に事件を起こしたのではなく、普段から祖師谷公園入り浸り、日頃から 宮沢家の近くをよく訪れた人物による犯行 だったと考えています。

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矢澤幹臣

世田谷一家事件の被害者・宮沢みきおさんは、矢澤幹臣(やざわみきおみ) の名で学生グループの劇団で活動していたという。名前の最後の「み」の文字を最初に持ってくると、みやざわみきお になるという。この劇団・蝸牛は、女子大の学生をメーンに各大学の男子学生が集まったサークル。この時のメンバーが、事件の5月前である 2000年7月に男女10人ほどで集まったという。みきおさんは、表の役者よりも大道具や脚本など裏方の仕事を好む傾向にあったようだ。その当時から、みきおさんと染料とのつながりが浮き彫りになってくる。アオキノブオが、最初に興信所に連絡が入ったのは、2000年8月15日 。この時に久々に集まった旧友達に、家族のことや家の話を話し、そのことがキッカケなんてことも全くは原因としては否定できない。もちろん警察も、この話を把握し周辺の人間への聞き取りぐらいはしたのだろうが。

また みきおさんは、高校時代から「三国志」の人形劇などでも知られる・川本喜八郎氏の元に弟子入りし、助手として作品にも携わり、その名前が出てくる人物。84年に友人と映画や漫画を製作する会社を設立し、ここでも撮影用のミニチュアを造るのにペンキや塗料を使っている。87年から事件発生時まで、企業のCI(企業カラーなどのシンボル化)などを手がけるコンサルタント会社に勤務していたという経歴の持ち主で、みきおさんと染料とは切っても切れない関係にある。

その川本喜八郎氏から、十数年ぶりの電話があったのは、事件約1カ月前の11月。「年末までに旅客機の模型に色を塗ってほしい」との依頼だった。みきおさんの会社が、大手航空会社に旅客機の機体のデザインを変更する提案をしており、その関係とみられる。その川本氏は、模型制作会社を紹介した。模型制作会社は旅客機の模型2~3機に赤と青の塗装を施し、事件直前の年末、みきおさんの会社に納入した。

という話が残っている。当然警察も、この線からも相当な捜査を行ったものと考えられる。当日入った形跡のない車庫に残されいた染料と、犯人が残していったヒップバックの染料が一致したというのだから。こうやって考えると、犯人は染料をめぐるラインで知り合いだったのではないかと、誰もが思ってしまう。

この線で考えると、7月に久々にあった蝸牛のメンバー、あるいは事件一ヶ月前に接触した 川本喜八郎氏と関係する人物が、事件と関わっていたという疑いは否応無しに出てきても不思議ではない。そういった知り合いならば、みきおさんが事件前に家に招き入れた可能性は充分考えられる。

しかし、ここで引っかかる問題がある。事件当日、みきおさんの赤の自家用車は、車庫の中ではなく車庫の前に停められていた。そもそもあの車庫の中には、何故か車庫のサイズには不釣り合いな大きさの家具が横倒しに置かれていたことは、以前も不思議だとして取り上げたことがある。いずれにしても みきおさんは、車庫に日常的に車を入れていたのか? あるいは、入れていた場合、そこに収まりきれずシャッターは常に開いていたのではないのか? という疑問が残るのだ。

というのは、みきおさんは通勤にはこの車を使っていた形跡がない。特に年末は帰りが遅くタクシーなどで帰宅していたなんて話も残っている。そう考えると、実はストーカーのように家の周りをうろついていた犯人が、車庫に事件前に侵入できた可能性は充分考えられる。そして事件に使用された、ヒップバック というのは、元々 みきおさんの持ち物だった。そういった可能性はなかったのだろうか? もしそうだとすれば、この染料が一致した説明はつくことになる。事件当日シャッターをしっかり閉めていたのは、何かちょっとしたものが無くなっていた、車庫内が粗されていたことに気がついていた。そのせいだとは考えられないのだろうか?

何故このようなことを言うかというと、以前にも述べたように、犯人が私と同年代・当時20代半ば~後半あたりならば、腰に巻くようなヒップバックを日常的に使う習慣が本当にあったのかという疑問が残るのだ。私の同年代で、あのようなヒップバックを使っている人間を殆ど見たことがない。あのようなものを使うのは、私よりも一回りは年上の、みきおさんのような世代の人達という印象がどうしても拭えないからだ。

ただこの仮説には、一つ大きな矛盾がある。それは、事件当日も使われた形跡のないスリッパから、犯人と一致するDNAが検出されたという部分だ。ヒップバックへの仮説は成り立っても、このスリッパの問題は説明できてない。特に主犯と思われる・アオキノブオ が、何かしらの接点で家に事前に招き入れられるイメージはできても、実行犯と目される アンドウ が、宮沢家の人に招き入れられるイメージが、どうしてもわかないのだ。知り合い説でないとするならば、この矛盾を解明するしかない。

仮に事件前、例えば ガスの点検 だとか、何かしらの理由で家族が家に招き入れる格好になってしまったとする。その時に用意されたスリッパが、犯人のDNAと一致したのではないかと。しかしそれならば何故犯人は、その時事件を実行に移さなかったのか? しかしこの犯人は、何かしらによって家の構造を、事前に把握できていた可能性は高い。それがどうしてなのか? そのヒントはみきおさんの日記などに残されてはいないのだろうか? あるいは、家族の証言としてそういったことを不審がるコメントは残されていないのだろうか? 


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世田谷一家殺害事件 の犯人像について、モナザイト の主観で事件を考察します。

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