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単純な強盗事件だったのではないのか?

世田谷一家については、シンプルに 強盗で押入り、家族に騒がれてしまったがゆえの悲劇だったのではないかという見方も多い。私自身も、当初はその線が一番あるのではないかとみていた。特定の組織犯罪というよりは、少人数の半素人的な人間が企画し行った強盗事件ではなかったのか。

当時から外国人などが、技能実習生や留学生などという形で来日。しかし、当初の話と違い日本では稼げない。あるいは、酷い待遇や職場環境で仕事を続けられないといった事案は現代の日本でも多く発生している。帰りたいにも来日までに多くの借金を作ってまで日本にやってきたので、帰るお金もない。そういった人間がやらかした事件は、全国でも多発していたのがこの時代である。その一つが、この世田谷一家殺害事件ではなかったのではなかったのかという。

あるいは当初からそうなることを見越して来日させ、反社会勢力などが仕事を斡旋し犯罪を請け負わせる。そういった事件は、この時代かなり多かったという。そしてバックボーンがしっかりしていれば、犯人を逃がす手はずも組織的に上手くやれるという話も耳にしてきた。しかし留学生や技能実習生の場合、一定期間日本にいる。それも身元がハッキリした人間でなければ来日できないわけで、そういった連中が関わっていた場合、当然警察はあとを追いやすかったはず。しかしその線で浮かんだ疑わしい人物に関しては、殆どを警察は潰して行ったはずなのだ。そして何より事件を長く追ってきて感じるのは、そういった類の外国人犯罪とは何かが違う。そう感じさせる何かを、今回は考えてみたい。

(侵入・現場)

宮澤家・そして隣の入江家には、雨戸がありません。したがって電気がついているのが、外からもわかります。ということは、家人がいることを承知の上で、あえてこの家に侵入したということです。しかしそういった状況でも侵入するケースは、結構この手の犯罪でも少なくないということを、ここのコメント欄にも詳細を書き込んでくれた人がいました。

確かに事前に、何処まで宮澤家や入江家のことを把握していたかはわかりません。しかし家人がいるのがわかって押し入るには、現場に一人しか侵入していない、これはかなり無理があります。宮澤家の家族は4人、家の中で入江家と繋がっていたらさらに3人を一人で相手にしないと行けないわけです。少なくても強盗に押し入るには、あまりにリスクが高すぎるように感じます。単に風呂場の窓が開いていたのが確認できたとはいえ、もっと他に狙える家はなかったのかと思ってしまいます。ただし、常習性を感じさせる形跡もあります。それは、引き出しの棚が下から順に開けられている点。上からだと、いちいち出してはしまいを繰り返さないと行けないので、プロの泥棒が行う下の段から順に開けてゆくという行動を、家中の引き出しで行っているのです。殺人は初めてだったとしても、この手の窃盗の類は初めてではなかった可能性があります。

(なぜ一家を殺害したのか?)

この時代、日本中の金持ちの家を狙って事件を繰り返していた日中混成窃盗団の主犯格の男は言います。俺らは、殺人はしないのだと。日本の警察は単なる窃盗ならばそこまで力を入れて捜査はしないが、それが殺人となると全然違ってくる。まして一家皆殺しとなると、極刑は間違いない事案。警察は総力をあげて捜査するので、まずそんな面倒なことはしない。あくまでも彼らの目的は、金品なわけです。そのため彼らが関わった多くの事件では、被害者に致命傷の危害を及ぼした事件はほとんどなかったと記憶しています。

ただしこの事件、そんな統率の取れた集団だったかと言われると大いに疑問が残ります。すなわちあの家は、赤いシトロエンを乗っていてお金がありそう。帰国前に、ちょっと忍びこんでやるかというさほど計画性のない犯罪だったのではないかと。そして企画したのも、個人・あるいは極めて素人である人間によって考えられた少人数による犯罪ではなかったのか?という見方は当然できますし、当初私もその線でこの事件を捉えていました。

しかし、この事件は何か異質なのです。 それは何故か? 侵入直後に寝ている子供を最初に殺害しているからです。犯人がいかにして礼君に近づいたかというと、子ども部屋のベッドに壁伝いに横歩きで近づいた足跡が残っています。これは、寝ている礼君に気が付かれないように近づき、いきなり口を塞ぎクビを締めた形跡となるわけです。気がついて騒がれたから殺害した、それとはちょっと現場の状況を見る限りは違うのです。すぐ下の階では、みきおさんが起きていてパソコンと向き合っていたと考えられ、気がつかれないまま殺害に成功し、2階のリビングで荷物を置いてから次の行動に移ります。すなわち、無抵抗な寝ている子供をまず最初に殺害した。最初から強盗が目的なのではなく、一家殺害こそが最大の目的だったのではないかと。家中を荒らし始めるのは、一家全員を殺害し一息ついてからだったようなのです。

もう一つ不思議なのは、屋根裏部屋で寝ていた、母の泰子さん・娘のにいなちゃんを殺害する時。これもかなり静かに忍びより、二人が寝ているところを襲ったとされています。わざわざ、事件に気がついていない家族を目指して二人に近づきました。これも、単なる窃盗の類では稀です。プロの空き巣であれば、5分~10分もあれば目的を果たし出てゆきます。金品が目的であるのならば、寝ている家族に忍び寄る必要はなかったのではないかと。

(現場で金品を探す)

不思議なことにこの犯人は、単なる泥棒・強盗の類ではないことがわかります。というのは、宮澤家のキャッシュカードや通帳をソファーにこそ並べて物色し、暗証番号を割り出そうとした形跡があります。しかし何故か?一階本棚にあった現金6万円は無視。さらに、冷蔵庫横に支払い用として用意していた現金にも見向きもしません。そして家中を荒らしたのにも関わらず、泰子さんの貴金属など金目になりそうなものも無視しているのです。奪った現金は、泰子さんやみきおさんの財布の中に入っていたと思われる、15万円ばかりの紙幣だったと言います。どうも小銭には興味はなく、それを床に撒き散らせて出ていった。この家には、何かもっと大きな現金がある。そういった情報を予めわかっていたかのように、少額の現金(6万円が少額だと捉える泥棒がいるのでしょうか?)を無視しているわけです。その癖慌てて逃走もすることなく、何故か劇団四季のサイトにアクセスして、チケットを購入しようとした形跡すら残っているわけです。このことの意味は、暗証番号を確認しようとしたのではないかという話もありますがよくわかりません。留学生や技能実習生が、お金欲しさに強盗に入ったというのとも違い、現金への執着が薄いのです。

(何故すぐに逃走しなかったのか?)

犯人が現場に侵入した時間は、夜23時前後だったろうと言われており、家族の死亡推定時刻は23時30分ぐらいだと考えられています。すなわち、侵入~一家全員を殺害するまでに30分前後しかかかっていないわけで、その間に屋根裏部屋にいた二人を襲い、さらに中二階に降りてきた二人を殺害したことが伺えます。そして1時過ぎのパソコン操作からも、犯人はその後少なくても2時間近くは現場に留まっていたことがわかります。その間にアイスを4個以上食べたり、仮眠をした形跡すらあるわけです。通常では考え難いですし、何より4人を殺害してもその横でアイスを貪るという神経は、単なる物取りとしては異常です。そういった異常気質の人物が忍び込み、偶然にも騒がれたので殺害にまで及んでしまい、居直って家に居座り続けたということでしょうか? ちょっと、そのへんも理解し難いものがあります。

(犯人の目的は?)

包丁を使用する際に、特殊な黒いハンカチの使い方をしてから刺しに行っていることからも、この犯人は最初から計画的に殺意を抱いて一家を襲ったことが伺えます。その割に殺人には適していない刺身包丁を一本だけを持ち込んで、事件に及んでいるという矛盾も感じます。しかし様々な状況をみても、明確に 一家殺害 が目的であり、その上で他に何か目的があったのではないかと思われる現場なのです。例えば殺害だけが目当てあれば、あそこまで家中を物色し何かを探す必要はなかったのではないかと(子どもの机や洋服ケースまで)。窃盗が目的であるのであれば、最初に子供を殺害。さらに、みきおさんをあっさり刺殺。さらに、事件に気がついていない二人を、屋根裏部屋まで行って執拗に殴打しさらに切り刻むという残忍な行為に走るのも違うように思えます。最初から犯人は、ある程度の時間長居することを前提に、一家を殺害し探しものをしたのではないかと。ここから言えるのは、単純な窃盗犯でもなければ、単なる殺人犯とも違う二面性がある。これは、当初から2つの目的があって、事件に及んだのではないかと思えるほどです。少なくても家族がいるのも承知で入り込み、騒がれたから殺害に及んだというのとは、明らかに違う状況だったというのが気になります。そのため家族の誰かを明確に目的にしたわけではなく、一家全員を殺害することに何か大きな意味があったとしか考えられない事件なわけです。

(そこで)

現場で行った、様々な犯人の理解し難い行動。そして事件の性質を考えると、私にはどうしても 一家を殺害してみたかった 快楽殺人。その目的のついでに、家族への興味や他に何かを知りたいなどの異常性から現場を荒らした 愉快犯的な色彩も帯びているのかな?と。特に警察を挑発するかのように犯人は、意図的に遺留品を残していった節があります。手を怪我し出血をしたいうこと以外は、犯人が事前に思い描き妄想していたことを、現場で実行し逃走したのではないかと私には思えるのです。また犯罪学的には、現場の状況は極めて 無秩序型の快楽殺人 に分類される犯罪ということで理解することができ、犯人の理解し難い行動もこれでほとんど説明できてしまう事件ではあるのです。

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遺留品の意味

世田谷一家の現場で、犯人が残していったヒップバック。その中から検出された染料は、学生がよく受験勉強などに使うピンクのラインマーカーだったのではないかと警察は発表している。このヒップバックは、1995年9月~1999年1月にかけて全国35都道県で販売されいたようで(関東圏でも入手できた)、かなり使いふるされたものだったという。犯人がいつの時点で入手したかはわからないが、仮にこのラインマーカーが受験勉強の時期に付着したとしたら、犯人の年齢は1995年の時点で18歳だと仮定すると2000年当時は23歳。1999年の時点で18歳だったとすると19歳ぐらいだったことになる。犯人が現場に残した血液から年齢を割り出すと、16歳~22歳 ぐらいだったとされており、大方これと合致する年齢だとわかる。ちなみに高校受験のときに付着し15歳だったと仮定した場合、事件当時は16歳~20歳ぐらいだったことになる。

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また犯人がヒップバックを使っていたのは、バイク乗りだったからではないかという話もある。もしそうだとすると、すでに10代のときから二輪の免許を取得し、これを利用していた可能性も高まる。ただし写真でみると、思いのほか大きく腰につけるのにはちょっとかさばり過ぎではないかとも思わなくはない。それでも様々な遺留品が中から発見されていることからも、誰かのものを譲り受けたか盗んだものだったということでなければ、かなり長い期間愛用していたものではないかと。

またこのヒップバックと同様に、現場に残されていたマフラーは短く子ども用だったのではないかとも言われている。すなわち犯人は、結構服装など格好に無頓着で育ってきた人間であり(事件前に意識が変わってきていたのかもしれないが)、物持ちのよい人物だったのかもしれない。またラグランシャツも2000年8月に製造されたものの割には、何度も洗濯され色あせしていたという。それだけに犯人は、日常的に使っていたものを現場で残していった可能性が高いのだ。けして事件のために、購入したものばかりではなかったようなのである。

ということは、犯人がこれらのものを大事に思っていたかは別にして、何かしらの過去への決別的な意味が遺留品には込められていたのではないかと私は思うのだ。ひょっとしたら、事件を起こすことで大金が入る予定があり、新しいものに買い換えるつもりだった。あるいは、もう事件後は生きているつもりはないので、これらのものは必要なくなる。そういった、もう自分には不必要なものという心理が、これらのものを意図的に現場に残していった理由ではないのだろうか。そしてこれらのものを意図的に置いていったと考えられるのは、犯人は家にあった宮澤さんの服に着替えて逃走した形跡があるからである。犯人は慌てて逃走したわけではなく、意図的に遺留品を置いていった可能性が極めて高い。

(問題行動を起こすようなタイプではなかった?)

例えば犯人が札付きのワルだった場合、それまでに何度も問題を起こし警察にお世話になって指紋をとられていただろうということ。しかし警察が所有する指紋データに、これと合致するものはなかったという。警察は公にはしていないが、交通違反などで収集した指紋なども、独自に保存してデータベース化している可能性がある。こういった情報は、裁判の証拠能力には乏しいが犯罪捜査にも大いに役立つ情報だからだ。仮にそういった情報を駆使していたとしても、犯人が浮かびあがることはなかったし、その後も一切事件を起こすことなく今に至っている。

またときには、高速道路の通行券や現場近くの駅で利用された切符の指紋さえもかき集めたものの、犯人に合致するものは出なかったという。しかし一つ気になるのは、警察が京王線沿線・あるいは 調布 などの地域をマークした理由として、合致した指紋が実は出ていた、そんなことがあったのかもしれない。ただし逆に何も出てこなかったからこそ、公共機関は利用した形跡がないとしてバイクを使用したのではないかと考えたのかもしれない。

もしくは、現場に残された遺留品がバイク乗りを彷彿とさせるものが多かったからこそ、そういう判断をしたとも考えることができる。また現場近くのNシステムやオービスからも、怪しい車を見つけられなかった。だからこそバイクならば、これらに引っかかることなく移動できたと判断したのかもと。というのはバイクのナンバーは、オービスでは判別されないがNシステムでは判別されるという話もあり、Nシステムに引っかからないで移動できる地域として、調布などが浮かびあがってきたのかもしれない。いずれにしても警察は、ありとあらゆる方法を駆使して、犯人を探したに違いない。それでも、犯人は浮上することはなかった。事件から何年も経ってから、お台場でバイク乗りが連日指紋の提出を求められたなんて話もあるので、警察は犯人がバイク乗りだったという確かな証拠を掴んでいるのかもしれない。

(実は誰でも良かった?)

「ASKAの事件簿」さんのところに情報を寄せてくれていた 公園近くさんの書き込みによりますと、この事件の前から

現場からさほど遠くない場所に通信関係の高層の社宅棟があります。
この社宅のことですが、住民の子どもに対し危害を加える、という内容の脅迫状が届いていることがわかりました。


その脅迫(血のメッセージ)が壁に書かれた保育園に通う子供の一家が惨殺された事は偶然なのかな?

と記されている。もしこれらの脅迫とこの事件が関係があったとすれば、犯人の当初の目的は、人を殺してみたいという衝動が前提にあり、それほど 宮澤家 にこだわっていたわけではなかったのではないかということ。そのためその条件に合致するのであれば、どの家族でも良かったのではないかということも考えられる。そんな中、犯人の欲望にもっとも合致した、あるいは事件を起こせそうな条件が揃っていたのが、偶然にも公園隣に住んでいた 宮澤さん一家だったのかもしれない。

(無秩序型の快楽殺人)

私は以前から、この事件は 無秩序型の快楽殺人 だったのではないかと述べてきた。仮にそうだと仮定すると、犯人の欲望を満たす対象であるのならば、特に 宮澤さん一家の誰か であった必要はなかったのではないかということになる。というのは、無秩序型の犯罪特徴として

犯人が前から知っている人間を犠牲者に選ぶことも多いが、その場合も年齢・性別などはたいして重要視されない。犠牲者への接近も電撃的。背後から近づき、いきなり力ずくで襲い掛かる場合もあるし、突然銃で撃ち殺すことさえある。犠牲者は何の警戒もしていないので抵抗のしようがない。

そのため家族の誰かを目的にしたというよりも、一家全員を殺害するということに意味があったのではないかということ。だからこそ、わざわざ一家が全員揃っているタイミングで事件を起こしたのではないかと。 そして何故、宮澤さんが? という疑問を持つ人も多いだろうが、それほど犯人にしてみれば宮澤さん一家である必然性はなく、犯人の欲望を満たす対象が揃っていたのが宮澤さん一家だった、たったそれだけの理由だったのかもしれない。動機は何?といえば、単に人を殺してみたかった 人がどんな風に事切れるのか観てみたかった そんな常識では計り知れない身勝手な理由だったのかもしれない。そう考えると、なんともやるせない気持ちになる事件なのだ。

可能性は青学生だけなのか?

久々の更新になりますが、最近「世田谷一家殺害事件」の考察の記事の中で、1つ大変興味深い推理をされている人の記事を見かけた。

この方の推理によると、遺留品の多くが、小田急・本厚木駅で揃うこと。そして当時、祖師谷公園からほど近い千歳台6丁目に、青山学院理工学部 の校舎があり、ここの学生だったのではないかと。1年生のときには本厚木駅を最寄りとする厚木キャンパスへの土地勘があり、事件当時は 青山学院理工学部 の学生ならば、充分その可能性があるという話が展開してゆく。それには、なるほどなと思える部分があった。

そこで私は、他にも本厚木周辺に大学がないか調べてみた。そんななか今も存在するのが、東京農業大学・厚木キャンパスである。調べてみると、農大の厚木キャンパスは、1998年に世田谷のキャンパスから今の 本厚木周辺 へと農学部が移転しているのだ。そのため青学理工学部とは逆パターンで、元々は世田谷のキャンパスに在籍していた人間が、厚木キャンパスへと移った、そんな可能性も考えられるのではないかと。

以前取り上げたときに、警察は 調布・狛江などの地域を重視しているとの話に触れたことがある。また、事件前日に 小田急・経堂駅近くのスーパーで、包丁を購入したのではないかという話にも触れた。しかし、そこから 本厚木 や 経堂 とが繋がる接点。あるいは、その中間にある、調布や狛江との関わりが、どうしても私には繋がらなかったのである。

しかし、東京農大の農学部 ということで考えると、これらが、1つの線として浮かび上がってくる。というのは、農大の世田谷キャンパスは、最寄り駅の1つに小田急の経堂駅があり、駅から延びる通りを 農大通り というぐらいなのである。仮に犯人が、農大の学生ならば、ある意味馴染みの地域だった可能性が出てくるのだ。

まして自宅が調布近辺であれば、実は 事件現場の祖師谷公園の北側の道を通って、一回程度曲がるだけで経堂の駅前に着くというわかりやすい土地柄でもある。またこの公園北側のバス通りをしばらくゆけば、環八にぶつかる。ここで曲がって南下すれば農大キャンパスの近くまで行けるし、まして走り慣れた人間ならば、公園中央を貫く宮沢さんの家の前の道路を通ってもっと早く着くルートを知っていたのかもしれない。そういった意味では、犯人がバイクを使って日常的に祖師谷公園周辺を通っていた可能性も現実味を帯びてくる。

そう犯人が、農大の農学部の学生として世田谷キャンパスに数年通った経験があれば、現場は通り道だった。あるいは、経堂での買い物も、調布あたりの住民でも充分ありうることになるのだ。そして遺留品の多くを、事件前に 本厚木 周辺で購入していたことにも合点がゆく。調布や狛江の人間が、なぜ経堂で包丁を購入するのか? あるいは、宮沢さん一家をなぜ知り得たのか? 1つの可能性として 青学理工学部とも遜色のない接点が、農大の学生でも成立するのではないかと思うのだ。

また事件前の動物虐待事件とも絡めると、農大の農学部には農業や園芸などとは別に、畜産学科 というものも存在する。そういった動物への歪んだ好奇心から、農大への進学を決意したことも無きにしもあらずかと。同校では、「授業ではテーマごとに動物を研究するうえで基本的な道具である顕微鏡の使い方を習得したり、解剖や観察をおこなって動物のからだの構造を理解します。」などがあり、犯人の好奇心と合致するものがあったのかもしれない。

そして犯人が、狛江よりも調布近辺に住んでいた場合、非常に乗り換えが多く距離のわりに経堂や本厚木にゆくのが面倒なのがわかる。これならバイクで通った方が良い、そう考えても不思議ではない。大学を入学した頃は、電車を使って経堂などの駅を使って通学していたのかもしれない。しかし大学生活になれると、バイクの免許を取得して校舎まで乗りつけていたなんてことも充分ありうるのではないのだろうか。ただしこの場合、97年の時点ではすでに農大の学生だったということになる。97年~2000年まで大学に在籍。当時大学4年生になり、卒業を間近に控え事件を起こしたことになる。すでに卒業後は、この地を離れる、あるいは外国での勤務などが決まっていた。今後の進路が定まっていた人間によって、行われた可能性も否定できない。このことはあくまでも可能性の一つではあるが、頭の片隅に留めておきたい。

ちなみに余談にはなるが、経堂の駅前の子育地蔵や農大の周辺には、なぜか地蔵が多い・・・。

黒ムツさんからのメッセージ

前回ご紹介した 沖田臥竜氏が書いた 「世田谷一家殺害事件20年目の真実」。ここでは、幾つか気になる話が書かれていた。今回は、まずその話を前提に別の角度から検証してみたい。

経堂の男は犯人なのか?

事件前日に、小田急線・経堂駅前のスーパーで犯人が包丁を購入したことがわかっていると書かれていた。このことの詳細については、以前ここでも詳しく取り上げたことを前回記した。男が包丁を物色していた時間帯がよくわからないが、その男は黒ずくめの服装で殺気だち、ブツブツ怒りながら包丁を物色していたのだという。しかし、警察が用意した犯人のシルエットからも、男の髪の毛はフサフサだったのではないかと述べた。

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しかし、現場に残されたヒップバックの中からは、短髪の髪の毛が発見されている。もしこの男が犯人だった場合は、事件直前に髪の毛を短くして犯行に及んだか、元々短髪だった髪を伸ばしたまま犯行に及んだのかのいずれかではないかと書いた。その一方で、警察が最も重要視する目撃情報が、同じく事件前日の15時頃に小田急・成城学園前駅の近くにある成城橋付近で、現場に残されたシャツにヒップバックなど、良く似た服装の男が目撃されている。男は170センチぐらいで、短髪で彫りの深い顔立ちだったのだという。そしてこの目撃情報が重要視されているのは、宮沢さん一家がちょうどその頃、家族で渋谷の映画館にゆくために成城学園前の駅を利用していたことがわかっている。そして事件当日の21時ぐらいには、宮沢さん宅の近くでよく似た男が歩いていたのを目撃されていたからだという。

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私は過去、この似顔絵の左上の男こそ、経堂で包丁を購入しようとしていた男。右上の男こそ、成城橋で佇んでいた男。そして左下の男が、飛び出しマンの詳細な似顔絵なのではないかと書いてきた。さて、ここで一つ考えてもらいたい。経堂の包丁男も・成城橋の男も、事件前日の目撃情報である。二人が、同一人物だったいうことはありえるのだろうか(似顔絵を見る限りは、全然別人に見える)? しかもこの二人は、髪型も全然違う。そして経堂の男は、黒ずくめの服装だったと目撃者はコメントしている。しかし成城男は、白地に紫のラグランシャツのような現場に残されたものに似た格好をしており、12月なのに寒そうな格好をしていたので目撃者の記憶には残っていたという。そう、服装もぜんぜん違うようなのだ。

もし30日の午前中あたりに、経堂で包丁男が目撃されたとする。そして散髪を終え服装も着替えて宮沢家に向かう。そして家族のあとを追いかけるようについて行った後に、15時ごろ成城学園前で目撃された。物理的には不可能ではないと思うが、かなりこの2つの目撃情報を繋げるには無理があるようにも感じるのだ。あるいは、二人は共犯者だったのか? しかし無理やりそう考えるよりは、別々の有力な目撃情報として捉える方が自然なのではないかと思う。短髪の髪の毛がヒップバックから見つかっていることを考えると、少なくても現場に侵入した男は、三人の中で唯一短髪である右上の男が有力ではないかと思うのだ(あくまでも似顔絵が私の予想どおりだった場合)。またこの三人の目撃情報においては、しっかり顔が目撃されていたわけで、その情報を元に似顔絵を警察は作成しているはずで、それがこの3つの似顔絵だったのではないかと私は考えている。まして今の技術であれば、DNAから顔を復元して、この中の誰に一番近いかも捜査本部は割り出すことができているのかもしれない。

調布と経堂への接点

前回の記事では、経堂で包丁を購入したというだけでなく、調布が犯人との関わりが深いのではないかと書いた。しかし経堂から調布までには6~7キロぐらいの距離があり、容易には歩ける距離ではない。また鉄道でも、小田急と京王線と路線が違っている。すなわち、調布に住んでいるものが小田急沿線の駅周辺を使おうとすると、徒歩や鉄道という選択肢は考え難い。公共交通機関を使うとすれば、両線を結ぶバスを途中に使ったことになる。それ以外だと、やはり自分でバイクなり車を使う方法だろう。また自転車で6,7キロは、けして行けない距離ではないがちょっとした買い物にゆくには遠すぎる。

しかしバイクとなると、15分~20分ぐらいで行ける距離なのだ。そこで、次の地図を見て欲しい。地図の右下にある経堂の駅から、真ん中を走る環八(真ん中の黄色の大きな道)を横断し、画面左の真ん中から伸びる調布を通る甲州街道(黄色の大きな道)。この間の道のりは、事件のあった祖師谷公園の前を通って、一回程度曲って道なりに走ればつけるわかりやすい道なのだ。さほど土地勘がなくても、事前に地図で確認しておけば、容易にたどり着ける場所となる。

もっと具体的に書けば、経堂の駅前からのびる118号線という道路を道なりに走れば、上北沢1丁目というところで左に折れ・あとは道なりに走って環八を横切り・祖師谷公園北のバス通りを抜けてゆくと調布のある甲州街道にぶちあたるのだ。もちろん土地勘のある人間ならば、もっと短いルートで行き来することもできるだろう。そう考えると、日常的に調布に住む人間が小田急の経堂を利用する、あるいは成城学園前の店を利用するというのは、バイクなどがあれば容易にできる移動手段だと考えられる。そして日常的に、祖師谷公園の前を通っていたという可能性も浮かび上がってくるのだ。ちなみに経堂から比較的近くには、東京農大・日大文理学部・国士舘大学などの大学もそう遠くない場所に存在する。現場に残された遺留品が、バイク乗りを彷彿とさせるものが多く、日常的にバイクを使って移動していたと考えると、いろいろと見えて来るものが違ってくる。警察がことあるごとに、バイク乗りを引き込んで指紋を集めている理由が、そこにあるのかもしれない。

黒ムツさんからのメッセージ

私は事件後に書かれた 黒ムツさん二度目の書き込みは、実際書いたのが犯人かは別にして、実に私の思い描く犯人像と合致しているのだ。そしてこの男からは、犯人ではないと知り得ないことまで書き込んでいたことに驚かされると過去何度も書き込んできた。そんな中、私の元に驚くような情報がもたらされた。

その前に、今回改めて黒ムツさん二回目の書き込みの最初を引用してみたい。

463 :黒ムツ:2001/02/04(日) 14:19

黒ムツです。 私が 旅行に出ているあいだにくだらない書き込みご苦労様です。
私はうれしいです。たかが4人殺したくらいでこんなにスレッドが立つなんて
なんだか 久しぶりにネットにつないで 2ちゃんのみなさんにびっくりしました。
私はあのニアミスを起こした飛行機に乗り合わせていました。たまたまです。

あの時は私の起こした殺人で数秒だけどのくらいの人が亡くなるのだろうと思いました。
しかし、私たちは助かった私は警察に感づかれていないかと思いながらも
羽田空港を後にしました。いつ見つかるかと思うとすごいスリルでした。

私は確かにあの家族に恨みを持っていました。本当にあの大分の事件のように
ちゃっちゃっと殺したい気持ちでやりました。家族全員が死んだおかけで、
私はこのように生きていられるのかなと思うと、日本の警察も甘い甘いと笑える部分もあります。
しかし今まででこんなにスレッド立ってるのは2ちゃん始まって以来でしょうね。
私は絶対捕まりません。なにもかも計画通りに行っているからです。
捕まるときは、しげのぶさんみたいな時期が来てからでしょうね。
ほんとに警視庁は名だけということがよくわかりました。
まっ人間誰でも自分だけ幸せになれればいいんだろうけどね。

(ニアミスを起こした飛行機)

あのニアミスを起こした飛行機とは、 恐らくこれは、2001年1月31日に起きた、日本航空機駿河湾上空ニアミス事故 を指しており、100人以上の負傷者が出た惨事でした。さてこの頃になると警察は、徹底的に2ちゃねるなどの書き込みをチェックしていたはずで、当然警察の目に留まることを前提に書いたものと思われます。

なぜこの男は、この事故について突如触れたのか? は正直疑問でした。当時話題になった大惨事だったので、それに便乗した書き込みなのかとも思っていました。これだけ具体的にかけば、当然その便に誰が乗っていたのかは乗客名簿を調べた可能性があります。とは言っても、乗客名簿の情報など適当に書いても、それを照合することなく飛行機に乗れるのでたいした問題ではないかもしれません。しかし自分が特定される可能性がある情報を、あえて危険を冒して教える意味はなかったでしょう。実際にこの便に黒ムツさんが乗っていた可能は低く、別の意味が込められていたことなど、私は深くは考えてはいませんでした。

ところが先日、このブログのコメント欄にある書き込みがなされたのです。あのニアミスした飛行機とは、みきおさんが事件直前まで製作していた、模型飛行機 の JALドリームエクスプレス21 だったのではないかと。ちなみに、模型飛行機の話の概要を抜粋すると

川本喜八郎氏から(「から」ではなく「に」の誤りでは?)(宮沢さんから?)十数年ぶりの電話があったのは、事件約1カ月前の11月。「年末までに旅客機の模型に色を塗ってほしい」との依頼だった。みきおさんの会社が、大手航空会社に旅客機の機体のデザインを変更する提案をしており、その関係とみられる。その(「その」ではなく「そこで」ではないのか?)川本氏は、模型制作会社を紹介した。模型制作会社は旅客機の模型2~3機に赤と青の塗装を施し、事件直前の年末、みきおさんの会社に納入した。 

こう考えないと、誰が発注して誰が請け負ったか意味が通らない。みきおさんから、恩師である川本氏に相談。そして川本氏の紹介で、模型会社を教えてもらい機体の塗装を発注。そして事件直前にその塗装が完成し、みきおさんの会社に納入されたということなのだろう。私は当初、みきおさんが副業で模型の塗装を車庫の中ででも行っていたのかと思っていた。しかし実際は、みきおさん(会社)側が、模型会社に塗装を依頼したという話だったようなのだ。

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ちなみにこの時ニアミスを起こした飛行機こそ、その後2001年度中に ドリームエクスプレス21"SWEET"号 となったとされている。そう、みきお さんが、模型の塗装を依頼した実物が、"SWEET"号なのではないかということ。そして、この SWEET"号 の機体が、赤~ピンクを基調としたデザインになっていることがどうにも気になるのだ。事件当日には犯人が侵入した形跡のない、宮沢家車庫内にあった引き出しに残されていた赤色の染料。そしてそれと同じ染料が、犯人の遺留品からも検出されていたのは偶然だったのか?、長らくこの事件の謎とされてきた。

しかし最近になって捜査本部は、この染料は蛍光ペンがヒップバックの内側に付着しただけのものと結論づけている。果たしてこの染料は、SWEET"号 のデザインとは本当に無関係だったのだろうか? そして黒ムツさん二回目の書き込みでニアミス事故に触れたことと、みきおさんが製作依頼した機体が合致したのは偶然の一致だったのだろうか? あえて黒ムツさんが、ニアミス事故を話題を出したのには、自分こそ本当の犯人だとわかる人間にはわかるように示したかったのではないのか? 果たして捜査本部は裏付けをとったり、そもそもこの一致に警察自体が気がついたのだろうか?その上でヒップバックの中から発見された染料は、受験勉強によく使われるピンクのラインマーカーだったと結論づけたのだろうか? 

新たなる証言

世田一家の本スレとは別に、事件から15年後に立ち上げられた一つのスレッドが気になった。そのスレッドとは、15年目最後の考察 00/12/30  。ここに記されている2つの証言は、私自身知らないもので興味深かった。


(第一の証言)

119 :朝まで名無しさん:02/10/31 08:42 ID:8GkgkFN/
「明快に説明」という意味がよくわからないけれど、事が事だけに
酒の肴になるような話題ではないことは確かだ。周辺に居住する者
にとっては未解決イコール進行中の事件といって過言ではない。

現場に行けば一目瞭然の事だが、宮沢家の外憂が何だったかは明白。
公園管理事務所前の広場から藤棚のあるベンチ周辺にかけて設置を
された物体、そしてソレを利用する人たちのこと、利用される時刻、
このことが最大の問題でありトラブルの対象だったと考えられる。
都内には同様の施設が設置されている公園があるのを見かけるが、
いずれも施錠可能で夜間には利用できない管理が施されている。
あの現場ケースではどうだったか? 24時間の使用が可能であり、
故に近隣だけでなく遠方からも宮沢家の周囲に駐車されていた車両
のナンバーからも推測するに容易い。
また、それらの駐車車両によ
り片側通行になっていた。このことは宮沢氏が個人としてだけでな
く公共的な問題として義憤を感じていても不思議ではない。
 宮沢家の風呂場の下にフェンスがある。通称「汽車ポッポ公園」
と呼ばれている遊具施設のある公園との境界線の場所に畳一枚分ほ
どの大きなベンチ
があった。事件前、このベンチの上には近くのコ
ンビニ(セブンイレブン)の袋や食品のゴミ類が散乱していた。
あの事件の十日前、そのベンチは突然、撤去されていたが近所の人
は宮沢宅が公園管理事務所と掛け合ったのだと思った。

この件に関しての裏付けを警察は質問しても何も語らないのは不思
議に感じる。
あの大きなベンチを誰が撤去したのだろうか。
もし、犯人が逃走する際にあのベンチがあればフェンスから飛び降
りる時に着地台として利用できるはずである。または犯行時にあの
ベンチに誰かが腰を下ろしていると屋内の音が聞こえるだけでなく
目撃者と成り得る可能性を避けた、ということも考えられる。

<この書き込みの重要なポイント>

1,かなり遠方から人が集まっていた

20年前の事件当時は、今のようにスケボーができる施設は充実していなかった。まして24時間滑れる場所というのは、かなり貴重な存在だったのは確かなのだろう。しかしスケボーのメッカとされる、渋谷の宮下公園 などではなく、このちょっと郊外にある祖師谷公園にまで滑りに来るというのは、どんな人物なのか?

(1)ローカルスケーターであり、そこまで腕に覚えがない

(2)渋谷よりも祖師谷公園の方が近かった


のではないかと。(1)を強く感じさせるのは、スケボー愛好者のジャンプ台などがあった管理事務所側ではなく、道路挟んで向かい側の宮沢家裏のぽっぽ公園側で滑っていたことからも伺うことができる。本当に腕に覚えがあるのであれば、管理事務所側で滑る機会が多かったのではないかと。そこには邪魔されず滑りたいというよりも、まだ腕に自信の無さげな様相や後からやってきた よそもの の遠慮を感じなくもない。

もう一つは、渋谷からもさほど遠くない祖師谷公園にあえて滑りに来ているということは、家が渋谷の宮下公園よりも祖師谷公園の方に都合の良い場所に住んでいた可能性だ。犯人は、祖師谷公園周辺やより郊外から来ていたのではないかということ。ただし祖師谷公園の北東側に位置する杉並方面や、南西側に位置する川崎市に隣接する地域には、当時スケボーができる施設が不足していたこともわかってきた。

manyuarudai 1

2,畳一枚分ほどの大きなベンチ

ここで大きなベンチと表現されていたのは、おそらくスケボーに使われる マニュアル台 と呼ばれるものだったと思われる。私は当初もっと高さのない平べったいものを思い浮かべていたが、公園近くさんはこれを 縁台 と表現し、この方は 大きなイス だと書いている。すなわち、イスや縁台に見えるぐらいに、ある程度の高さと大きさがあったことが伺われる。

manyuarudai 2

ここで大事なのは、公園近くさんの 縁台 とは違う表現でこれを 大きなイス だと書いている点である。すなわち、書き込みの主は公園近くさんではなく、別にこの マニュアル台 らしきものの存在を気に留めていた人がいたのではないのだろうか。そして複数から同様の証言があるとすれば、かなり信憑性も高くなってくる。

3,事件の10日前に撤去されていた

公園近くさんも、浴室の窓の下にあった縁台が、事件前に突然姿を消していたことを書かれていた。しかしこの方は、それを10日前という具体的な日数をあげて説明しており、この話は私自身知らなかった事実である。もっと事件に近い、数日前の話だと思っていたからだ。

4,警察は何も語らない

重要な情報として、あえて一般人に語らなかったのか? それとも、そういった事実を確認できていないから語らなかったのかは定かではない。そしてこの マニュアル台の話は、公に出ることはなく今に至っている。もしこの目撃情報が確かならば、相当有力な物的証拠になりうるものであり、警察は必死にこの マニュアル台 の行方を探したはずなのだ。しかし捜査陣からは、そういった情報を集めようとしている形跡すらないのは不思議にさえ思う。そして管理事務所側も、その存在を把握していなかったようなのだ。それとも把握していても、警察によって箝口令が引かれていのか? もし管理事務所側が知らなかったとするならば、みきおさんと協議した上、これらを撤去したわけではなかったということになる。


(第二の証言)

宮沢さん宅裏手の公園内では昨夏、若者グループが一晩中騒ぐなどしたことが何度かあったという。
「朝、散歩していると酒の缶とかゴミが散らかって、その周りで若い人たちが寝ていて怖かった」(近所の主婦)。
宮沢さん一家が、若者たちの騒音問題に悩まされていた可能性は低くはなさそうだ。


事件前の夏頃ということで、この話と 宮沢さんと暴走族 が揉めた話とは繋がって来るのだろうか? 酒の缶 が転がっていたというという話からも、その主は10代半ばよりも、むしろ20歳前後の年齢を彷彿とさせる。ゴミが散乱していたなんていうのは、公園近くさんが記した 「縁台の上や周囲はゴミ類が散乱していました。」という証言と重なるものがあります。両者は、同じ時期のことを言っているのか? 何度にも渡り、ゴミが頻繁に散乱しているような光景が観られていたのかは気になります。また事件後の現場周辺について、公園近くさんは特徴的なゴミ(どんなものかは不明)は捜査後もそのまま残っていたと書き記していて、捜査の杜撰さに疑問を呈していました。このことからも、ゴミの散乱は事件の直前にも見られたのではないかと私はみています。

(ルールーを守らないボーダー)

以前は24時間解放していた祖師谷公園のスケボー広場だったが、ボーダー達との話し合いで時間が決められるようになったとされている。しかしそのルールを守らないで、時間外でも滑りに来る若者がいたと近所の人の証言でも残っている。そういった輩とみきおさんとの間に、トラブルを抱えていた可能性は想像に難くない。

そもそも、この大きな マニュアル台 をどうやって運搬してきたのかということ。そう考えると、こういったものを持ち運べるということは、複数の人間が何かに乗せて持ち込んだのではないかと思うのだ。よほど近所から、若者達が直に持ち込んだものなのか? それとも、車などを使う人間が仲間の中にいたのかということになる。この マニュアル台 の運搬に関わっている人間には、18歳以上の年齢のものが含まれていたのではないのか? バイクの無免許はあっても、車の無免許する若者は、そう多くはいないだろうから。個人的には、ルールーを守らないボーダーとは10代半ばぐらいをイメージしていた。しかし実際には、もう少し年齢が高い連中だったのかもしれない。

(ボーダーの印象)

事件後の世田谷スレを読み進めていると、当時祖師谷公園にたむろっていたボーダーは、単にスケボーが好きな若者という側面だけでなく、近くを歩く人を睨みつけたり威圧するような危ない類の若者がいたと書き込まれている。特にルールを守らず大人の宮沢さんと揉めるとなると、かなりタチの悪い輩がいたことは否定できない。

(事件発生時刻にはたむろっていた)

犯行時刻とされる23時20分頃には、バイト帰りの女子大生が管理事務所近くのジャンブ台付近に若者達がたむろっていたことが目撃されている。現場に行って思ったのは、おそらく女子大生は管理事務所北側の、バス通り側で迎えの車を待っていたことが想像される。そしてそこから数十メートル先ならば、そういった連中が見える位置であることも確認済みである。彼らが事件と関わっていたかは定かではないが、とても夜になると静かな場所だったとのことで何かしらの異変を感じなかったのかには疑問が残るのだ。深夜に訪れた知り合いによると、宮沢家を見下ろすように立っている住宅地の生活音すら公園には聴こえて来るほどだという。ましてそれよりも遥かに近くにある宮沢家から、響く声や物音が彼らの耳に届かなかったことなどありえたのだろうか?

(事件当日お昼頃にスケーターとみきおさんが揉めていた)

事件当日のお昼頃、スケボーをしていた若者が、にいなちゃんを轢きそうになった(あるいは実際に接触したのかもしれない)。そこで みきおさんは、子供に謝れとつめより、一触即発の状況だったと近所の人の目撃証言として残っている。すなわちそれが、事件を引き起こす、大きな引き金になったのではないかということ。そのことは警察も重々承知のはずで、徹底的に調べたが犯人までたどりつけなかった。あるいは、事件とは無関係だったことが捜査の末わかったのかもしれない。

(ただし何かが引っかかる)

しかし事件の10日も前に、マニュアル台が姿を消していた。それを処分したのが、以前から揉めていた みきおさんだと思い込み(実際処分したのが誰かは不明)、恨みを強めていった。そして事件当日には、歩いている二人を見かけて挑発。そして揉めた末、事件を起こした。確かに若者の衝動的な犯行だとすれば、ありえない話ではない。

しかし、この マニュアル台 が事件に使用されたとすれば、少し趣きが変わってくる。例えば事件当日に、いかにしてあのフェンスに昇り、浴室の窓から入り込んだのかには謎が多い。そしてなぜか犯人は、浴室の窓から逃走する時に、すぐ下の宮沢家の敷地には着地せずに、公園側に着地したのかの理由がわからない。それを可能にするには、マニュアル台 を事件に使用したとすれば説明がつくことになる。もしこの事件にマニュアル台を使用したのならば、事件を起こそうと思ったのは少なくても公園から姿を消した10日ほど前の段階だったことになる。みきおさんと揉めたことが直接な要因ではなく、もっと前から事件を起こそうと画策していたはずなのだ。それは、事件前日に成城橋付近で遺留品そっくりな格好した男が目撃されていたり、包丁の購入もそれより前に行われていた可能性が高いこと。さらに、遺留品の多くがあらかじめ置いてゆくことを前提にしていたのならば、もっと遥か前から、この事件を起こしてやろうと準備を進めていたことになる。

setagaya 33

(ボーダーとは別の連中の仕業ではないのか?)

以前にも書いたが、マニュアル台があったのは侵入箇所だと推測される、宮沢家の浴室窓の真下だったという。おそらくこれは、使わないときは目立たないように公園の隅に置いておこうというのが当初の理由だったのだろう。しかし、こんな公園の一番隅の明かりも乏しい暗がりで、普通なら騒ごうとは思わないだろう。公園の敷地内には、他にもよっぽど明るく広く座れるスペースが近くにあり、わざわざここで長時間騒いだり話したりするのに適した場所だとは思えないからだ。すなわちここであえて騒いだ(ゴミを多く残した)のは、明らかに 宮沢家を挑発していた輩がいたからではないのだろうか。

しかしながら、自分で苦心して作ったマニュアル台の上に ゴミを乗せたりするだろうか? 人の作ったものの上を汚し、そのままにする仲間がいたら、俺なら許さない。少なくても近くにゴミを散乱させてたとしても、台の上にゴミを放置などさせないだろうということ。そうじゃなければ今度来た時に、自分がそのゴミをどかして使わないと行けなくなるから。すなわち、マニュアル台 を用意したボーダー達と、事件を起こした集団は別ものだったのではないかという疑いだ。

むしろ事件現場にボーダーの痕跡を残したのは、あえてボーダーに疑いがゆくように仕向けたのかもしれない。そして事件に使用するために、ボーダーの使っていたマニュアル台を事件前に持ち帰り、事件当日に再び持ち込んで使用したのではないかということ。幾らボーダー達を調べても犯人に行き着かなかった理由に、何か別の存在がいたからではないかと思うのである。

(犯人は)

ボーダーが事件に関わっていた疑いは確かに強いのだが、結局犯人まで行き着くことはなかった。しかし私は、事件前にマニュアル台の近くでゴミを散乱させた連中が、事件に関わっていたのではないかという思いは強い。彼らとボーダーが同一人物であれば単純な図式だったと思うのだが、彼らとは別にも みきおさんと揉めていた連中がいて、嫌がらせを繰り返したり恨みを強めてゆき事件にまで発展していってしまったのではのだろうか。それこそが、夏頃に 酒の缶とかゴミを散らかし、その周りで寝ていた若者達と同一の集団(あるいはその中の一人)だったということはないのだろうか。

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世田谷一家殺害事件 の犯人像について、モナザイト の主観で事件を考察します。

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