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3つのキーワード

世田谷一家の事件において、犯人は象徴的な3つのキーワードを残したと私は考えている。そのうちの2つは、黒 と 6 。今回は、犯人が意図的に残したかはわからないものの、もう一つ犯人に繋がるかもしれないキーワードを考えてみた。



この事件の犯人に関わらず、犯罪に手を染めるものの多くが、何か 黒 という色に惹かれることが多い。この犯人も、珍しい黒いハンカチを二枚現場に残している。また、残した遺留品のユニクロジャンパーは黒色だった。さらに使用していた香水「ドラッガーノワール」は、黒い海賊 という意味だという。犯人が、好んで黒いものに惹かれていた可能性もあるし、あえてこの事件の不気味さを演出する意味で、この黒という色を使ったのかもしれない。しかし、全てが黒で統一していたわけではないので、これは何処まで意図的に残していったのかは微妙ではあると思う。しかし犯人が、日常的に黒という色を好んでいた可能性はありそうだ。



黒と同じように、何か犯人がこだわっていたのではないかと思われるのが、6 という数字ではないかと。犯行に使われた刺し身包丁は、関の孫六 だった。あえて殺人には適さない凶器を使用したのは、実用性よりも行動様式の方を優先する、愉快犯 に見られそうな傾向ではある。犯人にとって凶器は、この 6の文字を含む 関の孫六 ではないと行けなかったのかもしれない。

また事件から100日後、現場近くの川沿いで発見された地蔵の裏にも、六 と おぼしき文字が刻まれていた。これは、6体ある地蔵の1つとして、台座と本体を間違わないために業者が目安としてつけたものかもしれない。しかしいかにも、あとから素人が掘ったような跡だった。

そして当時から言われていたのは、この6という数字は亡くなわれた 礼君 の年齢を指しているのではないかと。関の孫六・礼君・そして地蔵と、6が3つ揃うことで、666 と悪魔の数字の完成を目指したのかもしれない。

この666というのは、元々は聖書に登場するのが由来。かの映画「オーメン」では、悪魔の数字として恐れられていた。犯人がホラー好きだったり、影響されやすい人間だったとしたら、この数字に触発された可能性も否定できない。

黒ムツさん

そして事件前に、犯行予告とも読み取れる文章が残されていた。それが掲載されいていた2ちゃんねるのペット嫌い版では、無記名の場合、全て 黒ムツさん というハンドルネームになって記載される。そのうち一つの書き込みが、事件前に書かれた有名な文章になる。

70 名前: 黒ムツさん 投稿日: 2000/12/27(水) 17:03

俺は3歳のガキの頃から鼠を刺し殺し、又はては烏に与え、これを13歳に成った今でも続けている。其れと並行して犬も殺すことを7歳の頃に覚えた。最初に殺すのもあまり躊躇いは無かった事が鮮明に記憶に残っている。俺に突然噛み付きかかって来た体長約60cmの少し大き目の犬だった。一発蹴るとまだ噛み付きかかって来やがるので、俺は犬の腹を引き続き蹴った。何発蹴ったのか覚えていない。死んだ時には其の犬は口から大量の血を流し、腹からは内臓が少し食み出ていた。勿論今でも此れは野良犬を見掛けるとやる。いまでは蹴る力も倍増し、手でバラバラにする事さえ躊躇わないようになった。悪臭がするがそんなこと気に為ない。猫にも時々同様のことをやる。猫を顔を含め包帯でぐるぐる巻きにした上で、内臓を切り裂いて取り出し、道路に放り出して置く。すると烏が咥えて持って行ってしまうか、自動車に引かれて余計に悲惨な光景に成る。が、其れがまた快感だ。友達とどちらの結果に転がり込むか賭けをしたことさえある。最近では人間を切り裂いて内臓を見たいとも考える。あの歌舞伎町で起きたビデオ屋爆破事件の容疑者の少年が供述していたように。今では隣の幸せそうな家族を見るとあの大分一家殺傷事件のようにしてしまいたいとも思う。決行日は12月31日午後11時59分だ。21世紀がやって来る前にちゃっちゃと殺ってしまおうか考えている。


そう、ここまで読んだ方はお気づきだろう。黒とムツ(6)、あえて犯人が、この版に殺人予告とも読み取れる書き込みを犯行前に行った意味を。ちなみにこの書き込みが事件との関連性を匂わせるのは、隣の幸せそうな家族 という13歳の視点から宮澤家を見る形で書かれていること。これは、宮澤家の隣に住む・姉の入江さん(仮名)の息子さんの年齢と合致しているからだ。

もしそうだとすると、この犯人は、入江さんの息子の年齢も礼君の年齢も把握したものが行った可能性があるのだ。入江さんの息子は、イギリスで育ったはず。事件前の4月に10年ぶりに帰国し、日本の学校に通っている。少なくても近所で育ったわけではないので、彼の年齢を知るものは極めて少なかったのではないかと。まして幼い礼君の年齢を知るものなどは、極限られたものしかいなかったのではないのだろうか? あるいは犯人は、両家のことを事件前に入念に調べあげていた可能性も否定できない。

(最後のキーワード)

それは、フランス である。まず、犯人が使用していた香水・ドラッガーノワール は、フランス製の香水だという。これまでこの香水は、有名なプロスケーターが愛用していたため、それに触発されて使用していたのではないかと言われてきた。確かに、その可能性は高い。

そして事件で最も警察が色めき立ったと言われる重要参考人が、DNA解析の結果導き出されたものに近い フランス人を母に持つハーフ青年だった。しかしこの男は、警察の捜査の末シロだと判定される。しかしこの話には続きがあって、この男の家族には南欧に留学している若い男が他にもいたようなのだ。警察は、この男の存在を重要視したのだという。

捜査本部では、その男の指紋を採るべく、ICPOを通じてその国の警察当局に捜査依頼をする案が出た。しかし相手国の主権侵害になりかねない事案として、これを断念した。そこで現地在中の新聞記者に依頼して、その男の指紋を入手することに成功。しかし、男の指紋は合致しなかった。そして、この話は裁ち切れになったという。しかし、捜査本部がそこまでエネルギーを注いだからには、相当な条件がこの男と合致していたからではないのだろうか? そして刑事部最高幹部は、記者会見に自分が出席するべきか本気で悩んでいたほどだったという。その理由は定かではないが、この話はむしろ何かしらの政治的判断で、無罪放免にせざる得なかったのではないかと疑いたくもなる事案だった。

あともう一つ気になるのが、犯人が現場で4つも食べ、5つ目も誰が食べたかわからないものの、食いかけのまま放置されたアイスのことである。このアイスは、フランス・パリ マドレーヌ広場で美味追求する FAUCHON のものだった。私は、犯人が異常なまでにアイスを現場に残したのは、実は何か意味があったのではないかと思えてきた。ひょっとするとこのアイスは、本当に最初から宮澤家にあったものだったかどうかも、少し疑いを持っている。そして4つもアイスを平らげ、5つ目が食べかけのまま放置されていた。現場で、みきおさんの服を吟味した後に逃走した犯人が、なぜ食いかけのままアイスを放置したのか? ちなみにFAUCHONのアイスは、6個一組のものが多い。ここにもまた、犯人が何かしらのメッセージを込めていた可能性があるのかもと勘ぐりたくなる。また偶然なのか否なのか? 宮沢家の赤い車も、シトロエン というフランスのメーカーの車だった。

(最後に)

この犯人は、何か愉快犯的な傾向を持っており、こだわりと犯人なりの意味を遺留品に込めていたのかもしれない。あるいは、公式に発表されていないだけで、まだ他にもメッセージを現場に残していたり、我々が気がつかない意味がこめられているのかもしれない。もちろんこれらは、偶然の一致であってこちらの思い込みの可能性も捨てきれない。

ただし私が思い描く、快楽殺人・愉快犯 的な色彩が強い犯人像であったとしたのならば、充分にそういった意味を遺留品に込めていても不思議ではないのだ。そして警察は、あえて愉快犯が増長しないように、こういった情報を極力無視・あるいは早期に公表することを避けていたのかもしれない(地蔵の公表までには3年以上かかった)。これもまた、私の勝手な思い込みなのかもしれないのだが ・・・ 。

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改めて地蔵について整理を

図書館で、「世田谷一家殺人事件の真実」 著 山元泰生 という本を借りて読んでみた。事件から6年余り経ってから書かれた本らしいのだが、微妙に私の認識と違うことや、知らないことが書かれていたので、今回はそれらについて考えてみたい。特に私の興味を誘ったのは、事件から100日目に置かれた あの地蔵 についての記述である。

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この本によると、事件からちょうど100日目にあたる 2001年4月9日(月) 午前8時ごろに 宮沢さん方から仙川挟んだ南西方向に、直線で30メートルほど。 川沿いの遊歩道にあったベンチ脇の土手に、灰色の小さなお地蔵さんが、現場を見つめるように置かれていたのを散歩中の住人が発見。不審に思って、警察に通報したと書かれている。しかし現場を訪れてみると、この付近にはベンチは存在しないし、コンクリートに覆われ土手など存在しないことに気づく。少なくても今現場にいっても、当時の状況を伺うことは難しい。

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(若干認識の違いが)

私が以前読んだものには、ベンチの上に地蔵が置かれてあったとされていた。しかしこの本によると、ベンチ脇の土手に置かれていたという。まぁいくらなんでもベンチの上に置いてゆくのはどうかとは以前から思っていた。いずれにしても宮沢家を見つめるようにと書かれていることからも、やはりベンチがあったのは遊歩道でも仙川側だったのではないかと。もし川沿いではなく斜面側(この反対側は高さのある壁になっている)にベンチがあり、そこの脇に置いてあったとしたら、それは道路側に向けて置いていたことになり、通行人にも拝める形となっていて違和感がない。特にこれでは、宮沢家の方角を向けて置かれたかどうかはわからないはずなのだ(斜めに置かれていたということだろうか?)。いずれにしても地蔵がベンチの上に置かれていようと地面に置かれていようと、仙川沿いに置かれていたとしたら通行人に背を向けるという不自然な形で置かれていたことになる。しかし仮に斜面側にベンチがありその横に置いてあったのならば、供養の意味合いが強かったのではないかと私は思うのだ。

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またこの地蔵を発見したのは、地蔵を拝んでいる人がいるとの連絡を警察が受けたからで、散歩していた近所の人は地蔵の横で拝んでいた人がどんな人だったのか目撃していたのだろうということ。しかしこのことに関しては、一切警察からは口外されていない。しかしその後の事件集会において女性捜査員が犯人の家族に呼びかるように訴えたことからも、犯人自身が置いたというよりは事情を察した家族によって置かれたものではないかと警察は捉えていたフシがある。

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(それにしてはあまりに計画的)

実は事件から100日目ぐらいには、まだ現場周辺では日中警官が警戒し巡回していた時期だったということで、マスコミなどもウロウロしていた時期だったはずなのだ。しかし彼らに一切目撃されることなく地蔵を置くというのは、かなり用意周到に準備が進められたと考えるべきだろう。ようは、日が暮れれば警察も現場周辺の巡回をしなくなることやマスコミ関係者がいなくなることまで、事前によくわかった上で置かれたのではないかということ。

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特に地蔵が置かれていたのは、バス通り側の入り口から車止めを越えて南に150メートル進んだ遊歩道の途中、さらに南に250メートル先には現場を見下ろすように立っていた住宅地と合流する反対側の入り口がある。その二箇所のいずれかから入ってきたのだろうが、少なくてもこの距離を20キロにも及ぶ地蔵を抱え、暗い時間に誰にも目撃されずに運んできたことになるのだ。ここならば両方向から来る人を見通すことができ、あるいは斜め正面にある現場の警官の動きも一定の距離を保ちながら確認できる。その隙きをみて置くことができるという、考えに考え抜かれた場所なのだ。それでいて地蔵が、宮沢家のために置かれたものという、明確に自己主張できる絶妙な場所に置かれていたのだ。単に供養のために近所の人が置いたにしては、考えに考え非常に手間暇をかけて置かれたものであったことがわかる。少なくてもこれを置いた人物は、絶対に置いたことを周りに知れてはいけないという思いがあったはずなのだ。これは用意周到に、置ける場所・置きにゆく時間を事前に検証したものでないとあそこには置けなかったはず。ちなみに2004年に、この地蔵を発見されたとおぼしき場所で警察が1時間だけ地蔵公開した時の記事が出てくる。そのときの画像だと思しきものを見る限り、宮沢家に南に30メートルではなく南西の30メートル付近だとされ、この写真が置かれていた場所の前だったと考えると、かなり現場建物の正面付近であったことが、背景の景色から伺われるのだ。それも、やはり置かれていたのは仙川側だったのではないかと想像させるものがある。(写真の後ろに脚立が見えるのは、報道陣が置いたものなのか?あのへんに地蔵をあったことを示すためのものなのか?)。

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(この地蔵は)

東南アジア産出の御影石で作られ、比較的最近に韓国か中国で機械彫りされたものだと判明したのだという。しかし著者によると、このような地蔵は都内でも1万円ぐらいで販売されているものであり、けして高価なものではないのだという。それをわざわざ海外の業者に作らせ持ってきたのには、発注先から足がつかないようにするためだったのではないかというのだ。

私は中国や韓国の業者なら安く作れるとして、加工したものを輸入し販売されていたものを犯人が手に入れたのかと思っていた。しかしお金も時間もかかる方法をわざわざしてまでして、日本に持ちこみ現場に置かれたのものだったというのだ。だからこそ警察も3年半もの間一般に公開しないで制作・輸入・販売元を調べに調べたが、見つけることができなかったのだという。そのぐらいこの地蔵は、単純に近所の人が供養のため親切心で置かれたものとは素直には思えないものだったのだ。当然地蔵からは、犯人に繋がる指紋などの手がかりは一切検出されなかったのだという。

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(地蔵の意味)

私の知り合いが、この地蔵にはこのような意味があるのではないかと教えてくれた。この両手を前で合掌していいる地蔵は、畜生道を示す地蔵なのではないかと。畜生道とは何か調べてみると、この六道の考えをわかりやすく解説してくれているサイトがあったので、参照させて頂きたい。

このサイトによると、畜生道とは 会社で自ら動かす人ではなく、おんぶにだっこ状態の人無責任に人になすりつけ、思考停止の人だ。 またもう少し読み進めると、特に悪いことしていなくても、よく考えることもなく、恥も知らず、ましてや仏の教えなど気にしたこともないもの、お布施をもらってもその心に応えないもの。

という解釈をここではされている。これをみると、何かしら会社や組織などにおいて、無能であることを咎めているのではないかということ。特に気になるのは、お布施をもらってもその心に応えないもの という部分は、この事件に宗教団体との関わりがあったとの話があるだけに気になるフレーズではある。しかしこの事件に噂される幾つかの団体はいずれもキリスト教系であり、この仏教の教えと深く関わる地蔵でそれを表現しようとしたのかは全く繋がらない。

ここから意味を推測すれば、みきおさんか泰子さんの生前の立ち位置・行動に不満があったもの。あるいは、何かしら組織・団体に関わり、その期待に応えられなかったものという意味合いに捉えられてしまう。そこからは、犠牲になったものを弔うとか、子供に対する供養という意味合いは見えて来ない、果たしてこの地蔵を、単純に家族を供養するためだったと捉えて良いものなのか? 実はこの地蔵には、別に何か意味があったのではないかと考えるべきなのだろうか? 

(地蔵信仰)

ちなみに地蔵信仰というのは、日本独特のものであるという。すなわちこの地蔵に深い意味を持たせているとすれば、非常に日本人的な発想だということ。また製造の依頼など日本の業者がしていない限り、外国でこのようなものが制作される文化はないということ。すなわちこの地蔵が外国製でも、何かしらの理由で日本からの製作依頼があったから作られたということになる。そのルートを警察が散々調べても、わからなかったというほど複雑な経路をたどって持ち込まれたものだったのだ。しかし私の知り合いによると、手と手が合わさるラインが仏像の中心線からずれており、これはプロの仕事だとは考え難いと教えてくれた。すなわちこれは、素人により制作されたもの、犯人が原材料の石だけ調達して自ら作成した可能性すら考えられるのではないのだろうか。

また地蔵で弔おうという発想は、どう考えても現在40代半ばの私のような世代では考え難い。普通に考えれば、地蔵を置いて弔おうという風習は、当時でもすでにかなりの年配に差し掛かっていた人間が行うことではないかと。仮に弔うという別の意味があるとすれば、若い世代によって行れた 愉快犯的な色彩 が強いとも考えられる。私は、あの連続少女誘拐事件の 宮崎勤 が、被害者家族の玄関前に、まだ発見されていなかった子供の骨を段ボールに入れて置いていった事例を思い出さずにはいられない。

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ちなみに地蔵に彫られた六と思しき文字は、元々この地蔵は6体セットの1つで、その制作の過程で台座と本体を他のものと間違わないように刻まれたものだったのではないかという意見もある。その一方で、六は亡くなわれた礼君の年齡だったという意味合いがあったとか、この犯人が  という数字に何か強いこだわりがあったからではないかという見方もされている。しかし、はっきりとしたことは未だわからない。事件との関わりを六にもたせるためには、現場にも 六 を連想させるものが凶器に使用された関の孫六の包丁以外にもあったはずなのだ。例えば、現場の家の壁の何処かに、六 という文字が書かれていたとか、数字が書かれていたノートに、ここの台座に書かれているような、特徴的な 六 が同様に書き記してあったとか、犯人を連想させるものが必ず現場にあったはずなのだ。だから台座の六をみれば、これは 犯人が残したものだとすぐにわかるようなものだった可能性がある。しかしそういったものが一切なかったとすれば、上記で推測されたような製作の過程での必要性から生じたものだったということ。そしてこれは、犯人ではなく業者によって作成された6地蔵の1つだったと考えて良いのではないのだろうか。

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それと亡くなわれてから100日目は、卒哭忌(そっこくき)と呼ばれ、哭は声をあげて泣き悲しむという意味で、そうした悲しい気持ちを卒業して、一区切りつけて明日からの毎日を生きて行こうという日なのだという。すなわちこれを置いた人物が、家族との別れ・この事件との決別を強く意識したものだったのかもしれない。この地蔵の件以降、犯人に繋がりそうな痕跡はは一切なくなってしまったのだ。



日常品ばかり

以前犯人の遺留品の中には、意図的に置いてゆかれた可能性があるものと、そうではなかったものがあるのではないかという記事を書いたことがある。また犯人の遺留品には、一定期間使用していたものも少なくなかった。そこで今回は、遺留品の中でも一定期間使われていた形跡があるものと、そうでないものにわけて考えてみる。

ラグランシャツ(トレーナー) 日常品

2000年9月~11月と事件に近い時期に、日本で130着販売されたものであるという。都内では10着ほど販売(1着は持ち主判明)され、神奈川の本厚木でも3枚が販売されていたことが確認されている

何度も洗濯した形跡があり、色あせてクリーム色に変色していたということで短期間に相当着込んでいたことが伺われる。また車庫に残されていた染料と同じものが付着しており、染料が付着してからは洗濯された形跡がなかったという。いずれにしても犯人が、日常的に着ていたものであることは間違いなさそうだ。都内で10着しか販売されていなかったもので、ここからも犯人がシャツを置いていったのは、捜査を撹乱させるためというよりも返り血を浴びて気持ち悪かったからとか逃走に目立つからといった単純な理由だったのではないかと。またシャツはこの短期間に相当着込んだ跡があるというのは、お気に入りだったという側面よりも、あまり複数のトレーナーを持っておらず、この服ばかり着ていたという可能性の方が私は高いのではないかとみている。本当のお気に入りの品ならば、現場に持ち込むこともなければ置いてゆくこともないのだろうから。

ユニクロジャンパー 日常品

2000年9月以降に、全国で8万2000着販売され即完売した人気商品。ポケットからは、小鳥のフンやヒメザクロの種子などの他、三浦半島の砂などが検出されたのだという。また袖口からは、犯人の血液型と同じA型の汗が検出され、犯人がこれを着て日常的に移動していたことが伺われる。

エドゥインのボア付き 手袋 微妙

1998年~2000年の間に、1万755組 販売されたものだという。犯行に使われた形跡はなかったが、リビングに入る道すがらに投げ捨てられていた。興味深いのは、中に犯人の血液がびっしりと付着していたこと。しかしこれに関しては、犯人のものであるか明確にはされていない。そのため手を負傷したときに、宮沢家にあったものを使った可能性も無きにしもあらず。ただしそれならば、宮沢家の家族のDNAが検出された可能性が高いし、杏さんの証言だとデザイナー的な仕事をしていた みきおさん は、それなりにおしゃれで高級品を身につけていることが多かったことからも、やはり犯人のものであった可能性は高いのだろう。ただし、使い古されたものかの情報は明らかにされていない。

ヒップバック  日常品

大阪のメーカーが、1998年~1999年 に、2850個製造したもの。これは、凶器になった柳刃包丁を入れてきたものであり、この中には、砂漠の砂だとかモナザイトだとか様々な残留物が含まれていた。特に日本国内には存在しないものや、限られた人間しか使用しないような特殊な物質が検出されている。またユニクロジャンパーと同様の三浦半島の砂も含まれており、ユニクロジャンパーを着てヒップバックを装着して、ジャンパーの発売された2000年9月以降に三浦半島を訪れていた、あるいは住んでいた可能性があるということになる。これも底の部分が薄くなるほど、長く使用した形跡があるという。また最近発表されたものには、中から犯人のDNAと一致する毛髪が検出されており、犯人が一定期間使用していたことは間違いないなさそうだ。

クラッシャーハット 微妙

1998年~1999年 3465個 全国のスーパーで販売されたという。これに関しては、犯人の毛髪一つ付着していなかったことからも、犯人が日常的に使っていたものかはハッキリしない。ただし事件前に目撃された不審者情報の中には、このクラッシャーハットを被っていた人間が複数の人から目撃されている。そのため、犯人ものである可能性は高いのだろう。

マフラー 日常品

唯一製造・流通が解明されていないが、100円ショップなどに売っていたり、景品などで配っていたという話もあるもの。130センチと子供サイズのもので、犯人が長年使用していた形跡があることが先日警察から発表された。

黒いハンカチ 日常品

1995年~2000年までの間に、無印良品から 6万6500個販売されたものだという。これも洗濯してアイロンをかけた跡もあったようで、日常的に使われていた可能性が高いもののようだ。

スラセンジャーの靴  日常品

1998年10月から2000年11月にかけて、韓国で4530足製造販売していた。しかし28センチサイズは、日本では売られていないもの。同じ外枠の大きさの 27.5センチに関しても、日本では販売されていないことが後に判明している。これは足跡から判別されたものであり、犯人が意図的に残したものではない。しかし足跡からは、使い古されたものだと判明したのだという。そのためこれも、日常的に犯人が使用していた可能性が高い。

凶器の柳刃包丁  新品

関の孫六・銀寿 と呼ばれる商品で、刻印から2000年6月に製造された1500本のうちの一本だと判明した。現場付近では、世田谷区・杉並区内で事件前月の11月中に13本販売、被害者宅から数キロ圏内にある小田急線経堂駅近くのスーパーで事件前日の29日に2本販売、東急田園都市線用賀駅近くのスーパーでも事件前日と当日の30日に1本ずつ販売されていた。また事件前日に武蔵野市吉祥寺のスーパーでも販売されており、この時購入した「身長170cm前後、年齢30代、黒っぽいジャンパーの男」の似顔絵が2004年に警視庁より公開されている。しかし最近の警察発表では、犯人は15歳~20歳台とみており、この防犯カメラを元に作成されたイラストの人物に対し警察は重視していないことが伺われる。

(遺留品の傾向)

ここにあげた9つの遺留品(靴は遺留品ではないが)のうち、6つは犯人が少なくても一定期間使用していた形跡があるということ。また警察がハッキリさせていない手袋やクラッシャーハットも発表していないだけで、他の遺留品と一緒に置かれていたことからも、その可能性は高いのではないかとみている。明らかに事件のために用意したと思われるのは、新品の包丁 だけなのだ。もしこの包丁の購入日時が明らかになれば、犯人がこの事件を起こそうと決意した時期がわかることになる。みきおさんと揉めた男が、事件直前に殺意を抱いたという可能性は一番自然な流れになる。しかし被害者の殺害方法からすると、むしろその動機は、にいなちゃん や 泰子さん の方だったのかもしれない。少なくてもみきおさん殺害後に、屋根裏部屋で寝ていた二人をわざわざ襲ったことからも、そのことが伺える。

また包丁は他の遺留品と違い、日常的に使われていた形跡がなかったことから、事件直前に購入したのではないかと見られている。しかし事件前日の吉祥寺の男は防犯カメラが作動していたために似顔絵を作成することができただけで、すでに捜査線上からは年齢的に外れている可能性が高い。経堂のスーパーでは、事件前日にブツブツと殺意を放っていた青年も売り場で目撃されており、それも極秘に似顔絵などを作成していた可能性が高いことは以前ここでもとりあげた。しかし今に至るまで、包丁をたどっても犯人にたどり着くことはできていない。

そこで遺留品の販売時期を見てみると、事件前の秋口~11月ぐらいまで販売されていたものが多いことに気がつく。すなわち事件を起こそうと他の遺留品も買い揃えていたとしたら、この包丁も11月頃に購入されていたものなのかもしれないのだ。特に杉並や世田谷区内では、この包丁が11月に13本販売されていたことが明らかになっており、むしろこの時期に犯人が購入したものの可能性も捨てきれない。もちろんこの時期の販売状況も、警察はくまなく捜査したのだろうが、犯人にたどり着くことなく現在に至っている。もし事件前日に近所で購入していたとしたら、それこそ犯人は警戒心が極めて薄い衝動的な人間だと思うのだ。そして遺留品を残したことで、捜査を撹乱させようとかいう意志は全く考えていないか、それでも捕まらないと考える特殊な思考回路の持ち主だったのではないかと。とてもそこからは、知的で計算された行動だとは思えない。そのことは、ラグランシャツの販売数やスラセンジャーの靴の稀少性からも、同様のことが言えるのではないのだろうか。

あとよく韓国でしか手に入らないスラセンジャーの靴をもってして犯人は韓国人なのではないかという話にもなるが、それは一つの可能性でしかないと思うのだ。というのは、他の遺留品は日本でしか手に入れられなかったものも少なくなかったからである。冷静に考えれば、犯人は何かしらの理由で一定期間韓国に行っていたときに購入した、あるいは販売を追いきれない個人輸入や正規のルートではないような方法で日本国内でも手に入れることができたことも視野に入れておくべきではないのだろうか。

(個人的な主観)

私もこの事件を起こしたのは、日本社会において特殊なルーツを持つ人間、あるいは冷遇されるような環境で育ってきた屈折した人物ではなかったのかという思いは強い。ただし日本語読解能力が一定レベルはありそうなことや、日本での一定期間の生活臭がすることを考えると、事件前に外国から事件を起こすことを目的にやってきた外国人だったかと言われると疑問が残るのだ。もちろん事件後に、自分のルーツをたどって海外に逃亡している可能性は無きにしもあらずだとは思うのだが。仮に外国籍だとしても、かなり長い期間日本で生活していた、あるいは日本社会で生まれ育った人物なのではないかと思うのだが、確かな根拠はなく一個人の感覚的なものとして頭に留めておいて頂きたい。むしろこの事件は、宮沢家個人というよりも、日本人や日本社会への敵視・恨みが、強い殺意として現れた可能性も否定できない。しかしそれよりも、単に人を殺してみたいという衝動に駆られた 快楽殺人 だったという見方の方が私の中では大きくなっている。

ここ2回ほど、犯人が  という数字に強いこだわりを持っていたのではないかと書いてきた。しかし 六 について言えば、あくまでも仮定の話でしかない。それというのも、事件前に2ちゃんねるに、黒ムツさん の名前で書き込んだのは、犯人の犯行予告だったのではないのか? 地蔵の裏の 六 という掘られた文字は、犯人が記したものではなかったのか? 殺害に使われた刺し身包丁である 関の孫 という名称なのは偶然だったのか? この 六 に関しては、現場に何か犯人が書き残していない限り、偶然の一致だったのかもしれないと言われてしまえば、それまでの話なのだ。

しかしもう一つ、犯人が強いこだわりを持っていたのではないかと思われるものが、 という色についてだ。これは、偶然ではなく明らかな形で残っている。例えば現場に残されていた 2枚の黒いハンカチ 。一般人では、葬式のときぐらいしか使わないような色のものである。また遺留品にも、黒いものが多い。事件前に目撃された不審者には、全身黒ずくめだったなんて話しもあるぐらいで、黒 にこだわりを感じさせるものは少なくないのだ。

まして、黒ムツさんというネーミング自体が、犯人がこだわった 黒 と 六 を同時に備えている名前だと指摘されて初めて気がついたりする。そんな中、犯人が直接残したものではないのだが、黒いハンカチに付着していた ドラッカ-ノワール という香水の ノワール という言葉も、黒 を意味するフランス語だったのだ。 そこで今回は、ドラッカーノワール と ハンカチ について考えてみたい。

「ドラッガーノワール」とは、有名なスケボー選手も愛用していた男性用香水の名前なのだという。そこから今までスケボーと犯人との関わりを疑ってきたが、今回は違う視点から考えてみる。「ドラッガーノワール」の訳は、「黒い海賊」という意味なのだ。そこから調べてゆくと、なんとなくあの 黒いハンカチ の正体がわかってくることに気がついた。

まずネットで 黒ハンカチ 海賊 と2つのワードで検索してみると。なるほど、海賊が頭に巻くようなものが幾つか出てくる。これだけでは検索の範囲が狭いので、ハンカチ 海賊 で検索し直してみると、興味深いページが出てくる。海賊船員セーラー-バイカー-バイクの身に着けているバンダナやハンカチまたはバンダナ-イメージ野生のライオン野生動物. というページが目につく。なるほど、ハンカチを頭に巻いたりと、バンダナ風に使うこともあるのだなということがわかってくる。

うん? ページのところに バイカー と書いてあるぞ。ひょっとして、これらの格好は、バイク乗りにも似た格好する輩が存在するのか? そこで、バイカー 黒いハンカチ だとか、バイク乗り 黒いハンカチ や、バイク乗り バンダナ などと、それらしい言葉で検索してゆくと、バイク乗りがハンカチやバンダナを頭に巻いたり、フェイスマスク にハンカチを使用している画像に行き着く。そう、フェイスクマスク にするには少々大きさ的に厳しい気もするが、下記の写真のようにハンカチをフェイスクマスク代わりに使うバイク乗りもいるのだということ。

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なるほどこうやってたどってみると、黒いものや海賊風のファッションからも、あの黒いハンカチをマスク代わりに使用したのではないかという警察の推測も頷けるものがでてくる。まして「ドラッカーノワール」から推測すると、その線はより濃厚になってくるのだ。

警察が未だにバイク乗りの指紋ばかり集めているのは、ヒップバックや厚手の手袋なども含めて、犯人はバイク乗りだったのではないかと考えている理由がよくわかる。警察も同じく、似たようなファッションがバイク乗りにあることに気がついたのかもしれない。

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そして今回、とても遺留品と似た服装の写真があったので参考にさせて頂きたい。上記の写真を見ていただくと、ニット帽・マフラーは遺留品にもあったもの。フェイスクマスクは、黒いハンカチで代用したと考えると、犯人がこれに似た格好で宮沢家に侵入したのではないかと推測されるのだ。もちろん目元にゴーグルやサングラスだったのか、それとも目は直に出していたのかは定かではない。しかし犯人がフェイスクマスクに使っていた可能性が高い黒いハンカチを、泰子さんとにいなちゃんの遺体のそばに落としたのは、もう顔を隠す必要がなくなったからだと考えられる。そう考えれば犯人は家族を殺害し終わるまで、目も何かで隠していた可能性も捨てきれない。しかしそれは、持ち帰ったのではないかということ(あくまでも推測だが)。よ~く考えて欲しい、こんな人相を隠した格好をしてきたものを、年末の夜に家族もいるのに招き入れるだろうか?犯人は、やはり何かしらの方法で宮沢家に侵入したと考えるのが自然な流れになる。みきおさんに、この手の格好でもしてツーリングをする趣味があったと言うのならば、まだわからなくもないが。

犯人も、こういった服装やファッションに感化されていた一人ではないかということ。私も現場まで犯人は、バイクか自転車など手を出して乗る乗り物に乗ってきた可能性が高いのではないかとみていた。そしてもし犯人が うみかぜ公園 など三浦半島まで足を延ばしていたとしたならば、それは自転車や原付きなどではなく、それ以上の排気量のバイクだったのではないかと推測してきた。その可能性が、このことからもより高まるかもしれない。また事件前の現場付近の目撃情報には、つなぎを着た男などもいたことがわかっている。

犯人がもし、 六 や 黒 というものにこだわって事件を起こしたとすれば、どういうことが言えるであろう。そうこの事件は、個人的な恨みや金銭目的 という色彩よりも、快楽殺人 や 愉快犯 といった、何かそういった事件を起こしていみたいという衝動にかられた犯罪だったのではないかということ。私はこの事件とひたすら向き合ってきた結論として、犯人の動機はここにあったのではないかと考える! 

ボア付き手袋が語ること

世田谷一家の事件において、犯人が残していった遺留品の中で、ひときわ異彩を放っているものに ボア付き手袋 というものがある。今回は、この手袋について改めて考えてみたい。

boa 1

エドウィン社製「ボア付きグローブ」として販売。黒革で26センチ、中はボア付きで外側は豚革を使用。販売数は1998年から2000年に1万755組。犯行時に使用された形跡がなかった

(用途)

まずこの手袋で注目したいのは、明らかな防寒用手袋だということ。けして、殺害に使用するため使うような、指が軍手のように作業しやすい作りにはなっていないということ。そして実際に、事件には使われた形跡もなかったという。すなわち、礼君のクビを絞めたときも、他の家族を刺したときもこの手袋は使用した形跡がないのだ。

そこでこの手袋はどのように使われたか考えると

1,犯人が現場までやってくるときの防寒具の役割

2,他の遺留品同様わざと置いてゆくため


1,犯人がやってくるときの防寒具の役割

首都圏近郊に住んでいる若者男性が、恐らくこんな分厚い手袋など使用しないだろう。すなわちだ、この季節に(雪でも降っているならいざしら)、まして暑がりだったのではないかと思われる犯人が、この手袋を日常的に使っていたイメージがどうしてもわかない。普通この時代の若者だったら、寒ければポケットに手を入れるぐらいではないのだろうか?それでも犯人が使用していたとするならば、バイクか自転車などある程度の時間風にあたって移動する時に使用していたとしか考え難い。車では返って運転し難いだけで、そこまで車内が寒いとは思えないので、限りなく犯人は歩きでも車でもなく、バイクか自転車などを使って移動しその時に使用したものでないかということ。私も原付きには普段から乗るので、さすがに12月にもなれば手袋無しに10分以上の運転は厳しいと思うのだ。恐らくこのことは、自転車でも同様ことが言えるであろう。

うん、10分? そう犯人は近所に住んているといっても、バイクや自転車で10分~15分ぐらい離れたところから、スケボーをしに定期にこの公園現れていたのかもしれない。そう考えると実際犯人が住んでいた場所は、必ずしも公園周辺とは限らず何キロか離れた場所から、頻繁に祖師谷公園にやってきた人物という可能性も否定できないのだ。

2,他の遺留品同様わざと置いてゆくため

あと考えられるのは、他の遺留品同様にわざと置いてゆくためのものだったということ。もし捜査の撹乱を狙うために使ったとしたならば、犯人は全く真逆の暖かい地域の人間だった可能性も捨てきれない。あえて12月の東京には不似合いな防寒具の手袋を意図的に残したとしたら、真逆の暖かいところに普段はいる人物だった可能性が考えられる。他の遺留品にも痕跡があった、例えば カルフォルニア あたりなのか?ただし指紋や血液を残しても捕まらない自信があるのならば、最初から偽装工作などする必要はないのでは? むしろこの遺留品は、偽装工作なのではなく、捕まえられるものなら捕まえてみろという犯人の 自己顕示欲 の現れではないかと私は思うのだ。

(発見場所)

この手袋は、2階にある台所入り口付近(リビングに繋がる通路)で発見されている。他の遺留品が、リビングに整然と置かれていたのとは対照的に、廊下の途中に投げ捨てられるように発見されたのだ。ジャンパーなどがしっかり畳まれるように置かれていたのとは、明らかに状況が違うのだ。これは、何を意味しているのか?

1,他の遺留品は精神的に落ち着いていた状況で置かれていたのに対し、この手袋を置いた時は精神的に取り乱していた可能性がある。

2,他の遺留品とは、そこに置かれた時間が違っていたのではないかということ


(ここで仮説を)

犯行に使われた形跡がなかったということは、実はこの手袋も最初は他の遺留品と同様にリビングにキレイに一緒に置かれていたのではないかと。しかし犯人が手を負傷することで、急遽必要性に迫られたのではないのだろうか。というのもこの手袋の中は、犯人の血液がグッショリ付着していたのだという。そうこの手袋を犯人が使ったのは、4人を殺害した後だったと考えられるわけだ。

(犯行順を教えてくれる)

もし私の仮説どうり、このボア付き手袋が他の遺留品と共に最初は居間に置かれていたとしよう。そう考えた場合、中二階の浴室の窓から侵入した犯人は、いきなり子供部屋に向かったわけでも礼君に気がつかれて慌てて口を塞いで扼殺したわけではないということになる。もし進入時に礼君を殺害したのならば犯人はこの手袋を付けていた可能性が高く、礼君の唾液なり痕跡が手袋に必ず残っていたはずなのだ。

そのため犯人は、まず明かりが灯っておらず誰もいない2階リビングに進みここで荷物を下ろし殺害の臨戦体勢を整えたことになる。そして恐らく身軽な格好になりながらも、腰に包丁の入ったヒップバックを巻いて家の中を移動し始めたのだ。そしてまず、中二階にある礼君の部屋に侵入したものと考えられる。ここで気になるのは、なぜ礼君に対し包丁を使わなかったかということである。

すでに臨戦態勢は整っており、いつでも包丁が使えるはずだったのだ。それでも首を締めて扼殺したのか?泰子さんやにいなちゃんの時は、首元を斬りつけ声を出せなくしたという話しもある。なぜ礼君もそうしなかったのだろうか?片方の手で口を塞ぎ刺しても良かったのにあえてそれをしなかったのは、もちろん声を発せられることを恐れたということもあるがそれ以上に犯人はいろいろな殺害方法を試したかったのではないかと私は考えている。そして礼君は、あらかじめ扼殺することを事件前から想定して犯行に及んだのではないかと。

あるいは、礼君が布団をかけて寝ていたとしよう。もしそうならば、布団から外に出ていたのは顔や首の部分。それをみた犯人が、はっきりと狙いが定められる扼殺という手段を、この時決意したとも考えられる。この場合は、事前に計画性はそれほどなかったことになる。しかし1つだけこの場合明らかなのは、礼君はベッドの上で寝ていたことが前提になるのだ。ただしそうだとすると、発見時にベッドにうつ伏せで足はベッドから飛び出し発見された状況では説明がつかない ・・・ おばあちゃんが発見後抱き寄せて体勢が変わったにしては、随分と乱暴な置かれ方で最後は発見されたことになるのだ。 この辺は、正直よくわからない。

(なぜ手袋を使用したのか?)

犯人は当初、家にあったナプキンで止血しようとしたりリビングには絆創膏を何枚も取り出し傷口を防ぎ、血の着いた絆創膏をノートの裏にペタペタ繰り返し貼り付けたのだという。恐らく当初は、絆創膏の上に手袋でも済むと思ったのかもしれない。しかし予想以上に出血がひどく、絆創膏をしていても血が止まらずに外に滲み出て来る。そのうちに手袋の中も血液でグショグショになってしまい、これではダメだと手袋を廊下に投げ捨てたのではないのだろうか。そして家にあったナプキンをあてたり、タオルでぐるぐる巻きにしたりして止血を試みた。そのような状況になっては、手袋を上からつけることができなかっただろうということで、犯人はこの時手袋を床に投げ捨てたのだろう。

(帰りも使用するつもりだったのか?)

もし他の遺留品同様に現場に置いてゆくつもりだったのならば、帰りは移動手段が違った可能性があるということ。移動手段が違うとは、どういうことなのか? 少なくても帰りは他の防寒着を置いていったことも考えると、車などの暖かい乗り物で誰かが迎えに来ることが決まっていたのではないのだろうか。すなわちこの事件に協力者がいて、複数犯だったという可能性が高まってくる。しかしそれならば、最初に乗ってきたバイクなり自転車はどうなったのかという疑問も残る。警察からは、そういったものが見つかったという話は一切出ていない。

逆に当初はつけて持って帰ろうと考えていたのならば、単独犯であった可能性が高まる。遺留品は、わざと置いていったというよりは、おばあちゃんが家に訪ねて来るなど慌てて逃走しなければいけない状況に陥ったからだろう。しかしこれは、わざわざみきおさんの服などに着替えて逃走した可能性が高く、手袋はともかく他の遺留品は意図的に置いてゆかれたとみた方が妥当な状況なのだ。

(夜間の傷は治りが遅い)

最後に手袋の話ではないが、興味深い記事を見つけたのでご紹介しておきたい。この記事によると、午後8時~午前8時に負った傷は、日中に負った傷より遥かに治りが遅くなるというのだ。同じ傷でも日中ならば17日で回復したのに対し、上記の時間だと平均で28日もかかったというのだ。世田谷事件の時間帯も、この時間内に傷を負った可能性が高く、犯人は傷の回復に時間を要したのかもしれない。

まして警察が血眼になって全国の病院を探し回ったのは、病院で治療しなければならないほどの深手を負っていた可能性が高いと判断したからだろう。手袋のなかの出血量・浴槽に沈められていたナプキンや傷口をおさえるのに使ったタオルの血液の付着。その他家の中での、犯人の血液の痕跡からもそう判断したに違いない。実は傷はたいしたことはなかったという話しもあるが、警察が事件後いち早くそういった捜査を重点的に行ったのには、そんな僅かな可能性を探るためではなかったはずなのだ。犯人が長時間家に留まった理由の1つに、この出血がおさまるのを待っていたというのもあったのかもしれない。

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世田谷一家殺害事件 の犯人像について、モナザイト の主観で事件を考察します。

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