世田谷一家殺害事件を考えるにあたり

私は、事件発生以来14年近く、この事件の存在を知りながらも、詳細を知ろうとは思いませんでした。元々私自身に、「未解決事件」を考察する趣味や「推理小説」に興味を示したり、「凶悪事件」に関心を持つ人間ではありません。これ以外に関心を示した事件は、「3億円事件」や「グリコ森永事件」ぐらいでしょうか。

たまたまテレビで「世田谷一家殺害事件」の特集番組をみたのがキッカケでした。被害者家族に対する特別な思いや犯人を逮捕したいという正義感があるわけでもなく、何か釈然としないこの事件に対するモヤモヤした気持ちを、少しでも整理できないかと思ったわけです

そのため私は、他の事件に対して詳しいわけでも捜査方法を熟知しているわけではなく、素朴に素人が感じたことを述べてゆきたいと思ってる次第です。この事件の詳細は ウキペディアにある「世田谷一殺害事件」などを参照して頂き、ある程度事件に対する予備知識があることを前提に話を進めてゆきます。下記にも、事件の特集をした番組の動画を掲載しておいたので、参考にして頂けたら幸いです。


【世田谷一家殺害事件】犯人は誰?15年目の新事実 投稿者 ponpocorin

スポンサーサイト

犯人が訪れていた可能性


世田谷一家の犯人が、現場に残した「ユニクロのエアテックジャンパー」のポケットとヒップバックの中から、三浦半島の海岸の砂が含まれていたという。その砂は、馬堀海岸、北下浦海岸、三浦海岸のいずれかのものと推定されるという。

umikaze 2


(うみかぜ公園)

そして三浦半島には、元祖スケボーパークとも言われるほど有名な、「うみかぜ公園」があるという。以前この公園に赴いたときの記事は、こちら となる。京急・県立大学駅から海側に向かって15分程度の距離にあるが、歩く習慣があまりない人にとってはちょっと距離がある。これは祖師谷公園が、駅から徒歩25分程度の距離にあることも考えると、やはりここにも何かしらの電車以外の乗り物を使ってきた可能性は否定できない。しかし祖師谷公園 とこの うみかぜ公園 は距離がありすぎるので、自転車ということはないだろう。犯人の移動手段は、バイク・車・公共交通機関ということになりそうだ。それもまだ11月~12月と、首都圏ではそれほど寒くない時期に、あの当時のかさばるユニクロジャンパーを着ていたとなると、徒歩(公共交通機関)ということもなく、車かバイク(原付きではないもの)ということになりそう。それも長時間この手のジャンパーを車の中で着るには邪魔だし暑い。私はあえてこの時期に、厚手のジャンパーを着て移動したとするならば、バイクではなかったかと思うのだ。そして犯人が事件現場までの移動も、原付きではないバイク だったのではないかと思うようになってきた。まして犯人は、現場の行動からも暑がりではないかと思われ、そんな男があえてあのようなジャンパーを11月~12月に着ていたというのは、長時間風にあたるバイクを乗っていたからだとしか考え難い。

また事件の2年前に、宮沢さん一家は三浦半島にある海辺のホテルに宿泊したとされている。三浦半島で海辺にあるホテルとなると真っ先に浮かぶのが、京急の観音崎ホテル であり、恐らく一家が宿泊したのはここだったのではないかと推測する。この うみかぜ公園から観音崎ホテルまでは、3キロも離れていない場所に位置するのは偶然なのだろうか?

またポケットに入っていた砂は、馬堀海岸、北下浦海岸、三浦海岸 のいずれかだとされているが、うみかぜ公園と馬堀海岸との距離は1キロ程度しかないそばであり、この砂は馬堀海岸の砂、もしくはそこから飛んできた砂が何かしらの形でジャンパーのポケットやヒップバックの中に混入したと考えるのが自然だろう。

実際どのぐらいの量の砂がどのような形で見つかったのは定かではないのだが、前にも書いたとおり、この うみかぜ公園自体はコンクリートで大部分が舗装されているなど、けして砂地ではない。また馬堀海岸自体も、護岸工事が進んでおり海辺には降りられるものの、コンクリートか岩場といった感じの場所で砂が入り込むというイメージではない。むしろ砂が混入するとなると、それこそ観音崎ホテルの周辺の砂浜だったのではないのかとさえ思えてくる。犯人と宮沢家を繋ぐ接点が、この周辺に何かあったということなのだろうか?

ただしこの発見されたユニクロジャンパーは、事件直前の2000年11月に販売されたものであり、砂が混入したということは、それ以後に三浦半島を訪れていたということになる。そこで AJSA(日本スケートボード協会)のHPによると、うみかぜ公園で2000年に行われた大きな大会は、7月22・23日 に催されたことが記されている。少なくてもジャンパーの販売時期から考えて、このときは うみかぜ公園に大きな大会があるから見に来ていた、あるいは参加したという理由ではないようなのだ。

もちろん他に小さな大会が催されていた、日常的に訪れる習慣があった、たまたま有名スポットだから行ってみたのかもしれない。しかしあえてこの時期にうみかぜ公園を訪れたということは、犯人の日常的な行動範囲の可能性があり、近くに住居があった可能性も捨てきれない。そう、この うみかぜ公園から1キロも離れていない場所には、米軍の横須賀基地が存在するのだ。事件との関連性は掴めていないが、頭の片隅に入れておいても損はないだろう。私が犯人との関連を疑っている空軍の横田基地と違い、横須賀は海軍の基地であるということ。

(カリフォルニアストリートスケードボードショップ)

またこのヒップバックの遺留品の中からは、カリフォルニア州の砂、それも特徴的なエドワード空軍基地近くの砂漠の砂だったのではないかという話がある(東京新聞)。他にもこの中には、約1億4000万年前のものと思われるモナザイトも含まれており、この花崗岩はロッキー山脈のものとされている。ということからもヒップバックが犯人の持ち物だった場合、極めてカリフォルニア州近辺に渡航した可能性が高い、あるいは普段から住んでいた可能性がある人物だということになる。

そしてスケボー発祥の地は、諸説あるものの カリフォルニア だとされている。そうボーダーにとってカリフォルニアは、特別な場所なのだ。そしてこの事件の犯人は、何か スケボー と カリフォルニア に大きな繋がりがある人物なのではないかと思われた。しかし、この2つのことが繋がる接点は薄く、必ずしもスケボー絡みではないかもしれないと考えていた。

783.jpg

しかし先日、地図にスケボーができる施設に印をつけていると、地図の右端に気になるものが見つかった。カリフォルニアアスリートスケートボードショップ という、このスケボーとカリフォルニアを繋げるようなお店が代官山にあることがわかった。印を付けなかったのは、施設ではなく個人のショップだったから。このお店のHPを見る限り、1988年設立 だと記載されているので、事件より遥か昔から存在する。仮に犯人が本当に、スケボーとカリフォルニアに強い憧れを持っていたり関係性のある人物ならば、この店を訪れていたのではないかと思うのだ。当然警察も、この店の存在を知っていて、何度かは捜査で話を聞きにいっているのではないのだろうか?

nigaoe1.jpg

店員にもこのような男を見たことがないかと、似顔絵を魅せたに違いない。店員が覚えているかはともかくとして、私は犯人がこの店を訪れた可能性はかなり高いのではないかとみている。ちなみに、先に掲載したAJSAのHPには、2000年に うみかぜ公園 で行われた プロ・アマ出場選手の成績が掲載されている。ひょっとしたら犯人も、この大会に出場していたかもしれない。

犯人の生活圏を見つけろ!

世田谷一家の犯人は、何かしらスケボーに関わる人物だったのではないかと以前にも書いた。その最大の理由は、中級者以上じゃないと行わない、デッキテープを自分で張り替えていたような痕跡がヒップバックの遺留品から浮かび上がってきたから。ボーダーを犯人に魅せかけるような偽装工作の場合、なかなかそこまで踏み込んだ知識まで持っていたとは考え難いからだ。

そう考えると犯人は、何故駅から程遠い祖師谷公園にまで滑りに来ていたのかが気になる。祖師谷公園は、ローカルスケーターという一部の有志の手で運営され、それを管理事務所や自治体が認め共同管理しているような特殊な環境なのだ。そのため公が立派な施設を用意してくれたり、民間でも企業が関わりお金をかけた設備ではない。まして事件のあった15年ぐらい前は、現在よりもかなり劣る環境だったと訊いている。仮に祖師谷公園のスケボー広場が、どんな感じなのかは、YouTube などに幾つか動画 がUPされているので雰囲気を知っていただきたい。

それでも地元のボーダーと公園との間では、事件前には夜間は滑らないなどの取り決めがなされていた。それを守らない一部のボーダーがいたようで、そういった輩(個人かもしれない)と被害者である 宮沢みきおさん が、事件当日も口論していたことが近隣住民に目撃されており、一触即発の険悪な雰囲気だったのだという。しかし祖師谷公園に通う一部ボーダーの話では、その男はそれほど土地勘のない、離れたところから来た輩だったのではないかと言う話も残っている。

それではどの辺からやってきたのか考えてみようというのが、今回のお話。祖師谷公園というのは、どの駅を使っても1.5キロ~2キロ以上も離れている場所にあり、よほど近所の人間か何かしらの乗り物を使ってこの公園まで来ていたのではないかと考えられる。最も近い京王線の千歳烏山や小田急線の成城学園前の駅からでも、普通に歩いたら25分ぐらいかかる距離。更に千歳烏山からだと土地勘がないと、なかかなか公園までたどり着けない特殊な道のりなのだ。

そこで今回は、東京にあるスケボーができそうな施設を調べてみた。事件のあった15年前からスケボーが可能な設備が整っていたのかまでは確認していないが、とりあえず参照して頂きたい。

783.jpg

地図に手書きで記したので、汚らしくて申し訳ない。見難いと思うので画像をクリックして頂き、右側の虫眼鏡をクリックすると文字が読み取れると思います。そうして頂いた状態を前提に、話を進めてゆきます。

まず真ん中のピンク色に塗りつぶしているのが、事件現場がある祖師谷公園。そして周りに赤い印をつけたのが、スケボーができる公園や施設があると思われる箇所です。こうやってみると祖師谷公園を中心とした場合、離れたところには複数の施設があるのに、祖師谷公園の周辺4キロぐらいにはほとんどスケボーができる施設がないことがわかってくる。なるほどスケボーを興じるには不便な地域であり、祖師谷公園というのは彼らにとって近隣では貴重な存在であったことが伺われる。

上記に書いたとおり、祖師谷公園から周囲4キロぐらいには他のスケートパーク・スポットから存在しない。しかし一つ例外な地域がある。それは、祖師谷公園から南に3キロぐらいに位置する 大蔵運動公園ローラースケート場 と 砧公園(地図だと世田谷区と書いてある下の2つの点) です。これらのエリアは、同じ世田谷区でも小田急の成城学園駅や経堂などよりも更に南側1キロぐらいは離れた場所に位置する。あえて犯人がこれらの公園を使わずに祖師谷公園を選んで利用していたと仮定すると、犯人の生活圏・住居は、祖師谷公園よりも北の地域に住んでいた可能性が高いのではないかということになります。

更にそこから渋谷側(東)に目を移すと、もっと施設が充実してそうな駒沢公園などがあり、さらに東の渋谷にはボーダーのメッカともいえる、宮下公園など充実した場所が存在するわけです。そこから考えると犯人は祖師谷公園の北~西の地域の住民だったのではないかと。また祖師谷公園から北や西の施設の位置から判断すると、中央本線より南側地域(杉並区や三鷹市)のあたり、西武多摩川線よりも東の地域(三鷹や調布など)南武線でも東側の府中市方面など、これらの線の内側の地域ではないかと想像できます(その外側付近には他のスケートパークが存在しますから)。当然警察も地図を広げて、同じように考えながら徹底的にこのあたりの捜査を行ったものの、それらしい人物が見つけられず捜査範囲を広げていったのではないのでしょうか。

(ルールを守らない輩とは)

事件前から周辺住民との均衡を図るため、祖師谷公園を拠点にしていたローカルスケーターと公園の取り決めで夜間に滑るのは禁止されていました。しかしそれ以前は、24時間滑れる貴重なスポットとして存在していたようです。現在もあのような事件があってボーダーは相当疑われたのにもかかわらず、このスケートスポットは維持され運営されています。そこから判断するに、ルールを破っていたのは恐らく地元のスケーターというよりも、そのことを知らなかった、あるいは無視していた少し離れた地域の人間だったのではないかと考えられます。この時期だけ滑りに来ていて 時間を過ぎても滑っていたのを宮沢さんに咎められ恨みに抱いていたのか? この頃多くのボーダーは、夜間になると渋谷などの都心に移動し滑りに行っていたという話を耳にしました。しかし事件のあった12月30日の23時過ぎには、このスケート広場のあたりに若者たちがたむろっていたことはバイト帰りの女子大生によって目撃されています。そのたむろっていたのが、ボーダーだったのかどうかまでは定かではありませんが。

(ここからは私の想像です)

2000年当時は、今よりもスケボーができる施設が充実していたとはいえないような状況だったと思います。今回東京の施設を幾つか調べましたが、事件のあった2000年以後にオープンした施設も少なくなかったです。そんな状況ではありましたが、祖師谷公園まで足を運んだのは何故なのか?

東京の祖師谷公園という場所で、有志のボーダーが手作りで設備をこしらえているという噂を離れた地域のボーダーが耳にします。そこで普段は近所の施設、もしくは都心に滑りにゆくようなボーダーが、この地域に一時期的に来ていたのかもしれない。そんな折、時間を無視して滑っていると近所の住民である宮沢さんが出てきて文句を言ってきた、それが犯人との最初の接点だったのかもしれません。そして男には元々持っていた人を殺めてみたいという欲望が、日々増長しながら祖師谷公園に通っていた。その欲望と、更に何かキッカケになるような決定的な揉め事が犯人と宮沢家との間に起きたのかもしれません。

そして今回祖師谷公園というものが、ボーダーにとって空白地域に唯一存在するような場所にあることがわかりました。そこで私は、犯人は祖師谷公園から半径4キロ以内に住んでいたのではないかと考えるわけです。ただしですね、この円内ではない地域の住民も、実は可能性としてあるということ。それは地図を見て頂けると近くに施設のない、祖師谷公園から北東地域に位置する杉並区、中野区方面。ここに関しては、中央本線の更に北の地域からという可能性もあります。もう一つが、祖師谷公園から南西の狛江市や多摩川を越えた川崎の登戸方面の地域です。特に警視庁中心に捜査を進めてきた事件だけに、県を越えた管轄の違う神奈川県の捜査は弱かった可能性もあったのではないかという危惧はします。仮に4キロ圏外の住民だとすると、電車ではない移動手段を使ってきた可能性が高いのではないのでしょうか?

(つい最近)

さて今年の6月22日午前8時半過ぎに、三鷹市牟礼(むれ)のアパートの駐輪場で、頭部のない猫の死骸が見つかるという事件が発生しました。事件があったのは三鷹市ですが、祖師谷公園から3キロ程度の距離でしかありません。地図では、黄色のあたりになります。

世田谷の事件では、事件前に祖師谷公園周辺でも動物虐待が頻発していたことが知られています。また事件以後、そういった動物虐待はピタリとなくなったとのこと。しかし事件からすでに15年以上の月日も流れており、同じ人間がまだ同じ地域にいて、さらに事件を起こした可能性は低いと言わざるえません。しかし今回の事件現場は、私が犯人の生活圏だったのではないかと記した地域の範囲内であるということ。

ここで気になるのは、猫の遺体に頭部がなかったという部分。少なくても動物虐待を行ってきた中でも、頭部を切り離したというのは、恐らくこれが初めての虐待ではないだろうと。ここまでやるのには、相当な虐待を繰り返しエスカレートしてきたからではないかと思われます。これは書きにくいことですが、にいなちゃんは最後首を刺されて亡くなっていました。犯人は、実はにいなちゃんの首を切り離そうと試みたがうまくゆかず断念したのではないかというショッキングな話も過去には存在します。いずれにしてもこの犯人は、殺人犯でも珍しい頭部・顔への執拗なこだわりが見られていたということ。それも今回の猫の虐待でも、頭部への強いこだわりというものを感じずにはいられません。これは非常に特殊な思考の持ち主であり、無視できない犯行ではないかと私は思うわけです。そしてこのことが前兆となり、更なる事件へと発展しないことを願わずにはいられません。

様々な理由

以前にも書いたように、犯人の殺害後も執拗に遺体を傷つける行為などをみていると、世田谷一家の犯人は快楽殺人者だった可能性が高い。この独特の思考回路や行動は、過去の猟奇的な殺人事件の現場と酷似しており、それを似せて見せかけようとするのには無理があるだろうということを書いた。その観点でみると、犯人の異常な心理を知る一つの参考になる記事がある。

setagaya1.jpg

なんだか怪しげな記事ではあるのだが、犯人の異常な心理を想像するのにはなるほどと思える部分もある。それはともかく、まず現場にゆくとひとつ確信的に思う。それは犯人も事件前に、必ず宮沢さん宅の裏にある ぽっぽ公園 の小高い丘から、宮沢家を見ていただろうということ。上記の写真は、その公園にある小高い丘に昇る階段のところで撮られたと思われる宮沢さん一家の生前の家族写真。

miyazawatei4.jpg

この小高い丘は、地面からおよそ3メートルぐらいの高さ。丘の上にはベンチもあり、長時間宮沢家の方向に向かって座っていても、特に怪しまれる心配はない。何よりここから見ると、宮沢家の裏側全体が見渡せて、宮沢家の何処に人がいるのか把握しやすいからだ。そして犯人が侵入したであろう浴室の窓と、ここの目線がほぼおなじ高さになる。誰がいまお風呂に入っているのかさえ、手にとるようにわかるのだ。

逆に宮沢家の正面玄関付近から見ようとすると、向かい側には当時家が建っており、隣には姉や母の住む家があるので、なかなか状況が把握し難い。まして家の前の狭い路地にでも入って確認しようものならば、目撃されてしまう恐れがあるからだ。それでも実際は、そういった怪しい男が事件前に何度か目撃されている。特に正面からじゃないとわからないのは、中二階にある子ども部屋の様子、2階リビングの所在の有無。そして1階の動向なのだ。だから事件前数時間の間に、たびたび犯人が現場付近をウロウロして家の様子を伺おうしていた可能性があり、そういった目撃情報が複数あげられている理由もわからなくはない。

setagayagenba 3

特に中2階の子ども部屋は奥まったところにあり、入江家と前の家の陰でなかなか確認しずらかったはず。そういった物理的なことがわかると、犯人が家の周りをウロウロし角度を変えながら歩いて侵入の機会を伺っていたことも、なるほど理解できるのだ。事件前に、わざわざ犯人が目立つような行動をとるはずがないという意見もある。しかしそういった人には、ぜひ一度現場に足を運び、宮沢家や公園の位置関係を把握してみると、いろいろなことに気がつくはず。

そしてこの事件の現場に行けば実感するのは、ここで何かを起こそうと思うと先がイメージしやすいのは家の裏側だということ。家の正面は、向いの家や隣の家の視線があり長く居座ることができない。じっくり考え行動をイメージするのには、家の裏側から見ていた時間の方が圧倒的に長かったはずなのだ。まして浴室の窓が開いているという状況ならば、このチャンスを逃さないだろう。少なくても事件の数日前から、犯人はこの家にどのように侵入し事件を起こすのか綿密に妄想していたものと考えられる。その証に現場に残されていた黒いハンカチには、何度も何度も刃物で刺した跡が何十箇所も残っていたのだという。犯人が行ったとみられる特殊な包丁の握り方をしながら、もう一枚のハンカチを人間と見立てて刺す練習を繰り返したと思われる。それは、けして現場まで包丁をくるんで持ってきただけでは傷つく穴の数ではなかった。

(黒いセダンはガセなのか?)

現場付近では、事件前からたびたび不審車が止まっていることが報告されていた。中でも事件当日の21時~23時ぐらいまでアイドリング状態のまま、黒いセダンが長時間止まっていたとの目撃情報があり、これは警察も認めている情報の一つ。ナンバープレートなどがある車で、事件前に車などでつけるはずなどないとおっしゃる方もいるが、これも現場にゆくと少し趣きが違うことがわかる。

まず、上記の航空写真を観て頂きたい。

写真右側に真っ直ぐ伸びるのが、祖師谷公園を南北に貫く一本道。そこから宮沢さんの前に曲がる小道、さらに小道が南に1本、半分ぐらいまで伸びて空き地に入る小道が1本、そして3本目が今も家が残る前の小道と計4本の小道が伸びていることがおわかりだろうか。事件当時は、宮沢さんの家の前に1軒家があっただけで、あとはこの航空写真と当時とは変わっていない。

実は現場にゆくとわかるのだが、宮沢さんの家の前の小道と、その一本南側の小道の間には、土がもられて小高くなっているのだ。だから宮沢さんの家から、あるいは向いの家からみても車が隠れる形になって見えない。もちろん宮沢さんや近隣住民は当時非常に防犯意識が高かったのだろう。こういった不審車の存在には、目を光らせていたものと思われる。そのため泰子さんも事件前に みきおさんのお父さんに最近家の近くに不審な車が停まっていると漏らしていたとお父さんが事件後語ったという。また事件現場付近に住んでいたと思われる公園近くさんのコメントには、その不審車の詳細も書かれており、その存在は泰子さんも知っていたと記している。そう一見小高くなっているせいで車が隠れているように犯人には思えても、実は2階から見ると角度の関係で見えるとか、出かけるときに停まっていて気になっていたというのはあったのかもしれない。もう一つわかるのは、宮沢さん宅から4本下がった現在も存在する家の前の道路からみると、木が植わっておりよく前が見えなくなっているなどの事情もある。そう犯人からすれば、近くの家からは見えないだろうと思って車を停めていた可能性があるということ。しかし近所の人は、そういった存在に神経を尖らせていて、車の存在には気がついていた。近所の家からは見えず道路際にも家がなかったことを考えると、犯人がこのあたりに車を長時間停めていたとしても不思議はない場所なのだ。

(何故ズボンは置いて行かなかったのか?)

最近、私のところの掲示板に興味深いことが書かれていた。犯人が現場にズボンだけは置いて行かなかったのは、職場のズボンや学校の制服 だったからではないかという。そう前から返り血を浴びたはずのズボンを、他のものと同様に何故置いて行かなかったのか? それは、何か身元が判明してしまう可能性があったからだろうという話はででいた。その身元の判明しやすいズボンってなんだと深く考えたことがなかったのだが、なるほどそういうことだったのかと思わず膝を叩いてしまった。

この仮定を裏付けるものが、現場には残っていた。それは、犯人が残していったラグランシャツである。何度も洗濯されて使われていた跡があったラグランシャツだが、そこに染料が付着してからは洗濯された形跡がなかったのだという。もし犯人が何かしら染料に関わる仕事をしていた場合、仕事をしたままの格好で事件を起こした可能性があるのだ。そして下のズボンは、職場(学校)の制服・作業着だった可能性があるということ。それならば自分の身元はわれやすくなってしまうし、それを紛失したりすると、いろいろ面倒なことになる。会社ならば始末書扱いだろうし、学生ならば家人から理由を問いだされる可能性だってある。まして学生の場合、上はラグランシャツ・下は制服という格好も、けして違和感のある格好ではないだろう。

ただし、時期はとっくに冬休みを迎えていたであろう12月30日(土)。男子学生が、冬休みに制服でうろつくだろうか? 仮に会社だと12月29日(金)の勤務後、事件を起こすまでその格好でウロウロしていたということになる。実は私がこの話に食いつくのには、以前教えてもらったある未確認情報と繋がる話だから。その話とは、とある知り合いが世田谷一家の事件のことをネタにほうぼうで話していたら、そのことを知った一人の人が近づいてきてクリーニングの明細らしきものを手に握らされたことがあったという。その方は、気持ち悪いのですぐにそれを捨ててしまったといっている。それが実際事件と直結するものかはわからないが、ひょっとすると犯人は持ち帰ったズボンをクリーニングに出していたのではないか? ということ。普通はそんな返り血を浴びたズボンなど処分してしまうだろうと思っていたのだが、このような会社や学校の制服の場合、処分できなかったのではないのか? そう血というのは、一度つくと容易には洗い流せないものだという。汚れが落ちずに困った犯人は、ひょっとすると処分しようにもできないズボンをクリーニング出してしまったのではないのか? 私はずっとそんなことはありえないだろうと思っていたが、これが制服であればそうせざるえない理由にもなり、この話が現実味を帯びてくるのだ。長年の大きな疑問が、一つ繋がった思いがした。

一見不可解だと思われる犯人の様々な行動にも、犯人なりにそうせざる得ない理由があったのではないのだろうか?

ネットで幾つか興味深いものが・・・

世田谷一家のことをいろいろ調べていたら、幾つか知らなかったことが書いてあった。要点を絞って、内容を抜粋させていただく。

2001年1月19日発行 週間朝日

事件前に、引っ越し予定地である にいなちゃんが通う小学校近くの土地に、家族やおばあちゃんと何度か訪れていた。近所の人への挨拶の時に 奥(泰子)さん「母と一緒にこちらに来ます。」と話していたという。

やはり引っ越し後宮沢家では、泰子さんのお母さん(事件の第一発見者)と一緒に家族は住むことが決まっていたということ。きっと公文塾をやりながら二人の子どもの面倒は大変だということもあり、おばあちゃんが一緒に住むことになったのだろう。そうだとは思っていたが、みきおさんの親とではなく泰子さんの親と同居する予定だったことが、この記事で確認できた。

2001年1月26日発行 週間朝日

みきおさんは、1985年ぐらいから自己啓発セミナーに通いだし、泰子さんと知り合った(86年に結婚)。それ以来、友達付き合いが変わってしまい疎遠になった (東大時代からの友人談)

友達が、急に特定の宗教・思想・お金に関わるものなどを始めだすと、距離を置き始める友人が出て来るのは想像に難くない。みきおさんは、やはりこの自己啓発セミナーをきっかけに、かなり変わってしまったのかもしれない。

その記事にはこんなことも

宮沢さん夫婦は10年ほど前は週一回ぐらいのペースで通っていたが、事件前数年はセミナーに顔を出さなくなっていた。また泰子さんの姉・杏さんも、かつてはセミナーに参加していたとの情報もあると記事には書かれている。しかしこのセミナーは、

大学のクラブのような感覚で、ゲームや課題を通して自分がどんな人間か知る。洗脳や金儲けのような、あくどいセミナーではなかった(セミナー関係者談)。

そうこの時代のセミナーは、意識の高い系の社会人などが、自分を見つめ直し改善してより仕事に役立てようという類のセミナーが多かった。今のような胡散臭いイメージとは必ずしも一致せず、企業などの人材開発などにも積極的に活用されていたのだ。バックボーンがどうであれ、必ずしも何かカルトな宗教団体とかと繋がるものばかりではなかったのである。もちろんその後、何かこの団体はヤバそうだと感じ、宮沢夫婦が距離を置いたとかいう可能性は否定できないが ・・・。ちなみに、宮沢家が通っていた団体は、サイエン◯ロジー だったと言われている。

(現場に残されていた染料と一致するものがあった?)

また別の情報では、現場に残されていた染料と平塚市にある香料製造工場の原材料と一致していたとの情報もある。その情報の正否は定かではないが、その会社には事件との関連性も深いとされる静岡(磐田市)に工場があったり、韓国や中国・アメリカなど世界中に関連会社があったり、工場があるというのだ。この会社は、ただ染料が一致しただけでなく犯人と大きな関わり合いを持っていた可能性すらあるのかもしれない。

(遺留品を残していった理由)

犯人が現場に残していった遺留品は、捜査を撹乱させるためだとか、あるいは急におばあちゃんが訪ねてきたために慌てて逃走したため残されのかもと以前書いた。もう一つの可能性として考えられるのは、犯人にとってもう必要がないものだったという可能性だ。

というのは、事件の目的を果たしたことで必要なくなったもの(凶器やそれを入れてきたヒップバックなど)。それともう一つ注目したいのが、ジャンパー・マフラー・ニット帽や手袋などの防寒具。手袋に関しては、出血を隠すために当初持ち帰る予定になかったはずが、必要に迫られ負傷後に身につけた。しかし出血がひどく、止血をしないと帰れないと判断し廊下に投げ捨てた。以前も冷静に置かれた他の遺留品に比べると、手袋は廊下の途中に投げ捨てられるように残されており、犯人の精神状態の余裕の無さが感じられると書いたことがある。

それはともかく、何故防寒具を置いていったのか? それは捜査撹乱でも、急に置いていかざるえなかったわけでもなく、犯人にとってもう必要がなくなったからではないかということ。事件後犯人は、12月の東京とは違う明らかに暖かいところにすぐにでも飛び立つ予定があったのではないかと。そう犯人は、暖かい地で身を潜める予定が決まっており、むしろ邪魔になるからと置いていったのではないかとは考えられないだろうか? 犯人が事件後すぐに、関係の深いカルフォルニアあたりに飛んだのかもしれない。あるいは、沖縄や台湾・ハワイ・フィリピンなどに一時的に身を潜めた可能性だってあるのかもしれない。浴槽に投げ込まれたもののように、犯人が現場に残したものは必要がないものをすべて捨てていっただけだったのかもしれないのだ。少なくても遺留品から警察がたどり着いたとしても、自分は捕まらない自信があったのではないのだろうか。

カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
プロフィール

monazite

Author:monazite
世田谷一家殺害事件 の犯人像について、モナザイト の主観で事件を考察します。

最新記事
月別アーカイブ
最新コメント
カテゴリ
負け犬の遠吠え
FC2拍手ランキング
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR